(特別番外編)修学旅行は不要なのか?
ある日、Twitterを覗いてみると「修学旅行不要論」というのがタイムラインに流れてきた。良くも悪くも印象に残りやすいのか、沢山の人がいいねやリツイートをしていたが、中身の記事を見てみると、「庶民には積み立て金などが辛い」「費用に見合うだけの学習効果はあるのか」などと言った文言が並んでいる。確かに辛いとはいえ、私にとって修学旅行は大イベントの一つだという認識がある。それこそ、簡単に無くして欲しくないと思えるくらいに。そう、高校時代、私が行った修学旅行は……。沖縄だったのだ!
沖縄に行くにあたり、事前学習という名目で映画館に最低二回は行ったし、行くことそのものにも意義があった。平和学習というやつだったからだ。というか、「平和学習の為」としか聞かされてはいなかった記憶がある。ただ、沖縄に行くこと自体は楽しみだったし、戦争の話を聞くことや、資料館や美ら海水族館などに行くのはワクワクした。地味に後輩の為だけにジンベエザメのマスコットを買っていったのは内緒だ。ちなみに、タッチプールでヒトデに触ったら思いの外重くて硬かったりするあたり、生き物というのはヤワじゃないらしい。再生するところくらい見せて欲しかった。
実は私自身、沖縄、京都、奈良の修学旅行しか体験していないが為に、北海道や海外、テーマパークに行くという思考が逆に理解できない。何を見て学ぶんだよ!と言いたくなってしまうのだ。広島や長崎なら百歩譲ってまだ分かる。沖縄とほぼ同じ理由で行けるから。平和学習を楽しみながら行うのは、私としても賛成だ。分かりやすい課外学習というのもあるが、私自身は平和主義者でしかも、人から心配されるレベルののんびり屋だからだ。急ぐのは苦手だし、好きなことが楽しめなくなるのは嫌だというのもある。だから修学旅行をまるっと平和学習にしてしまった方がいいと感じている。
ここからは、私の体験を交えるが、沖縄は日本の一部だと認識させられた出来事が確かにあった。それはお土産のノートに書かれていた沖縄弁である。「いただきます」「ごちそうさま」にあたる言葉が確かにあったのだ、明らかにここは日本だと信じざるを得ない。この二語を言うのは世界で日本ただ一つだけだと考えると、少しだけ安心できる。それと、ファミリー向けの大きなホテルに泊まった時のことも、安心できる理由の一つだった。ゲームコーナーに太鼓の達人とカービィのぬいぐるみがあったのだ。「ああよかった、ここは日本なんだ」とホッとしたくらいだった。
……それくらい私にとって沖縄の修学旅行は心細いことでもあったのだ。民泊も楽しかったから良かった。思い出作りだけならいつでもできるかもしれないが、私にとってはある意味大切な礎のようなものを築くのも修学旅行の醍醐味だと思う。
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