杯中の蛇影は真か偽か

板久咲絢芽

目覚め

――帰り来よ帰っておいで


帰り来よ帰っておいで、と声がする。

やさしい声が。甘い声が。懐かしい声が。


それが、わたしは恐ろしい。


暗闇の中から、仄白ほのじろかいなが幾本も伸びてきて、わたしをやさしさのままにからろうとするようで。

おぼろと霧にゆべきわたしの意識を、またわたしの形へと無理矢理に押し込め、し固めるようで。

遠き彼方かなたにしとしたいのに、冷たくずぶりとやわい幾本もの指先が、わたしの髪を、頭を、首を、やさしく鷲掴わしづかんで、わたしのことなど気にもめず、ぐるりとそれに向かわしめる。


忘れさせてなどもらえず、逃げ切ることもできず。

そうして、またわたしは目を覚ます。


仮初かりそめのかたよりも暗くなった視界。

じわりと喉を締め上げるのはすゑの閉塞感。

或いは、見通しの立たぬすゑかたへの羨望。

ぽっかりと口を開けた深くくらふちの見えぬ大穴の上に吊り下げられて、雁字搦がんじがらめの魂が結論に辿り着く。


今生こんじょうもまた、絡め取られてしまったのだと。

――はまだ、わたしを呑もうとしているのだと。

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