その後

大伴おおともの狹手彦さでひこのむらじ發船ふなだちして任那みまなに渡りし時、弟日姫子おとひひめこここに登りてひれちて振りまねきき。りて褶振ひれふりの峰と名づく。


現代語訳:

大伴おおともの狹手彦さでひこのむらじ任那みまなに向けて船でつ際に、弟日姫子おとひひめこがこの山に登り、ひれを持って振り招いた。よってこの山は褶振ひれふりの峰と名付けられた。


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しかるに弟日姫子おとひひめこ狹手彦さでひこのむらじと相分れて五日をし後、人あり、夜毎よごとに来ておみなと共に寝、あかときに至れば早く帰る。容止形貌すがたかたち狹手彦さでひこのむらじに似たりき。


現代語訳:

さて、弟日姫子おとひひめこ狹手彦さでひこのむらじが別れをして五日すると、弟日姫子おとひひめこのもとに夜毎にやって来る男が現れた。夜は共に寝て、夜が明けるとすぐに帰っていくその男の見目は、狹手彦さでひこのむらじとそっくりだった。


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おみな、そをあやしとおもひてもだもえあらず、みそか績麻うみをちてその人のすそけ、のまにま、きしに、この峰の頭の沼のほとりいたりて、寝たる蛇あり。身は人にして沼の底に沈み、頭は蛇にして沼のつつみせりき。


現代語訳:

弟日姫子おとひひめこはこれを怪しんで、何もせずにはいられず、こっそりと麻糸をその男の服の裾につけ、麻糸の行末を追っていった。すると、この山の頂にある沼のほとりにたどり着いた。そこには蛇がいた。この蛇の体は人の姿をして沼につかっていたが、頭は蛇のまま沼の岸辺に伏せていた。


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たちまちに、人とりて、すなはちうたひしく

篠原しのはらの 弟姫おとひめの子を さ一夜ひとゆ

 率寝ゐねてむしだや 家に下さむ」


現代語訳:

蛇はすぐに人の姿となって歌った。

 篠原しのはらの 弟姫おとひめの子を さ一夜ひとゆ

 率寝ゐねてむしだや 家に下さむ

(篠原の弟日姫子を一晩連れていって共に寝たならば家に返そう)



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時に弟日姫子おとひひめこ從女とものめ走りて親族うからに告げしかば、親族うからもろびとおこして昇りてしに、蛇と弟日姫子おとひひめこともせて在らざりき。


現代語訳:

この時、弟日姫子おとひひめこの召使いの娘が走って、弟日姫子おとひひめこの親族達にこの事を知らせると、親族達は人を集めて山に登った。ところが、沼のほとりからは蛇も弟日姫子おとひひめこも共に消えていた。


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ここに沼の底を見しに、ただ、人のしかばねありき。

おのもおのも弟日姫子おとひひめこの骨なりとひて、やがてこの峯の南にきて墓を造りて治め置きき。その墓はいまに在り。


現代語訳:

ここで沼の底を見てみると、人の屍があった。皆が「これは弟日姫子おとひひめこの骨だ」と言って、この峰の南に墓を作って骨を納めた。その墓は今もある。


――肥前国風土記より褶振ひれふりの峰

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杯中の蛇影は真か偽か 板久咲絢芽 @itksk_ayame

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