第29話 バルデラ陥落

「参戦……? マリウス殿が?」




「はい」




 バルデラ砦が半日足らずで陥落という報による重苦しい雰囲気は、マリウスの発言によって吹き飛ばされた。




「ありがたいが……しかし、マリウス殿、失礼ながらその手の経験はなかったと言っていたではないか」




 怪訝そうなベルンハルト三世にマリウスは種明かしをした。




「殺さなくてもいいのならば問題ないですよ」




 謎めいた発言に王は首を傾げたが、ルーカスとニルソンとエマがはっとして答えた。




「そうか、状態異常魔法!」




「はい」




 マリウスの返事に大きなどよめきが起こった。


 彼の魔法威力が桁外れな事はもう皆に広まっているのだ。




「なるほど、それならば殺さずに敵を倒せるな」




「はい。味方を巻き込まないように気をつけねばなりませんが」




 マリウスが苦笑すると、小さくではあったが笑いが起こった。


 マリウスは王の許可書を受け取って「テレポート」で野営場所へ戻った。


 ──これがアステリアの狙い通りだと知る者はフィラートにはいない。


















「これは死兵……?」 




 カルノはやはりという思いが勝った。


 ホルディア兵は全員が死に物狂いで、味方がどれだけ殺されても怯まずに突撃してくる。


 戦いが始まったばかりで、それも攻城側の兵が死兵となるとは。




(補給部隊がいないのはこの為か!?)




 他には思いつかなかった。


 侵攻が速すぎて焦土作戦は出来なかったが、それでも十五万の兵が補給なしにここまで来るのに満足な食事を摂れたはずがない。


 例え魔法でカバーしたにせよ、正規兵ならば皆脱走してしまったであろう酷さだ。


 しかし「砦を攻め落とせば腹一杯の飯が食える」と思えば、奴隷兵ばらば最後の力を振り絞って戦う……まさにそんな様子だった。


 敵は途中で脱落者が出たのか十五万もいなかったが、それでも自軍の五倍近くはいるし、それらに四方を囲まれ死兵となって攻めたてられる圧力は並々ならぬものがある。


 それでも何度も苦境を経験してきているフィラートの兵達の士気は高かったが、大苦戦しているのには訳があった。




「ぎゃあああ」




 断続的に爆発音が響き、敵とともに味方も戦闘不能になっていく。 


 奴隷の首輪に仕込まれた自爆魔法の一種であった。


 それも味方を巻きこまない為だろう<城壁を上れた者だけ前方にのみ攻撃が発生する>という悪辣さだった。


 倒している数ではフィラートの方が勝っているのに、自爆魔法のせいで物量差がはっきりと出始めていた。




(このままではまずい)




 カルノは防衛の名手であり、だからこそ現在の窮地が理解出来た。




「巨弩バリスタ、用意急げ!」




 巨弩とは兵士が数十人がかりでやっと運べる巨大な槍を射出する兵器で、本来は城門破壊やドラゴン撃退の為に使われる。


 バルデラ砦には二台しか備えられていない切り札を、カルノは一発逆転の為に使う事にした。




「巨弩、用意出来ました」




「敵軍指揮官を狙う!」




 カルノは敵軍の首脳を巨弩で吹き飛ばして指揮系統の消滅、そうでなくとも敵兵の士気を砕く作戦に出たのだった。


 相手が飢えている以上は勢いさえ殺せば互角以上に戦えるはずだし、そうなれば戦局は一気に好転する。




「将軍、敵指揮官の位置が掴めません!」




 悲鳴交じりの絶叫が返って来る。


 大量発生した蝗達のように群がって来るホルディアは本陣を置いておらず、どこに大将がいるかは分からなかった。


 そんな事くらい百も承知のカルノは城壁の下を睥睨した後、自分の言う位置に照準を合わせさせた。


 大将の位置はともかく、各部隊に指示を出している者達の居場所ならば読める。


 直接の上官や同僚の兵士が目の前で吹き飛べば動揺するだろうという狙いがあった。




「放て!」




 号令に従い、東と西で兵士達がそれぞれ三人がかりで動かす。


 対城砦、対ドラゴン用の兵器を人間に向けて撃てばどうなるのか。 


 その答えがカルノの目の前に広がった。


 射出された巨大な槍は暴風を巻き起こし、射線上とその周囲にいたホルディア兵を物理的に吹き飛ばしながら飛んでいく。 


 地面に着弾すると先端部分が爆発し、つんざくような轟音とともに近くにいた不運な者を風で薙ぎ払った。 


 カルノの目算でそれぞれ一万強の死傷者を出し、東と西はもちろん、北と南から攻めていたホルディア兵までが凍りついた凄まじい破壊力だった。




「巨弩は装填に時間がかかる! 死にたくなければ次が来る前に攻め落とせ!」


 


 大きくよく通る声が響き、ホルディア兵達はたちどころに我に返って再び突撃してきた。 


 


(何だと!?) 




