第9話「凶報」

 レイモンドの召喚獣サーヴァント、通称「チョーくん」は主人の下を飛び立ってから約五分で王都に着き、そのまま王宮を目指した。


 白く伝統と荘厳さを感じさせる王宮が見えてくると、異変を察知したらしい、レイモンドの上司ルーカスが外で待っていた。


 主人の「一秒でも早くルーカス様の下へ」という命令を果たすべく、老年の魔法使いの胸へと飛び込んだ。




「おお、よしよし。……何じゃと」




 チョーくんは言語能力を有さないが、思念を相手に飛ばす能力を備えていて、レイモンドに言われた事をルーカスに伝えた。


 事態を察したルーカスは顔色を変えると、近くにいた王宮の警護兵に命じた。




「大至急、戦時警報を発令せよ!」




「は? はは、直ちに!」




 兵は一瞬だけ呆けたが、ルーカスの様子に事態の深刻さを見て取ったのであろう。


 大急ぎで王宮の庭に駆け出した。


 王宮の庭には王都内に住む者の脳内に直接音が響く、魔法の太鼓が据え付けられていて、今回のような非常事態にのみ鳴らされる。


 兵士が叩くと、低く重く、腹にずしりと響くような太い音色が、王都内にいる全ての人間の脳へと届く。




「戦時警報だと!?」




 王宮内で職務に当たっていた宰相や王子、宮廷魔術師、近衛兵達は驚き慌ててて外へと出る。




「何事です!?」




 貴族婦人達と優雅なお茶会を楽しんでいた王妃も、駆けつけた侍女達を連れて小走りにルーカスの下へ向かう。


 戦時警報が一度発動されると、一般の市民や貴族は全て帰宅し、兵士は完全武装して所定の待機場所で王宮からの沙汰を待たなければならない。


 そして、王族、政府高官、軍の上級指揮官達は王宮に集わなければならない。


 現役の国王すら従わないと罰を受ける、絶対の命令である。


 大きな混乱が起こっていないのは、有事の際に、と定期的に訓練を重ねていたからだ。


 発令されてから約五分後、まだ市民の帰宅や兵の配置はすんでいないが、主だった者達は全て王宮の庭に集い終えた。


 王妃マルガリータ、王子エルネスト、宰相ファルク、大将軍グランフェルト、フィラート騎士団長ヤーダベルス、近衛騎士総長ユーゼフ、魔法兵団長ニルソン、諜報部部長フレッグ……その他、将軍や宮廷魔術師達、大臣や書記官ら。


