第32話 ホルディア事変

「マリウス様! 俺、いい奴隷になりますよ!」




「是非、あなたの奴隷に!」




 ホルディア兵達は自分達を縛り付けていた首輪が破壊された事に大いに喜び、マリウスに絶大な好意を向けてくる。


 向けられたマリウスとしては「奴隷から解放される」という発想を誰もしない事が面白くなかったし、実際にどうするか決めるのはベルンハルト三世だから迂闊な事を言えない己自身も面白くなかった。


 ただ、犯罪奴隷はいなかったと口添えするだけだ。


 こういう時に「サイコメトリー」は威力を発揮する。


 フィラート兵達は縛られた奴隷兵達の熱狂的な主張を複雑そうに見ている。


 戦いを強要されただけの奴隷兵に罪はないと言えども、恨みを忘れる事は出来ないし、圧倒的な力で殺さない戦い方をして見せたマリウスへの遠慮もあった。


 彼らの不満が爆発しないのはヤーダベルスが指揮官達は助からないと匂わせた事と、その指揮官達が全員乱暴された婦女子のように虚ろで生気のない目をしたまま呆然としている姿に溜飲を下げられた事が大きい。


 肉親や友達、仲間を殺戮した奴らは自国の国賓魔術師によって心を完全に壊されたのだ、ざまあみろ!


 という訳だった。






「マリウス殿、大人気のようだな」




 王都に凱旋したマリウスらは民達からも拍手喝采を浴びた。


 特にマリウスに送られたものは盛大だった。


 それらを知ったベルンハルト三世は揶揄と感嘆を混ぜた感想を述べた。


 首輪は完璧に破壊されていた為、研究が不可能になってしまったのだが、これは贅沢と言うべき事だった。


 王は忙しそうに書類を捌いている最中だったから、マリウスは早速用件に触れた。




「奴隷兵達、どうなります?」




「無罪という訳にはいかぬ。しかし、常駐軍に二万もの被害が出た分は早急に埋める必要がある。遺族を刺激せぬように気をつけながら、国に取り込むというのが現実的だな」




 マリウスは予想していたし、納得も出来る裁定だった。




「指揮官達は?」




「死刑にせねば民を納得させるのは無理だろう。ホルディアにも賠償を請求するし、事と次第によって魔演祭への参加を中止し戦争する。マリウス殿に出撃要請する場合もあろうな」




 こちらもやはり予想していたものだったが、足りない部分があったので尋ねた。




「フレッグ殿の事、お聞きになりましたか」




「ああ。残念ではあったな」




 ベルンハルト三世の処理速度が若干緩やかになる。




「だが感傷に浸る暇はない。フレッグがもしホルディアに捕らえられたとすれば、諜報部に関する情報全てが知られた可能性がある。再整備も急がねばならぬ」




 どこか自分に言い聞かせてるような響きだった。




「そして、今回の件の責任をバーナードに取らせて更迭する。……ホルディアめ、たった一つだけ好転させてくれたわ」




 ベルンハルト三世は憎憎しげにはき捨てた。


 フレッグが行方不明になり、諜報網が暴き出され、更にカルノ将軍と配下の兵二万が戦死した。


 フィラートは今回の件で大きな被害を受け、建て直しは急務である。


 害の方が大きいバーナードを失脚させて最悪の事態は避けねばならない。




「私が報告しておきたいのはここからなんですが……奇妙なんですよ。今回の出兵、誰も知らなかったんですよね、成り行きを」




 「サイコメトリー」と「リードシンク」で掟破りの侵攻の首謀者をこっそり調べたところ、誰も知らなかったのだ。


 兵達は女王に激励されただけだし、ニコル以下の貴族士官達は貴族達に発破かけられただけだった。




「砦を落とした将や士官級は何人か代わってまして。妙だと思いませんか?」




 まるで思考や記憶を読まれる事を警戒したみたいに、と付け加える。


 それを聞いたベルンハルト三世の処理速度は更に緩くなった。




「マリウス殿の魔法の事を知っているのは予を含めて五、六人程度だ。ホルディア側が警戒したとすれば、マリウス殿ではなく“月女神の涙”だろう」




 聞き覚えのある名前だ。




「“月女神の涙”は“サイコメトリー”の効果を持つマジックアイテムの一種であり、初代様やクラウス・アドラーが所持していたという話が残っている。想定されても不思議ではない」




 アシュトンらは想定していないから楽なのだが、と言い添えられた。


 想定されても不思議ではない、など言ってる場合かとマリウスは思ったが、我慢した。




「しかし砦を攻め落とした後、交代するのはさほど変でもない。将や士官だけ代えたのも、兵力を補強したり増援を出すそぶりがなかったのは奇妙だが。何にせよ、やっていい事と悪い事がある」




