対面

がちゃりとギュードゥルン女史がドアノブを回して開いた先の部屋は薄暗く、ずっしりと重い空気が煮凝にこごりのようにどろりと廊下へと崩れ落ちてくるような錯覚を覚えた。

そんな息の詰まりそうな部屋の真ん中に彼女は放心したように座り込んでいた。


「ソルヴェイお嬢様、またそんなところに」

「ギュードゥルンさん、待ってください。これも一つの手がかりですから、そのまま」


ぼくがそう言うと、ギュードゥルン女史はきまりが悪そうに一旦口を閉じた。

それから気を取り直したように再び口を開く。


「ソルヴェイお嬢様、ランヴァルド様が手配をなさった鑑定士の方がお見えになりました」


それを受けて、ぼくはソルヴェイ嬢のもとへ歩み寄り、膝をついて彼女と視線を合わせた。


「こんにちは、ソルヴェイ嬢。貴女あなたのお父様から依頼を受けて来ました。ぼくはミルカ・ハクリと言います。ご気分は如何いかがですか?」


ソルヴェイ嬢がこちらを向く。

ぼさぼさの髪はこの世界の、しかも貴族の女性としては珍しく短く切られている。そのつややかだっただろう黒い毛先は不揃ふぞろいで、自分で切ったと思われる。

美人だろうと思わせるはずの顔には疲労が色濃く、目の下にはくまが落ちている。

そして、放心した状態から己を取り戻したその目も、生気ではなく、猜疑さいぎと不安と恐怖がぎらりとみなぎっていた。

――予想していたよりも遥かに憔悴していると言える。

その髪型や彼女が着るにはあまりに飾り気のない簡素すぎるローブも、全ては事前に彼女の父親から聞いた話が関連するのだろう。

――長い紐状のものを極端に恐れ、何をもってしても身の回りから排除しようとするという話が。


「……おとう、さま……嗚呼、のお父様ですね、はい」


のろのろと彼女は口を開く。

全身に力が入っているのが見て取れる。極度の緊張状態。

――少し、何か手を打つべきだな。

失礼、と一言断ってから、かばんを開けて中を探る。

目当てのものが直ぐに見つかったので、手近な机の上に小さな瓶を置いて、その中の精油に持って来ていた専用の棒を数本、花を花瓶に生けるのと同じように差し込んだ。

すぐにふわりと優しくも尖った芯に甘さをまとった香りが漂い出す。


「これは以前ぼくが鑑定を担当した越界者の人が、前世の知識を活かして作成したものです。気分が落ち着いて、リラックスできる香りだそうですよ」


ソルヴェイ嬢はしぱしぱと数度、まばたきをしてぼくを見上げた。


「……」

「大丈夫ですよ。ぼくは貴女の話を聞きたいだけです」


そう言って、ぼくは彼女の傍らに彼女と同じように絨毯へと直接腰を下ろした。

ギュードゥルン女史は困ったような表情を浮かべたまま、ドアの脇に立っている。


「……わたしの、はなし…………?」

「ええ、貴女あなたの話です。ソルヴェイとしての今生の話も、そうではない前世の話も含めた貴女あなたの話を」


自我を取り戻した越界者は混乱に襲われることがある。

今生と前世の自我の間の溝が深ければ深いほど、その混乱は大きい。

いい例がぼく自身だ。

ぼくの前世は今生と違って男で、更に言うなら、この世界と違って魔法が存在する世界だった。

ぼくミルカがそれを思い出した時、当然その差異は混乱となった。

幸いだったのは、前世は上位世界と並行世界を認識した上で、世界を渡ろうとする魔法を研究していたことだ。

だから、混乱が治まるのも早かったし、その頃の知識を活かして、こうして鑑定士をしている。

そういう風に、どうにか地続きにできれば、一安心なのだ。

逆に言えば、乖離かいりすれば乖離かいりするほど、その越界者はこの世界で


「ぼくも貴女あなたと同じく、別の世界での生の記憶を持っている者です。その世界と貴女あなたの前世の世界が同じという保証はありませんが、それでも何か力になれると思いますから、どんな些細なことでも話してください」

「……わたし、は」


ソルヴェイ嬢は静かに、ぽつりぽつりとしたたる雫のように、言葉を落とし始めた。

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