「いただきます」のリアリティ

 日本のアニメには(例え西洋をモチーフにした架空の国であっても)頻繁かつしっかりと「いただきます」と言って手を合わせるシーンがある。実を言うと、いただきますという言葉は地味に日本以外にはない(逆を言えば、方言と化していても日本国内であれば何処にでも転がっている。そう、沖縄でも北海道でもソレに代わる言葉がある)。海外ではそんなことを全く言わない。アメリカの小学校でさえソレは常識である。

 だからだろうか、日本のアニメで見るからに日本が舞台ではない作品を見ると、「作ってる人たち無知なのかな」と思ってしまう。実際に海外に行く、インターネットで住んでいた人の記事を見るといった取材をしなければリアリティのある作品は作れない。ちなみにこの時カッコつけると、全てが台無しになるので注意した方がいい。

 いただきますに限らず、リアリティの無さはセリフまわし一つとっても作品の出来に影響する。何故ならリアリティが無ければ人は共感できないからである。残念ながら全ての作品がリアリティたっぷりという訳ではないが。まあ、やたらとリアルな作品だと今度は別の意味でついていけない可能性もあるが。

 少なくともリアルにした方がいいのは、国や時代に合ったモノがあって、職業や習慣、当時の風俗なども再現すること。小説というのは隅から隅まで構築することが肝要だからだ。

 ステレオタイプというのは往々にして間違いが多い。確かに楽ではあるのだろう。制作する上では。ただ、実際の記憶とは食い違っていることも少なくない。作品作りは人に納得させることもプロセスに含まれている。ファンタジーでもそこら辺は徹底的に行っていいだろう。実際ソレで世界的に成功した作品があるからだ。その作品は高校時代の私に大きな影響を与え、今でも追い続けているモノである。もし、小説家が「自分を高める」という言葉を使うならばそういった作品を知ってからにしてほしい。

 もしくは、再現出来るならしてしまっていい。特に料理はソレが一番身になるし、(自分の視点のみとはいえ)味を人に伝えられるからだ。カレー一つとっても味は違うし、硝子細工の美しさだってモノによって違う。相当な危険を犯す必要性はないが、やれる努力はやっておいた方がいい。

 ちなみに、唯一例外なのはリアリティを必要としない種族を新たに増やす場合のみ。ただ、その場合も既存の習慣などを組み替えたり逆算した方がいいだろう。倫理観や価値観なども、緻密に計算しなければ、いい小説は作れない。私はそう考えている。

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