第二章
第13話「情勢」
フィラート王国国賓魔術師、マリウス・トゥーバン。
その発表に対する反応は、少なくとも表面上は静かだった。
国民にしてみれば眉唾だという印象より王家への信頼が勝っていたし、他国の者にとってワイバーンの群れを秒殺し、死骸も残さぬ存在など笑い話の種でしかなかった。
それでもフィラート王国と権益を巡って角を突き合わせる事が多い西のホルディア王国と北東のランレオ王国は、事実関係を探ろうと諜報活動に力を入れた。
フィラート王国の強大化は自国の弱体化に直結するからだ。
他国を強大化させる礎になられても困るので、ほどほどの国力でいてほしい、というのが本音であった。
当然、フィラート側は防諜に力を注ぐ……と思いきや、マリウスに関してはほぼ放置していた。
暗殺されるような間抜けではない、という信頼もあったし、実力を知られた方が威嚇になるという判断もあった。
だが最大の理由はどうせマリウスの事を調べられるはずがない、万が一調べ上げるのに成功すればその成果をいただこう、というものだ。
マリウスはかくして国家間の謀戦に巻き込まれる事になる。
もっとも、本人は想定はしていても気にはしていなかった。
一躍有名人になったマリウスは朝食を済ませると、ロヴィーサに引き合わされたヘルカという二十すぎの女性と王都を歩いていた。
彼女はロヴィーサの乳母の娘で、ロヴィーサとは乳姉妹であり、実の姉妹以上に仲がいいという。
王都を見たいと申し出たマリウスの案内役として、ロヴィーサの代わりに呼び出されたらしい。
金髪に小麦色の肌を持つなかなかの美人だったが、既婚で子持ちと聞いた時点でマリウスは興味をなくした。
「あれは貴族街です」
と、ヘルカが指したのは王宮に近い、見るからに高級な邸宅が集合している場所だ。
「宮廷魔術師など、中枢の方々の本宅、貴族の別宅があります」
マリウスにややぎこちないファーミア語でそう説明してくれる。
貴族達の本宅はそれぞれの領地にあって、王都にあるのは王宮に参内する時に利用する別荘のようなものだそうだ。
王宮の壁が二メートル程度しかなく、堀もないのは民や臣下に後ろ暗いところなどないからだという。
それに強力なモンスターはどのみち堀や壁くらい飛び越えてくる、というのもあるとか。
「この国の王族は立派なんですね」
「はい!」
マリウスの世辞を含んだつぶやきに対し、ヘルカは最高の笑顔で答えた。
そんな姿を見て、マリウスは羨ましさを感じた。
自分も信頼されたいし、信頼出来る相手が欲しい、と思う。
歩みを進めると喧騒が飛び交う大きな賑やかな通りに出た。
馬車で通った時は静まりかえっていたが、今は多くの人が行き交っている。
時々、青い首輪をしている人を見かけた。
「ここは中央通りですね。この国で手に入る物なら全てここにあると申し上げても過言ではありません」
ヘルカの説明が決して誇張ではない、と思えるほど様々な店があるようだ。
食べ物を売る屋台、装飾品を並べる露天商、武器や防具のマークが入った看板を掲げている店。
見渡す限り活気で溢れている。
少なくとも、この場面を見た限りではベルンハルト三世の治世は上手くいっているようだ。
マリウスが最も目を引かれたのは、テントのような建物に、ゴザのようなものが敷かれ、青い首輪をつけた人間達が並べられている光景だった。
「あれは……もしかして奴隷ですか?」
「はい。マリウス様がいらっしゃったところに奴隷制度がなかったのならば、ご説明いたしますが?」
ヘルカはマリウスの事情をある程度は知らされている口ぶりだった。
当然と言えば当然である。
「お願いします」
奴隷制度には関心があったので頼むと、ヘルカはすぐに説明してくれた。
奴隷は税金や借金を払えなくなった貧困層の借金奴隷、あるいは犯罪者となった犯罪奴隷で構成されている。
奴隷には功績値というものが設定され、主人の下で働いて功績を上げ、設定分まで溜めると自由になるという。
功績値は借金額や犯罪の凶悪性を考慮して決められる。
(刑期みたいなものか?)
