沼中の蛇2

青年は神の一柱と数えられても問題ないような存在ではあるが、どちらかといえば魔性に寄っているとも言える存在である。

けれども、それは同じようなものをえてり分けるなら、という話であって、結局のところ、どちらであっても問題がなく、そもそも張本人である青年自身には判定しようのない事だった。


だって、魔か神かは見る者によって変わってしまうのだ。

観測者の物差しありきの結論である以上、ただ満ち足りた孤独にひたりながら弟日姫子おとひひめこを待つ青年はその答えを持ち合わせない。


だからといって、魔と判定されたとて青年にとってはどうでもいいことだ。

観測者なぞ、人ならざるモノでしかない青年からすれば取るに足らぬ瑣末さまつな存在であるし、この幽世かくりよに観測者となる人間はいない。

そも青年には観測者の判定を受け入れる気などない。

混沌たる神代かみよ――神も英雄も地に足をつけた存在だった時代に生の基盤を置いた青年だからこそ、魔と判じるならば、即座に刃向はむかい断じるが良いと思うのだ。

それこそ八岐大蛇やまたのおろちへの仕置きと同じように。

己こそ善とうたうならば、魔と断じた神など引きずり降ろし、いて、くだいて、千切ちぎり、じ切り、にじって、己が権力の基盤にして喰らって飲み込んでしまえばいい。

だから、観測者も英雄もいないこの場にいる以上、青年はただ青年でしかない。


とはいえ、なんの憂いもないわけではない。

如何いかに人の世が時をようと、ここは時の流れぬ幽世かくりよ

人の世に対しては、特に混沌とした神代かみよであれば基本何時でも何処にでも開くことのできる場所。

しかし、弟日姫子おとひひめこを正確に元の場所、元の時間に――つまりは人の世に正式に――戻した場合、流れた分の時の影響を受けるというのが、ここと弟日姫子おとひひめこのいた人の世の関係性だ。

それを考えれば、仮に返せるようになったとしても、もう弟日姫子おとひひめこに返すことはできないだろう。

それでも、返すことも含めての言挙ことあげである以上、青年自身としてもこの言挙ことあげを完遂する必要がある。


だから、


「帰りよ」


帰っておいでと、やさしくそう繰り返し呟くのだ。

どんな物事にも終わりがある以上、いずれ大きな環を描くようにして可愛い弟日姫子おとひひめこ青年の所に帰ってくる。

或いは、螺旋を描くように青年のもとへ落ちてくる。


「帰りよ」


どろりと糸引く甘い声で、繰り返すのだ。


「帰りよ」


ぞろりと虫がうように絡みつく声で、繰り返すのだ。


「帰りよ」


ぎちりと骨がきしむほどに締め上げる声で、繰り返すのだ。


「帰りよ、弟日姫子おとひひめこ


可愛い可愛い弟日姫子おとひひめこ

いずれ去る男に恋した可愛かわいそうな弟日姫子おとひひめこ

真間まま手児奈てこなのように、その生を悲嘆して死ぬ事など、青年

そんな決まりきっていた悲しみなど、淡く甘く儚くそして痛みをともなう感情など、別の何かでぐしゃぐしゃに塗り潰し踏みにじって、ただ一夜の夢と弾けて消える泡沫うたかたとなればいい。

だから、環が閉じるその時まで、あるいはその蜷局とぐろ只中ただなかへ彼女が落ちてくるまで、ただ青年はやさしく甘やかな声で弟日姫子おとひひめこを呼び続けるのだ。

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