 ベルンハルト三世は不快げに顔をしかめた。


 国家という観点からすれば等価な物事など希少であり、王はより価値のある選択をし続けねばならない。


 そうやって国と民を守り、少しでもいい暮らしを保障せねばならない。




「やはり暗殺事件あたりが原因か? ホルディアがおかしくなったのは……」




 数年前当時の国王夫婦が暗殺されて狂人王女が即位し、貴族派の力は増して重かった税は更に増えたという。




「何にせよマリウス殿、ご苦労であった。下がって休むがよかろう」




 マリウスは一礼をして下がった。


 翌朝、ホルディアで「女王を傀儡にしていた不逞貴族達が女王派のクーデターによって皆殺しにされる事件」が起こったという報が飛び込んできた。










 ホルディア王国。


 バルデラ砦が再度奪還されたという知らせに貴族達は国内最大の貴族、シュナイダー公爵の邸宅に集まった。


 シュナイダー家は傍流とは言え王家の血を継ぎ、王位継承権を持つ家柄だ。


 元々贅沢な生活をしていたが、前王の死後に税率を七割にまで引き上げ、領民達を死なない程度の生活まで落としいれ、着々と財力を蓄えている。


 そして今は女王から権威を剥ぎ取り、国の窮地を凌ぐ為の策を練っていた。


 そこを女王派に襲撃された。




「……三十一、三十二。宰相もいたとはびっくりです」




 千人いた私兵を逃げる暇も反撃する暇も与えず全滅させた後、真っ青になって固まる「反女王連合」の領袖達の顔を確認したのはバネッサであった。




「な、何故……」




 宰相はがたがたと震えながら、声を絞り出した。


 何故ここがばれたのか、何故私兵は全滅したのか、そもそも絶体絶命のはずの女王派が何故攻撃してくるのか。


 いくつもわいてくる宰相の疑問に対し、バネッサは答えてやった。 




「いや、絶体絶命のフリをしたらあなた方は集まって大詰めだって、最後の打ち合わせやるから、そこをまとめて叩けばいいってね。用心深いのや頭いいのは来ないだろうから、せいぜい二十人って聞いてたけど……馬鹿ばかりなんですね。陛下も、微妙なとこで読み違えるなぁ」




 バルテラ攻めも二万残ればいいとか言ってたし、とつぶやくバネッサ。




「な、何だと……」 




 シュナイダー家当主は愕然とした。


 無理な出兵を強行したとして、アステリアの声望は地に落ちた。


 女王一派が真に有能ならば、防ぐ事は難しくなかったはずだ。


 だからこそ今回の集まりを画策したのだが、それが罠だったとは。




「わ、分かっておるのか? 我々を一度に殺せば大きな損失だぞ! 必ず内乱が起こるぞ!」




 シュナイダーの震えながらの指摘にバネッサはあっさり頷く。




「ええ。だから今、なんですよ。ああ、もう殺しても大丈夫ですね」 




 え、と貴族達が思った瞬間、非情な一撃が彼らの命を刈り取った。


 バネッサが言わなくていい事を話したのは、他国の間者が異変を察知して周辺に来るのを待つ為であった。


 他国に潜入しているだけあって皆気配を巧みに殺しているが、バネッサにはバレバレであった。




(間者達は生け捕りにして陛下のとこに、と。忙しいなぁ) 




 バネッサの負担は大きい。


 そしてイザベラが開発した「月女神の涙」と同等の効力を持つ「おしえてくん」を使って諜報網を調べるのだ。


 それに貴族達の家族も襲撃しなければならなかった。


 「テレポート」の効力があるマジックアイテム「転移石」を使うとは言え、時間はかかる。


 他の仲間達が先に行っているものの、バネッサも加わらないと一晩で終わるかは微妙だから。


















「つまり、邪魔な貴族に罪をなすりつけ叩き潰し、事後処理にかかる時間を考慮した結果が今だと?」




「そうだ」 




 女王の真意を聞いて護衛として側にいるイグナートは雲隠れしたくなった。


 つまりマリウスの件はあくまでも目的の一つであり、邪魔な貴族を排除する理由を得る事こそが真の狙いだったという訳だ。


 宰相や大貴族達の首を差し出せば、フィラート国民の感情はなだめられるだろうし、対外的にも問題はないはずだ。


 むろん女王に反感を抱く者を根絶出来る訳ではないが、軍を興して政権を奪取出来る大きな勢力は潰える事になる。




(独りよがりすぎるだろ……)