 それらを見渡しながら、宮廷魔術師長にしてフィラート最強の魔法使いたるルーカスは口を開いた。




「ルンベル山にてワイバーンの群れの襲撃を受けたと、レイモンドより急報を受けた」




 一瞬の空白、そして一気に喧騒が起こる。




「ワイバーン!?」




「ルンベル山!? 諜報部は何をやっていたんだ!」




「陛下、陛下はご無事か!?」




 悲鳴に近い怒号が飛び交う。


 ワイバーンの群れがルンベル山に出るなど初耳だったし、情報を得られなかった諜報部は死罪に値する失態である。


 諜報部の最高責任者フレッグは卒倒しそうになった。


 召喚獣が王都まで辿り着くなど、ありえないほどの奇跡だ。


 そして、十人そこそこの手勢でワイバーンの群れと遭遇してしまったという事は……最悪の事態が一同の頭をよぎり、狂乱を生んだ。


 ルーカスが不自然な程に冷静だと、誰も気づかなかった。


 そんな中、王妃が両手を激しく打ち鳴らした。




「静まりなさい」




 顔は青く、声は震えていて力がなかったが、だからこそ廷臣達の心に響いた。


 一番辛いのが誰か、皆は思い起こしたのだ。




「ルーカス。続きを」




「は」




 気丈に振舞う王妃に軽く頭を下げ、ルーカスは続きの情報を発した。




「ヴィンセント、オスカー、ヘクターの三名が殉職。助勢があり、ワイバーンの群れは撃退に成功」




 たった一人の魔法使いがワイバーンの群れを消滅させてしまった、という情報は意図的に伏せた。


 王が不在の今、収拾がつかなくなる恐れが高いからだ。


 再度空白の時間が生まれたが、次に沸き起こったのは歓声、そして疑問だった。




「陛下はご無事なのか!」




 大きなどよめきと安堵感に場は包まれ、険悪な空気は一気に吹き飛んだ。


 少しずつではあるが、落ち着いたものへと変わっていく。




「助勢とは一体、どこの軍でしょう?」




「そもそも何故助勢出来たのだ?」




「ルーカス殿、そのあたりはどうなっているのです?」




 国王の襲撃と救出、偶然にしては出来すぎている。


 多くの者がその事に思い至り、ルーカスへと視線を集中させた。


 これ以上は隠し通せないと悟り、ルーカスは公開する事にした。


 自分でさえ到底信じられないような情報を。




「……たった一人、たった一人の魔法使いが倒してしまったそうだ」




「は?」




「え?」




 驚く事に慣れている面子が今度こそ思考停止に陥った。


 真っ白になった頭に、ルーカスの言葉だけが響く。




「たった一人? 魔法使い?」




 口に出して反復したのは宮廷魔術師の一人であり、魔法兵団長でもあるニルソンだった。


 同じ魔法使いだからこそ、ありえなさを誰よりも理解出来た。


 そして最も混乱していた。




「ワイバーンを一頭倒すのに必要な魔法使いの数は、確か十人くらいではなかったか?」




 と、質問を発したのは大将軍であり、軍の最高責任者でもあるグランフェルトだった。


 さすがに立ち直りは早かった。


 そのグランフェルトに対して、ルーカスが答える。




「個人の力量にも変わりますぞ。私やニルソンなら三、四人でしょうか。いずれにせよ、ワイバーン相手に前衛なしなど、到底考えられませぬな」




「同感です」




 ニルソンも何とか立ち直り、ルーカスに相槌を打った。




「そもそも、ワイバーンは魔法に対して高い抵抗力を持っていて、攻撃力も機動力も我々魔法使いにとっては脅威です。前衛が三人は欲しいところです」




 またもどよめきが起こる。


 魔法使い達の会話を聞いていた騎士団長のヤーダベルスが、ルーカスに尋ねた。




「ルーカス殿、群れと仰るが、具体的にワイバーンは何頭いたのです?」




 ワイバーンの場合、三頭以上で群れ扱いとなる。


 だから親子三頭だったのかも、と意味があるようなないような、ヤーダベルス自身でもよく分からない疑問をぶつけた。




「どうも六頭いたようで」




 シン、と水を打ったように場は静まり返る。


 ワイバーン六頭に対し、魔法使いがたった一人で勝つ事の異常さ。


 他の者達もはっきりと、異常さの度合いについて理解したのだ。




「まあ、ワイバーンの死骸を手に入れれば、我らの装備も向上しましょう」




 ユーゼフは好材料を指摘したつもりだったし、事実ほとんどの人間は気をよくした。


 例外だったのはワイバーンの死骸などないと知る、ルーカスくらいなものだ。


 死骸が残っていない、とはとても言い出せる事ではなかった。


 いずれ気づくだろうが、先送りにしたい心境だった。




「それよりも、今回の事件が外国の召喚師によるものだとすると、王妃様や王子も危険ではありませんか?」




 宰相のファルクが雰囲気を変えるべく問いかけると、ハッとした者と頷いた者と半々に分かれた。


 ルンベル山でワイバーンが目撃された例はこれまでにない。


 それどころか、生き物すら滅多に見かけないという。


 奈落の湖と合わせて不気味で異質な場所として国内では有名であり、同時に王が巡視の際に通る事もよく知られている。


 外国の人間が情報を得る機会はいくらでもあっただろうし、飛行能力を持つモンスターなら国内を悠々と通過して襲撃出来るという訳だ。


 敵は外国の召喚師、という認識が急速に広まる。


 そして、狙われるのは王と王女だけではなく、王妃や王子もだと考えた方が自然ではないか、という考えもほぼ同じくして起こってくる。


 現在のフィラート王国で王位継承権を持つのは王妃、王子、王女の三人だから、王を含めた四人が死ねば国内で大規模な混乱が発生するであろう。


