こぼれ落ちるくらいならば

 二次創作をpixivで読んで思うのは、コレでもかというくらいに描写が少ないこと。小説というのは本来、芸術だからこそ沢山の描写が必要なのだが、建物一つとっても単純な説明しかない場合もあり、「いよいよ終わったな」くらいには思っている。例えば、ゲームセンターや保育園、公園や細かいところでは民家の外観一つとっても、一つとして同じものはない筈である。テナントの一つとして貸し出されていたり、かと思えば独立した建物だったり。何故?と思うくらいには描写が足りない作品が多い。そう感じた。

 元カレ曰く、「逃げる為にマンガに逃げる人も一定数いる」らしい。ソレは納得出来るが、アナタもちゃんと描写増やせよ、と私は思った(ちなみに元カレとは連絡を絶ったので、電話自体がもう二度と出来ない)。私は会話劇を描こうとしている小説が苦手だ。三人称の小説も苦手だ。師からの教えを守り通している、というのもあるが、書けることが限られてくるということ程嫌なことはない。その人の気持ちにならないと、書けないことが多すぎると感じているのもあるかもしれなかった。

 とはいえ、そういった作品がブクマやいいねを稼いでいるのを見ると、妬ましくなるのもまた事実だ。だからといって作品のレベルを下げるつもりは毛頭ない。「万人受け」程愚かなモノもないのだから。篩として機能し、尚且つ分かる人にしか分からないという作品を書くのが私のモットーである(オリジナルは比較的万人受けしやすいが、ある程度ルールを封印しているから仕方ない)。

 想像しやすい小説が作品として優れているのは、いつの時代も同じだろうと思う。私は情報量が多くとも美しいか、笑って楽しめる小説が好きだ。さっぱりした描写は嫌いなのだ。もっと言ってしまえば、悪役にも視点は欲しいし、いいところは書いて欲しい。生きた人間とはそういうものだ。冷たい言葉をかけつつも自殺を止めるような奴がいて、クズでもたった一人に慕われている、そんな世界を、私は作りたいと思う。

 最近言われた言葉の中に、「色の表現が凝っている」というのがある。私からすれば、ソレは物語において真実を書き連ねただけに過ぎないのだが。何故そこに注目するんだ、としか言いようがなかったり。そもそも、凝った描写は最低限のものだと、私は考えている。服の描写が常に凝っていてもいい筈だ。周りの風景でさえ「時間の経過を気にして書け」という教えを、私は今も守り続けている。当たり前のことだからこそ、守る必要があるから。

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