悪口は言いたくない、が言わせて欲しいことがある

 二次創作というものは楽しく行う趣味であって、真摯に作り込むようなものではないらしい。実際、そういうサイトを回っていると、地の文ではなく会話劇が無駄に多い小説がやたらと多いと感じる。もう随分と更新されていないサイトも数多くあった。つまりは忘れ去られたのだ。ソレが別のマイブームに乗っかる形で廃れたのか、黒歴史として封印したいのか、自ずからピリオドを打ったのか、それ以外の理由があるのかは分からない。だが、私はこのアクションを好ましいと思う。

 何故なら、「忘れ去られる」ということは「なかったことに出来る」とほぼ同義だからだ。私は中々嫌なことを忘れることは出来ないので、ちょい羨ましいと感じる。会話文の小説は、Twitterなどを見るにみんなでワイワイする為のツールなのだろう。私は臆病だから、その中には入れない。いずれ忘れ去られるだろう、楽しい時間を楽しめないのだ。人に合わせるのが苦手だからというのもあるが。

 ところで、この小説群は何故か一見さんには優しくない。小説という媒体は楽しい時間を共有する為にあるのか、と勘違いさせられるくらい優しくない。専門用語が分からないとまずついていけない辺り、余程同好の士としか読み合いたくないんだろうな、と思う。

 前回、私は「閉じた世界にいる者は小説や漫画を書かない方がいい」と書いたが、私自身も本当なら閉じた世界にいたい。閉じた世界は楽園だからだ。だが、私にはソレが出来ないし、今は師がいる。それに、開かれた世界には学ぶことが沢山あるから、それらに手を付けなくてはならない。全てを空気のように吸い込み、その中から必要なものだけを選び取ることを、私はもう幾度も繰り返している。ただサイクリングに行くだけでも、私にはある程度意味がある。

 私の脳みそは大体にして、様々な色や模様のボールがピンボールかブロック崩しのように跳ね回る、忙しい構造になっている。もし、ソイツがブロック崩しなら、こんな変則的で頭がおかしくなりそうなブロック崩しもないだろう。ただ、少なくとも私の頭は何がどう結びつくか分からない。おかしな軌跡を描き、ソレが結びつくことさえある。木枠を何度も猛スピードで跳ね回るボールで壊しまくっていて、そうして出来た作品を何故か「面白い」というのだ。別にそれだけなら普通の人にも出来そうなものだが、と私は呆れている。

 そして、事件は起きてしまった。私の作品が、「忘らるる物語」というコンセプトの作品が、心に刻まれたという人が現れたのだ!

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