マウント取るのも楽じゃない

 何かとマウントを取って来たり、SNS上でキラキラした私生活を発信する人というのがいるらしい。自分の不幸を自慢(毒親関連など)する人も後を絶たない。私は不幸自慢をしたくない。私にだって生まれつきの持病やら発達障害やらといったハンデはある。なんならあまりの変わり者っぷり(と言動のどストレートっぷりが原因で)いじめられた過去もある。しかし、そのすべてをTwitterで語ろうとは思わない。(話したい場合はあるが、その時は遠回し)私はいつでも楽しく在りたいからだ。

 少し前、Twitterの知り合いと住んでいるところの話をした。きっかけは私が「田舎に住みたい」とツイートしたこと。発達障害のせいで私自身はかなり邪魔なところにいたり、人とよくぶつかるから人が少ないところに住みたいというのが本音だった。しかしソレに反応したフォロワーの一人が、「田舎に住みたいなどとは思わない方がいい」と返してきたのだ。ここから意図せずにとはいえ、マウント取り合戦が始まってしまったのだった。

 正直に言おう、とてもきつかった。「ウチの近くには、これこれこういうのがあって便利ですよ」「雨の日でも食べ物と薬だけは手に入ります、歩いて5分です」というのは、正直言って私にとっては当たり前だから何の面白味も感じられない。あれが独身の人だったからまだ良かったが、「ウチの近くには保育園が(私が知る範囲内で)3件あるんですよ」と子連れで困窮している人に言ってしまったら……。絶対イヤミに思われるだろう。さらに「中高生専用児童館がある」だのと言ってしまえば、どう考えても人によっては嫌な顔をする。

 何故人はマウントを取るのだろうか。マウントを取る人は意図しない場合を除けば、大体自尊心が満たされていない可能性が高い。「名の知れた名門校を卒業した」「大企業に勤めていた」というのは全て過去の肩書きでしかない。熱中できる趣味がないならただの空っぽな人間になってしまう筈なのだが、大体の人間は地位や肩書き、名誉にこだわるようだ(フィクションでもそういう奴は一定数いる。正直、何故地位にこだわるのか私には理解できない。人間は家畜化されたり、被検体にされたら意味ないのに)。自慢できることがあるだけで、彼らは幸せなのだろうか。

 結局のところ、マウント取りはしがらみというモノに絡めとられた人間が自尊心を満たす最後の手段ではないだろうか。もっとも、ソレが楽しくない痛みを伴っていては意味がないのだが(異論はコメントで受け付けます)。

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