一人称で書く理由

 小説を書く時、視点をどちらにするのか。一人称か三人称が主(二人称視点もあるにはあるが、数は少ない)である。どちらにするかは作家さん次第ではあるが、私は敢えて一人称という選択をとっている。というのも、三人称だと書けないことが多すぎるのだ。作者自身が感じたこと、覚えていることを小説の中に落とし込むには一人称でなくてはならない。と私は感じている。ただ、この方法は上手く使わないと書くことが偏ってしまうとも感じている。満遍なく書くのはやはり、三人称視点なのだろう。

 一人称視点には隠れたメリットもある。それは信頼できない語り手の存在である。延々と自分の視点で喋らせ続ければ、最後の方になってからどんでん返しが起きるということもあり得るだろう。とここまで書いてきたが、実のところ私が一人称で書く理由はもう一つあって、慣れているから。バランスよく書けるから、というのもあるのだ。エッセイなどを読むことがあれば分かると思うが、エッセイは終始一人称である。私自身はエッセイを書くのが得意だと自負しているので、そのうちに一人称で書くのが得意になったのかもしれない。視点が偏りがちではあるが、それでも一人称で書く価値はあるだろう。三人称は敵だと言っている訳ではない。三人称視点にもメリットはあるのだろうが、慣れた方法を使っているだけだ。どちらが感情移入しやすいかは分からないが、私は一人称視点の方を推そうと思う。

 尺が余ってしまった(本来は千文字程度で終わらせるつもりだった)ので、おまけとしてこぼれ話を一つ。実はこのエッセイ群はノートのすみっこも含めて、私自身の個人ブログも兼ねているのだ。しかし、他の人みたいにソフトな文章を書くことができないので、ここにスペースを作っているという訳である。だから、エッセイといっても大半は私自身が見たことや感じたことであるし、時期もバラバラ(思いついた時に書いている為)である。最近になって下書きなしで千文字書けるようになったが、それまではたった千文字であってもノートに下書きをしていた。今でも千文字を超える時は必ず下書きをしているが、下書きと清書で表現が違うこともしばしばある(自分自身で推敲している為。分かりやすい表現に変更したこともある)。大体は段落が三つに分かれているが、下書きなしの場合はその限りではない。

 カクヨムを利用している理由は他にもあるが、ここでは敢えて書かないことにする。というのも……。

 

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