多面的に見られるように

 高校卒業の直前、児童館で「氷と炎の歌」(というか、ゲームオブスローンズ)という小説を教わったことがある。そこの人が言うには、「ベルセルクより人物関係が入り乱れてるからね、面白いよ」とのこと。そして、私は数年後にこの言葉の意味を噛み締めながら創作に励むことになる。

 天庭おとこのこ編(ポップンの曲)にしろ、ゲームオブスローンズにしろ、魔法少女育成計画にしろ、メガテンにしろ、どこかしら共通点がある。それは「皆が等しく報いを受け、傷つく。悪役という存在がどこにもいない」ということ。それも、非常に残酷な形で。形さえ残らない人間も少なくないので、そこもポイントかもしれない。

 完全な悪役という存在は私に怒りしか与えない。神の視点で書かれた小説程そうなりやすいとも感じるし、視点・論点を変えればいくらでもいいところは見つかる。寧ろ、悪は悪として別の面を書かないのは人間という生き物を軽く見ているように感じられるので、私は趣味であってもそうはしない。老害であっても趣味はあるし、英会話教室に通うこともある。食堂でお客サマをチラッと見ただけでも、僅かに分かることはある。スマホでゲームをしている人だってたくさんいるし、ソレは年齢を問わない気がする(会社帰りのおっさんがにゃんこ大戦争をしているところを見た時はちょっとだけびっくりしたが)。つまるところ、人間というのはエゴとエゴの鍔迫り合いしか出来ないのもあり、その人の視点を如何にして「らしく」するのかが重要なのだと、私は考えている。

 地位や名誉、世間体に固執する人間程惨たらしく殺される世界、自由な人間程生き延び易い世界。たった一人を強烈に愛した末に歪んだ形で結ばれる世界こそが今の理想だが、作れるだろうか。目的の為には手段を選ばないような人間も、性別年齢問わずにいて欲しい。

 私個人の偏見としては、閉じた世界にいる人間程小説や漫画は描かない方がいいと考えている。捨てられないこだわりはあってもいいが、少なくとも「自分が」不快にならない作品作りを心がけている。ウケるウケないはこの際関係ない。登場人物達のクオリアを叩きつけられさえすれば。

 ちなみに、悪役に不快感が現れるようになったのは高校生くらいの時から。メガテンが好きになったのと同時期か少し前だ。アークザラッド2のとあるキャラクターと、元カレの二次創作が原因だろうか。そういう意味では、ゲームオブスローンズを知っておいて損はなかったのかもしれない。この点においては、児童館の人に感謝してもし切れないくらいだ。

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