マリウスはそう考えながら説明を聞く。
「奴隷となった者には生きる権利しかありませんが、ほとんどの義務は免除されます。例外は主人の意思に従う義務くらいですね」
これを破った場合、必要功績値が増やされる上、これまで溜めた分はゼロに戻されるという。
奴隷とは元の世界での刑務所に近いかもしれない。
「でも、貧困が原因で奴隷となった者は、また奴隷に落ちたりするんじゃないですか?」
わざと奴隷になったのでない限り、安定した収入が確保出来ない限り再び奴隷になる可能性はある。
そう指摘すると、ヘルカは頷いた。
「借金奴隷の場合、職業技能が身につく仕事をやらせる場合が多いですが、それでも再び奴隷になる人は少なくありません」
職業訓練に当たる事は行われていても、全員救済する事は出来ない。
それがフィラート王国のもう一つの現実だった。
こうして幸福そうにしている人々がいるのは、あくまでも一面でしかないのだ。
マリウスは言い返したくなるのを辛うじて我慢した。
何かをした訳でも優れた代案を持っている訳でもない以上、批判する資格はなかった。
むしろ、働きたくても仕事も食べる物もなく、餓死していく人間がいないだけマシなのかもしれない。
そう考えてやや冷静さを取り戻したマリウスは、他に気になっていた事を尋ねた。
「凶悪犯でも優秀な奴はすぐに功績値を溜められるんじゃないですか?」
「そうお考えになるのはごもっともですが、実はからくりがあるのです」
どんな功績で罪が減じられるかは、奴隷に落とされる時に決められる。
つまり、凶悪な輩は苦手分野で功績値を溜めなければならない場合がほとんどで、解放されるのに数十年かかる。
意外としっかりしてるな、とマリウスは感じつつ更に質問を重ねた。
「自殺で逃げたりしないんですか?」
「先ほど申しあげた通り、奴隷には生きる権利しかありません……つまり自殺する権利はないのです」
つまりどれだけ死にたくても死ねないと言う訳だ。
このあたりは元の世界よりしっかりしていると言える。
どういう仕組みで自害を防いでいるのか気にはなったが、今のところ購入するつもりはないので尋ねなかった。
「奴隷をお望みですか?」
という、ヘルカの問いかけも否定した。
「持ち合わせがないので」
と答えて。
衣食住の心配はしなくてもよくなったが、一文なしという点に関しては変わっていないのだ。
もしかしてそのあたりは聞かされていないのかと思ったマリウスだったが、ヘルカは小さく首をかしげた。
「マリウス様の地位ならば経費で買えますし、ご用立ても出来ると思いますが」
初耳であった。
誰にも尋ねなかったマリウスに非があるのだろう。
だがそれでも、一言教えておいて欲しかった、という気持ちになった。
「でもいいです。必要じゃありませんし、税金の無駄遣いをする訳にもいきませんから」
マリウスがそう答えると、ヘルカはにっこりと微笑んだ。
「ご立派です。そんなお考えだからこそ、国賓魔術師に選ばれたのでしょうね」
買い被りだったが、否定はしなかった。
評価が高いのは悪い事ではないし、否定したところで謙遜と受け取られそうだったからだ。
それよりも知りたい事を優先した。
「生きる権利しかないって、虐待されても文句言えないって事ですか?」
聞いた瞬間、ヘルカの顔から感情が消えた。
ほんの一瞬だったが、マリウスはばっちり気づいた。
「生きる権利、には虐待されたり性交を強要されたりしないという意味も含まれています。守らないと犯罪奴隷ですよ?」
「なるほど……」
奴隷管理は想像していたよりも厳格だと分かった。
性奴隷云々は本来女性に訊くべき事ではないからどう切り出そうか思案中だったが、ヘルカ自身の方から振ってきたのなら問題はないだろう。
ただ、先ほど刹那的に見せた表情が気になった。
何やら悪い方に解釈されてしまったように見受けられたが、原因には思い至らなかった。
変な報告を国王にされない事を祈りながら、奴隷売り場を横切る。
「お昼ご飯はいかがなさいますか?」
