第14話 検査と治療

 主治医の愛川から、曖昧な現状を伝えられた翌日から検査が始まった。健康だけが取り柄だった私が、腕には点滴を刺され、1日中さまざまな検査をすることになるなんて想像もしていなかったが、車椅子に乗せられているだけだったので特に苦痛に感じることもなく指示通りのことをしているうちに、検査は終了した。


 ただ、さすがに1日中さまざまな検査をしたせいか、ベッドに戻ってきた時にはドッと疲れが襲ってきて、そのまま眠りに就いてしまった。次に目が覚めたのは、21時を過ぎていたので夕飯を食べ損ねてしまった。病院は夕飯の時間に寝ている患者を起こさないのだろうかと疑問だったが、お腹もすいていなかったし、私はそのまままた目を閉じた。


 翌日。

さすがにお腹が空いてしまっていた。8時頃に朝食が運ばれてきたが、やはり粒がかろうじてあるかないか…というお粥と離乳食(のようなペースト状のおかず)だけだった。喉が痛いわけではないのだから、本当ならちゃんとした食事が欲しいところだが、これも私の症状に合わせたものなのだろうと思い、出されたものを仕方なく食べた。


 入院したばかりの時より、呼吸もしやすくなっていたが相変わらず声を出そうとしても音にならず、ただ息が漏れてくるだけだった。この日は、検査もなく、治療もなく、朝の回診のみであとは定時に食事が運ばれるだけだった。誰かがお見舞いに来るわけでもなく、ただ時間だけが過ぎている…そんな感じだった。


 次の日。回診の際に愛川が、

「あとで、検査の結果と今後の治療方針をお伝えしに来ます」

と言っていたが、相変わらず真顔で感情がまったく分からなかった。私もただ頷くだけだった。


あとで…とは何時のことなのだろうか?とどうでもいいことを考えながら、『あとで』の時間を待つことにした。そういえば、スマホの充電器がないせいで充電もあとわずかになっていることにも気付かずに2日を過ごしていた私は、部屋に時計がないことに気がついた。


 ちょうど、その時、看護師が部屋に入ってきてくれたので、スマホを見せながら充電器をさす部分を指さして、訴えてみた。それを見て、

「あぁ!充電器がないんですね。ご主人に連絡しておきますね」

看護師が、私のジェスチャーで分かってくれたことが嬉しかった。それより、やはり対応が笑顔なのは本当に嬉しい。看護師が点滴の様子を確認して部屋から出て行くと、私もあの看護師のように笑顔ができるようになりたいと、両手で顔を上下に動かしたり、口角を押さえて上に持ち上げたりしてみた。


できなかった…


指で上げた口角は指を離すと重力に逆らえずストンと落ちる感覚に愕然とした。口角を上げてキープすることすらできないほど、私の表情筋は衰えていたのだ。


 一体、いつから私は、笑わなくなったのだろうか。

そういえば、子育て中でも勇哉に対して、笑顔で接した記憶が遠い昔にあったかなかったか、ということに気付いた。


親が子供に笑顔で接していないなんて他人が聞いたら『なんて親なの?』と言われそうだが、鎌倉家では子育てに笑顔は必要なかったのだ。優しく接しているところを義母に見つかりでもしたら、あとで部屋に呼ばれ、叱責される。そんな生活だった。


 やることがないせいか、とにかく今までの自分の生活がやけに思い出される。そして、やはり勇次郎の『もう自由にすることにした』という言葉が何度も頭に浮かぶのだ。自由にするということは、つまり、離婚ということなのだろうか?