 イグナートは心の中で舌打ちした。


 アステリアが選んだのは権勢を確立させる為には一番手っ取り早い方法ではあるが、多くの血が流れる方法でもある。


 敵対勢力とは言え自国の者を殺しまくる君主など、果たして歓迎されるのだろうか。


 幼友達だった姉ミレーユによると昔はよく喋りよく笑う無邪気な子供だったのだが、彼女の発言をまともに取り合う者がほとんどおらず、次第に歪んでいき今の性格になったという。


 ミレーユとイザベラがいなければもっと酷くなっていただろう、とも。


 同情する余地はあるが、一国の女王がいつまでも昔に引きずられてる場合かとイグナートは思うのだ。




「ふふふ、それにしても素晴らしい力だよな、マリウスは」




 アステリアは快笑と言うには苦味が多めの表情を作った。


 間者によるとマリウスは首輪や捕虜達の体を何度も触っていたと言う。


 この事から「サイコメトリー」を連想したのはアステリアとイザベラだけであった。


 それほど、「サイコメトリー」が使われていた時代は古い。




「フィラート王も存外迂闊だな。奴隷達の素性をきちんと調べないのであれば、マリウスが使ったのは“サイコメトリー”に類するものだと教えているのと同じではないか。それともわざと手札をさらして、こちらに重圧をかけているのかな」




 アステリアの独り言を聞いてイグナートはあの隣国の狸親父ならありえると思った。


 しかしそれよりも問題がある。




「陛下、フィラートの連中が“サイコメトリー”を使えるなら、今回の件、全部俺らの企みってバレるんじゃないですか?」




「そうであろうな。しかし問題はない」




 何故言い切れるのだろうか。




「フィラートはその事を公開して来なかった。突然“サイコメトリー”使ったらホルディアの言う事はデタラメだったと言い出したら他国はどう受け取る?」




「そりゃ、攻め込む口実に聞こえますね。……あっ」




 他国を納得させ、侵攻する大義名分にはなりえない。


 「月女神の涙」はおいそれと貸したり出来るものではないし、マリウスが言っている事が真実だと証明する事は恐らく機会すらあるまい。


 それだけいかがわしい存在というのが共通認識である。




「でも、マリウスの好感度がガタ落ちってのもまずいのでは? 出来れば味方になってほしいんですよね?」




 イグナートが食い下がるのも無理はない。


 力ずくで無血落城させるような相手を敵と想定するなど、悪夢もいいところである。


 石を池に放り込んだら激怒したドラゴンが出てきたかのようだ。


 ドラゴンの力を見る為に攻撃した訳だからこの例えは正確ではないが。


 根がお人よしな部分にかけて調略を試みる、という選択肢は「サイコメトリー」があるのならば通用しないだろう。




「真っ向からぶつかってみるとしよう。幸いも奴隷を救ったお人よしだからな。意外と活路はあるかもしれないぞ。しくじったら死ぬが」




 自らの死さえも受け入れた者の顔でアステリアは言ったが、イグナートに看過出来る事ではない。




「いや、今陛下に万が一があったらこの国は詰むんですが。自己完結はお止め下さい」




 イグナートが諌めるとアステリアは鼻を鳴らした。




「しかし早いか遅いかの違いでしかないぞ」




 アステリアが言いたい事をすぐに察せた。




「分かっていますよ。魔王デカラビアの封印地なんてものが国内にあるとあってはね」




 アウラニースやザガンほど有名でも強力でもない。


 それでも大陸一つは優に滅ぼす力を有するという、魔王の一角。


 実際に封印地を目で見ていなければ、いくら姉が肩入れしていると言ってもアステリアについていこうとは思わなかっただろう。




「マリウスの好感度をこれ以上下げぬ為に、フィラートの諜報だけは返す。確かマリウスと交流がある女の父もいたな」




「ええっと、確かフレッグでしたか?」




 元諜報機関の長だった男だ。


 彼を捕らえ、「おしえてくん」のおかげでフィラートの諜報網は全て分かった。


 バネッサが捕らえてくる手はずになっている他の国の者達にも使う予定である。


 雀の涙程の効果もないかもしれないが、下がる確率は少しでも低くしておきたいというのはアステリアが言う事にしては珍しくもっともだと思えた。




「全てはこれからだ……」




 アステリアのつぶやきは消えた。


 イグナートは答えない。


 ホルディア新体制は民や他国に受け入れられるのか。


 答えが出るのはまだ先の話だ。


 そんなイグナートはアステリアの真意に気づいていない。

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