 その考えに全員が到達し、生唾を飲み込んだ。




「それ故の戦時警報だったのだ」




 ルーカスの重々しい答えに一同は納得する。


 確かに王妃と王子の身を守るのに猶予はない。


 ここで一同の視線はグランフェルトに集まる。


 王が不在の今、軍の指揮権を握っているからだ。


 グランフェルトが目で王妃に許可を求め、王妃は小さく頷く事で承認する。




「まず、大至急陛下のところへ部隊を送るべきだ。早い程いい。騎士団の魔法騎士隊に出動を命ず。選りすぐりの五百騎を連れて行け」




「はっ。大至急出動させます」




 グランフェルトの命令にヤーダベルスの副官、ドーソンが駆け出していく。


 魔法騎士隊とはフィラート屈指の精鋭部隊であり、その名から察せられる通り全員が二職だ。


 馬を魔法で強化し回復させながらの進軍を可能とする集団で、その速さは国内随一を誇り、一秒でも早く王の下へ駆けつけるには最適の一団であった。


 選りすぐりの五百騎なら最高速度を保てるし、ワイバーンが十頭いても撃退出来る。


 そういった判断である。




「近衛は王妃陛下と王子殿下の護衛だ」




「はっ」




「騎士団は警備兵と連携し、王都を防衛につけ」




「はっ」 




「魔法兵団は二分する。王妃殿下と王子殿下の護衛、王都の防衛に半数ずつ当たれ」




「は」




「諜報部は国内の全ての軍と街に連絡し、警戒を呼びかけよ。同時に国内の情報全てを再度洗い直せ」




「ははっ」




「私は王都で指揮をとる。ルーカス殿はユーゼフの指揮下に入り、ここを守っていただきたい」




「はっ」




 グランフェルトは矢継ぎ早に指示を出していく。


 全て終えると、王子のエルネストが初めて口を開いた。




「我らが民草、何としても守り通して欲しい。私からはそれだけだ」




 見栄でも虚勢でもない、実直な態度に軍属の者達は好感を持った。


 王妃も頷き賛意を示す。




「我らがフィラートの正念場だ。三杖に懸け、国難を撃ち払え」




「おおっ!」




 三杖とは、軍・政・民を杖に見立てて互いに支えあう姿を描いたとされる、フィラート王国の国章である。


 三杖に懸けるとは、国家の為に誇りを持って死力を尽くすという、フィラート国民にとって最も重い誓いだ。


 グランフェルトの檄に応え、軍人達は割り振られた持ち場へと急ぐ。


 彼らの士気の高さに反して、文官達の方は沈んでいるとさえ言えた。


 王妃と王子に一礼をし、職場に戻っていく足取りは重い。




「だからもっと供を連れて行くべきだったのだ」




 王妃と王子を憚って声には出さなかったものの、多くの大臣や書記官らがそんな想いを抱いていた。


 王と王女が巡察に赴くのには、多数の護衛と世話係が同行するのが常であった。


 それをベルンハルト三世が「税金の無駄遣いだ」と止めさせたのである。


 エマは三職であり、並みの侍女五人分程度の働きをする事は周知の事実であったし、国家財政に余裕がない事もあって反対意見はしぼんでしまった。


 国内の治安も高水準を保っていたし、不穏な動きも見受けられない。


 ルンベル山を通るのなら「豪華すぎる戦力」と揶揄に近い評さえあった程だった。 


 しかし、今、そんな事は彼らの頭から消え去っていた。


 軍が行動を起こす以上、物資と金を大きく消費する。


 財政の負担を軽くする為だった王の行いも、結局かえって圧迫させる結果となってしまったのだ。


 「努力したけどダメでした」が許されるのは子供だけだ。


 王はそこまで遠くにいる訳ではないのがせめてもの救いだろうか。


 魔法騎士隊が全速で駆ければ恐らく三十分以内に合流出来るはずだ。


 しかしながら、国家規模で考えれば大して慰めにならない。


 敬愛する主君と言えど、心の中で愚痴を言いたくなったとしても責めるのは酷というものだろう。


 そして文官達の筆頭で、宰相たるファルクには更なる懸念事項があった。


 今回の件が全て寝耳の水だった事だ。


 諜報部が何の情報も掴めなかったなど、お粗末にも程がある。


 唸るような優秀さはないものの、決して失望はさせて来なかった者達がだ。


 ファルクの頭脳が導き出した可能性は二つ。


 国内に、それも中枢に裏切り者がいるというのが一つ。


 もう一つは、フィラート王国の人材達の手に余る物事が起こりつつあるという事……例えば魔人デーモンの暗躍だとか。


 二つ目の可能性を考えた時、ファルクは自身の心臓が凍りついたかのような感覚に襲われたが、すぐに考えを打ち消した。


 魔人デーモンが黒幕と考えるなら、攻撃がぬるすぎるからだ。


 魔人デーモンとは原則としてモンスターが長い年月をかけて力を蓄え、進化した存在である。


 強大な力を持ち、人に近い姿をとり、多数のモンスターを率いて軍団を築き上げる事が可能だ。


 過去を振り返ってみても、魔人デーモンの戦力がワイバーン六頭程度の戦力で襲って来た事などはないし、第一不意打ちされた王が助かるはずもない。


 そもそも、フィラート王国の国力が落ちた最大の原因が魔人デーモンなのだ。


 ……この時のファルクは二つの可能性を見落としていた。


 王を助けた者が魔人デーモンすら凌駕する力を持っている、というのが一つ。


 もう一つは魔人デーモンを超越したものの存在。


 もっとも、誰もファルクを責める事は出来ない。


 どちらも遠き過去の伝説として扱われる者達なのだから。

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