想像力という題でどこまで行けるか書いてみた

 人間の想像力というものは食に似ている。それは生きる源であると同時に、過ぎれば毒になるからである。だが、それを抜きにしても人間以外には出来ないこと(現状、この点はロボットに勝る)であり、素晴らしいものであることは確かである。

これ一つでどんなに手に入れたくても手に入れられないものや、実在しない生き物、楽園や地獄を始めとする異世界をも創れてしまうのだ。我々の世界ではファンタジーやSFでも、想像の世界なら全てが真となる。全てが魔法のように作れてしまうからだ。どんな野望も願いも詰め込んで。けれどもそれを伝えるには物語や絵など、想像をまとめたものが要る。頭の中に詰まったそれの取捨選択を繰り返しつつ、私は物語を紡いでいく。そうしなければ大勢の人には見てもらえないから。

 知らない漢字や言葉もまだまだ沢山ある。それらはインターネットで調べたり、人に聞くことで解決している。調べるのも大事なことの一つで、これがなければ紡げないシーンも存在するからだ。時には紙切れに書いて記録していることもあるが、大事なこと以外そうしない。時間は限られているし、書き留めなくても把握できる事柄は沢山あるからだ。その中には、長い時間が経ってから設定が変わったり、或いは忘れ去られたものもある。自ら捨て去ったものや、再構築したものもある。理由は様々だが、特にそうなりやすいのは新しく得た知識を組み込む、習得した知識が間違っていたなどのケースが考えられるだろうか。

 想像力を働かせるには必要なものが沢山ある。クレヨンや絵の具などの画材やノート。ボールペン(面白い形)やフィギュア。その他沢山のぬいぐるみやラバーストラップなど。一番必要なのはスマホだが、それだけでは全然足りない。机の上が汚くなるくらいのガラクタで埋め尽くさないと、楽しいと思ったものは閃かないからだ。魔法のステッキのようなボールペン(ライト付きが好ましい)で物語を書くのも、絵を描くのも紙に魔法をかけているようで想像力を掻き立てる。ただ空想する以上に楽しく物語を紡ぐことが出来るのだ。下準備として予め資料を読んでおくのも一つの手。どうせなら気に入ったところを書き留めておくのもいいだろう。あくまで私なりの方法ではあるが。

 長々と書いてきたが、絵や物語を描きたいならば人間の想像力はとても大事なものである。それ以外にも想像力を使う場面はあるが。例えば、目の前に小さな女の子の人形が二つあるだけでも想像力を働かせさえすればそこに物語が生まれる。どんな物語にするかは自由だが、とても楽しいことに間違いはないだろう。別にこれは人形でなくとも、ビー玉やおはじき、鉛筆でも構わない。物語をつくることは出来ずとも、何か別のものに見えるときがあるはずだ。もちろんそれは本物ではないが、楽しいいっ時を演出してくれることだろう。


 

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