普通に考えたら、そういうことだろう。ただ、今後の治療費などは心配するなと言っていたところを考えると、単に見捨てられたというわけでもないのだろうか?と、やはり何度考えても勇次郎の言葉の真意は分からなかった。



**********


 私は、考えながら寝入ってしまったようだ。

どれくらい眠っていたのか分からないが、看護師が何度か起こしてくれたようで、あまりに私が起きないせいで、病状が悪化したと思われ、目が覚めた時には病室内が少々バタバタしていた。


 私が目を開けたことに気付いた看護師が、

「先生!意識が戻りました!」

と叫び声にも似た声で言った。

「鎌倉さん?聞こえますか?」

愛川が、相変わらず、感情のない声で尋ねてきた。私が頷くと、

「少し呼吸が乱れているようですね。病状説明は後日にします。今日は安静にしていてください」

と言い、ベッド横の機械をいじったあと、病室から出て行ってしまった。


残ったのは、数名の看護師と私だけ。看護師に、ただ眠っていただけだと説明したくて、声を出そうと思ったがやはり出ない。カスカスした息が漏れるだけだったが、看護師のひとりがその息に気づいてくれた。

「どうしました?」

私のすぐそばまで耳を寄せながら聞いてくれた。私は、もう一度声を出そうと試みた。

「ねむっていただけです…」

息にほんのわずかに音がついた程度だったが、何とか声を出すことができた。それを聞き取ってくれた看護師は、

「そうですか。今、苦しくなければ安心しました」

と笑顔で答えてくれた。

「ただ、呼吸困難で酸素が回らず、意識を失くされたんです。人によっては、眠りに就く時と似たような感覚になるようなので、恐らく鎌倉さんもそんな感覚だったんだと思いますよ。気がついてくれて本当に良かったです」

と、私が眠っていただけだと思った状態が実は眠っただけではなかったことを説明してくれた。


 私は一体何の病気なのだろうか?


結局、今日も病状説明はしてもらえなかった。容態が急変したのだから仕方ないことだとは分かっていても、今日もまたモヤモヤしたまま一日が過ぎると思うと、なんだかやりきれなかった。


**********


 翌日、朝食が済んだ頃、愛川が病室にやってきた。

「食事は済みましたか?病状も落ち着いているようなので、これから検査結果と今後の治療について説明したいのですが宜しいですか?」

ベッドに近づきながら淡々と尋ねる様子を見ていると、つい鎌倉家の人々を思い出してしまう。言葉に感情がない…私が鎌倉家を知った時、最初に感じたことだった。


 愛川は、そんな雰囲気にとてもよく似ていた。私が頷くと、ベッド横にパソコンがのったテーブルをつけ、画面を開くと、


「鎌倉さんの病気は、心不全の一種です。全身に血液を送り出す心臓ポンプ機能が低下しているため、血液循環がよくありません。治療は、長期に渡りますが、落ち着けば自宅療養でも大丈夫となります」


そう言いながら、パソコンに映し出されたレントゲン写真の一部をペンでさし、


「このモヤモヤした部分が少し回復したら、自宅に戻れます。点滴の中に、炎症を抑える薬が入っていますから、これをまず2週間投与し、もう一度検査をして経過を診ます。なので、一応目安としては結果が出るまで。だいたい3週間の入院となります」


と説明した。


 〈心臓の病気?心不全?この私が?健康だけが取り柄だった私が?〉


頭の中は、軽くパニックを起こしていた。勇次郎と結婚する際にもきちんと健康診断をした。なんの問題もなかった。そして、結婚してからも毎年欠かさず人間ドックを受けさせられていたが、その時にも問題などなかった。


 心臓の病気には、先天性の確率が高いと昔聞いたことがあった私は、自分の場合が先天性だったのかを質問したが、やはり声はカスカスだった。看護師は耳を近付けてくれて聞き取ろうとしてくれたが、愛川は、カスカスに気づきもしない。


「入院中は、基本、ベッド上安静です。食事は、少しずつ固形のものへと変更しますが、ものを噛んでいる時に、呼吸困難になる可能性もありますので様子を見ながらになります。治療は、点滴投与のみなので、特に大変なことはありません。説明は以上です。何か質問はありますか?」


〈いや、言われる前に質問したんですが…〉


私は、心の中でそう叫んだが、当然聞こえるはずもなく、もう一度カスカスする気にもなれず首を横に振った。


それを見た愛川は、


「そうですか。では、これで検査結果と今後の治療の説明を終えます」


と言い、さっさと部屋を出て行ってしまった。これくらいの説明なら、昨日でも全然聞けたのにと思ったが、当然声になることもなかった。

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