嫌なスイッチ→軽蔑→真摯

 私の味覚が人より敏感であり、どんな薄味もある程度は感知出来るということはあまり話したくない。というか、コレが理由で人から変人扱いされるので、あんまり気づきたくない事実でもあった。唯一役に立ったとすれば、師の言葉に納得行った時くらいのものだろうか。

 私にはいつからか、同じゲームのチャットグループで繋がっている師がいる。一度は離れていったものの、再び戻ってきた(ので、実は私の小説が某所で泣かれたことについても一応は知っていることになる)。しかし、そこの師が曲者としか言いようのない人物だからか、私は今まで以上に詳しく書くことを要求された。理由は「読みづらい」からだそうだ。(ストーリーボードについてもうるさく言われたが、コレについてはあることをしたのでなんとか納得してはいる、筈)

 師に言われたことについてかいつまんで説明すると、ラノベではなく文学の書き方そのもので、コレを実行したせいで私の作品はどんどん文学臭くなっていった。私自身が美しく書きたいというのもあったが。そして、2022年のある日に、私はあることに気づかされてしまう。そう、「クオリアは共有できない」と。

 世に出ている二次創作や商業ラノベの殆どは、然程描写が細かくない。会話文で構成されているといってもいい(『異世界のんびり農家』に至っては「頭がバグる」とさえ表されていた)。場合によってはキャラクターの外見描写が一切分からない、ということさえ珍しくはない。別に挿絵があるならまだ分かる。が、二次創作などではそうはいかない場合もあった。

 世の中の創作は、何故か初心者に優しくない。だからついていけないことも珍しいことではないし、離れていく読者もいると聞く。そんな中で私自身は、「持ち得る全てのクオリアを叩きつける」ことを選んだ。そこでは最初こそ目が出ることはなかったが、それでも十四万文字を超えた辺りには、「泣いた」と来たのだ。また、「原作を知らない人でも読みやすい」というが、コレについては、殆ど(美しく仕上げる為に)専門用語をオミットしているというのが一つ。細かく描写を書いているのもある。服や食べ物、建物の内装などは序の口。天気や気温、示唆する形で水温さえ書いたこともある。時代考証もしている。忍たま乱太郎のように、とても正確に。二次創作であっても立派な創作だから、「所詮」で終わらせてはいけないものだと考えている。だからこそ、真摯に向き合う必要があるのだと考えている。テンプレよりも実在の人を。名付けについても、私は意味を持たせている。あらゆる角度からモノを見てこそ、物書きは輝くと私は信じている。

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私とアオアズマヤドリ 縁田 華 @meraph

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