そう尋ねられ、マリウスははたと困った。
出来れば外で食べて通貨や物価なども知りたいのだが、子持ちの人妻をどれだけ拘束していいのかにわかに判断しかねた。
ファーミア語を話せる者がロヴィーサとヘルカだけならば、どちらかが教師役に選ばれ、拘束してしまう事になるのだが。
(多分、他にいないんだろうなぁ)
もしいるのならば、わざわざ子持ちの人妻を選んだりはしないだろう。
マリウスはそう結論を出すと、質問に答える。
「安いところがいいですね。それより、お時間はいつまで大丈夫なんですか?」
「王都は基本的に高いですよ。昼食が終えたら、一度王宮に戻るように、との事です」
やはり長時間拘束するのは難しいのだろうか。
形のいい眉を寄せるヘルカを見て、マリウスは学習意欲を燃やした。
そして料理は「何でもいいが一番困る」と手料理をご馳走してくれた子達が言っていた事を思い出した。
「では、ヘルカさんのお気に入りの店でおすすめの料理、というのはどうですか?」
それならばいちいちメニューを読んでもらわなくてもすむ。
ヘルカもそう思ったのだろう、頷くと「こっちです」と歩き出した。
二人が入ったのは大通りに面した「月の満ち欠け亭」という店だった。
カウンターに椅子が十、二人がけのテーブルが二つ、四人がけのテーブルが六つと、広さはそれほどでもない。
二人がけのテーブルが一つ空いているが、それ以外は満席で人気がうかがえた。
「ここ、時々お忍びで来るんですよ」
ヘルカの言葉に主語はなかったが、マリウスは誰の事か察した。
「となると、味も値段も一流なんじゃ?」
ロヴィーサが値段で店を選ぶような人間だとは思わなかったが、安全性なども考慮すれば自ずと店は限定されてくる。
「はい。一食千五百ディールから二千ディールくらいでしょうか」
ディールというのはFAOでの通貨の事だ。
こちらの世界、と言うより大陸でも同じなのはマリウスにしてみればありがたい。
千五百ディールの価値がこの大陸でどの程度なのか見当がつかなかったので、マリウスは更に尋ねてみた。
「地方だとどれくらいなんですか?」
「地方のお店ならもう少し安いと思いますが、あまり詳しくなくて……」
申し訳なさそうなヘルカを見て、マリウスは自分の迂闊さに気づいた。
母が王女の乳母に選ばれたくらいなのだから、彼女の実家はかなり地位が高いはずだ。
領地経営に携わる立場でもない限り、地方の物価に詳しくないのは決してありえない事ではない。
これについてはロヴィーサも同様だろう。
ターリアント語を習得し、自分で調べるのが結局一番早いのかもしれない。
かれこれしているうちに料理が運ばれてくる。
白パンに海草サラダ、ポテトスープ、タイガーロブスターの七菜添えで、ヘルカの飲み物は薔薇水、マリウスはカカオ茶だ。
意外な事に量は多かったが、更に意外な事にヘルカは軽々と平らげていく。
ロヴィーサと言い、少なくともフィラート王国には健啖な女性が多いようだ。
話題が途切れたので、マリウスは気になっていた家庭の事について尋ねてみる事にした。
「ところでご主人やお子さんは大丈夫なんですか?」
「子供は物心がついて手がかからない年にはなってますし、守り役もついてますから平気です」
子供はもう五、六歳になっているらしい。
守り役がいる事は想像出来たが、子供が物心がついた年齢だというのには驚かされた。
外見上は大きくてもせいぜい二、三歳児がいるようにしか見えないからだ。
「それに夫は私の役目を充分理解してくれています。夫の名前はアルヴィンと申しますのよ」
「アルヴィン?」
マリウスにも聞き覚えのある名前だった。
国王父娘の護衛をしていた騎士の一人がそんな名前だったはずだ。
マリウスの表情を見て、ヘルカはくすりと微笑んだ。
「おかげさまで夫も救われましたし、私も未亡人にならずにすみましたわ。あなた様に出来る限り協力する、というのが私ども夫婦の意思です」
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