やっぱり納得のいくものを書きたいなら、資料を見るだけじゃダメだ
(この創作論は、リアリティのある作品を作りたい人向けです。悪しからず)
日々数多の作品が生み出されるのを私は幾度も見ているが、最近のものは何故だか悪役令嬢だの異世界転生もので飽きた。別にそれだけなら素通りすればいい。私がメインで活動しているpixivの話になるが、二次創作についても台本めいた文体は見ていてどうかと思う(一応言っておくと、本文ではなくおまけなら全力でふざけていいと考えています、悪しからず)。いや、台本ならまだ許せない訳ではない。問題は無駄にカッコつけたような文体で、「プロット」と吐き捨てられるようなモノである。
そういった作品ほど他人とクオリアを共有出来ると勘違いしている人が書いているのか、かなり曖昧な文章が目立つ。心情も時間の経過も、(細かいところでは)気温でさえも書いてはいない。外に出るということを知らないか、もしくは出ても限られた場所以外は行かないような奴なのだろうか。
そう、外に出るということは新しい発見を求めに行くということ。スーパーマーケット一つとっても品揃えは定期的に変わるし、映画館もずっと同じ映画が上映されている訳ではない。駅前の広場には稀に大道芸人が来たり、遊びも学びもあるような出し物があったりと、様々な発見がある。恐ろしく細かいところでは、自動販売機についてもそう言えるし、公園もそんな感じだろう(事故で遊具が撤去された事例がある為)。そこから想像を膨らませることが出来れば楽勝だ。
スーパーマーケットには元からある
それらは実際に試さねば効力は分からないし、味も分からない。作者の技量によるところもあるだろうが、基本的に同じ表現が万人に通じるとは思わない方がいい。共通点はあっても細かいところが違っていれば、ソレは通じないも同然だからだ。
ある意味で、今の作家にはソレが抜け落ちている気がしなくもない。地の文は出来るだけ多くした方がいいのだが、匙加減は全て作者に任せられる。その為会話劇を作りたがる人もいるが、初心者はまず状況説明を多くした方がいいだろう。また、資料を見て引用するのではなく、寧ろモノにした方がいい作品を書くことが出来る。資料を細かいパーツに分けた上で別のものを組み合わせるという芸当も、出来ておいて損はない。私はそう思う。
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