 カルノやフィラート軍には到底信じられない事に、ホルディア兵は誰も逃げようとはしなかった。


 それどころか前よりもずっと必死になってきている。  


 カルノの計算は完全に狂ってしまった。 


 一般兵なら大量に逃げたであろう今度の行軍の無謀さが分からなかった愚直な奴隷兵と言えど、死の恐怖に直面すれば逃げ出すはずだった。 


 これは机上の計算などではなく、過去に何度もホルディア軍と戦った経験にもとづいたものであった。 


  それだけにカルノらが受けた衝撃は大きかったが、指示を出しながらも懸命に頭を働かせていた。




(まさか逃げても自爆させる……? 攻め落とすしかない、そんなギリギリまで追い詰められた状態なのか? そこまでする輩が現れたのか?)     




 ホルディアがいくら奴隷に冷淡だからと言っても普通ならばありえない。


 大切な輸出品であり、戦力であるからだ。


 しかし現在の摩訶不思議な状況を説明するには他に考えられなかった。




「むごい事を! 味方が、人が人に対してやる事か……!」 


 


 カルノが苦境を忘れて思わず義憤に駆られた程、残酷な仕打ちだった。 


 されどここまで見事にはまった以上、残酷や無謀だけとは言えない。


  


(冷酷で恐ろしい策士がいる……)




 誰なのかさっぱり見当がつかないが、何としても包囲網を突破してこの事を味方に知らせなければならない。


 ただの暴論を成功するように持ってきた、おぞましいまでに冷徹な策はある事を想定していなければきっと打ち破れない。


 陥落は最早時間の問題だ。


 抜け道が存在しない以上、包囲の一角を崩す必要がある。 




「私が囮になる。その隙に逃げよ」




 カルノは己に脱出をすすめる者やとともに死のうと願い出た者を叱りつけ、


命令を飲ませた。 


 戦場において敵大将を討つ事は大手柄であり、ホルディアに顔を知られているカルノが現状で脱出する事は非常に難しい。


 彼が注意をひきつけている間に情報を持った者達が突破を図るというのが現実的だった。


 その狙いは当たり、部下諸共壮絶な戦死を遂げたが、肝心の者達は辛くも血路を開いて逃げ延びた。
















 バルデラ砦陥落の知らせが届き、廷臣達は狼狽えアステリアを廃しようとする動きが活発になった。




「どいつも馬鹿ばかりか」




 アステリアは私室でお茶を飲みながら愚痴をこぼしていた。


 魔人達のちょっかいは散発的なようでいて、少しずつ間隔が短くなってきている。


 そしてマリウス・トゥーバンという、英雄クラスの実力者の出現。




(どう考えても魔王復活の前触れではないか!)




 過去の歴史を調べればすぐにでも分かる事なのに、どうして他の誰も想像すらしないのか。


 ひたすら権勢争いなどに終始している。


 魔王ザガンが封印されてからもう三百年が経過し、破壊された文明は復活しきれていないものの、人類国家は充分すぎるくらいに繁栄している。


 ターリアント大陸では過去に何度も魔王が復活しているが、それよりも先に人類国家が壊滅していたという例はない。


 恐らく魔王と魔人の間で何らかの取り決めがあるのだ。


 過去に何度も同じ事が起こっている以上偶然で片付けるのは危険なのに、誰もアステリアの言を信じず、結果として「狂王女」などと呼ばれるようになったのはもう遠い過去のように思える。




(いや、数人だけ信じてくれる者はいる)




 チラリと視線を走らせると表情を殺して侍女が数名控えていた。


 肉親からすらも見放されたアステリアを信じ、忠節を尽くしてくれている者達だ。


 目的の為には手段を選ばず「無情」「酷薄」「冷血」と悪し様に言われているアステリアさえ、この者達を生贄とするのは躊躇われる。


 しかしながら彼女の考えが間違っていなければ、遠からず魔王は復活し人類の大半は死ぬだろう。




(セラエノだけはどうやら感づいている節があるが……)




 国土の奪還などを考えず、ひたすら兵の錬度を上げているのはそういう事ではないのか。


 ホルディアの民が死ぬ可能性を少しでも減らし、国を繁栄させるのが彼女の使命であった。


 その為には私情に囚われる事は許されない。




「陛下、よろしいでしょうか」




「何だ?」




 侍女の一人、ミレーユの問いかけに優しく答えた。


 忠実な同世代の侍女が自分に気分転換させようとしている事に気づいていたからだ。




「今回の件で陛下の狙いが分かりませぬ。むざむざと大陸全てを敵に回すおつもりはないと愚考いたしますが、無知な私にどうかお教え下さい」




 ミレーユの言にアステリアは顔をしかめた。




「己を卑下するな、ミレーユ。……そなたらに存念を明かすのは構わぬが、すぐにでも分かろう。マリウスに軍が打ち破られる事でな」




 侍女達は誰も驚かなかった。


 イグナートに密かに帰還命令を出してある事を知っていたからだ。




「よもやとは思いましたが……奴隷兵とは言え、十五万もの兵を失っては後々に響く事はないのでしょうか?」




「構わぬさ。マリウスは人殺し経験がなく、嫌っている節さえある。ならば状態異常魔法での捕獲を試みるだろう。それに補填のアテもある」




「しかし、味方と認識している者以外は皆殺し、という気性の可能性もございますが?」




 ミレーユではなくイザベラの問いにもアステリアは笑って答えた。




「それならば本来の気性と力を見れてよし、だ。どう転んでも損はない」




「しかし、マリウスという者が切れ者で陛下の狙いを全て看破した場合は如何なさいますか」




「その場合は我の本心を打ち明けるさ。それ程の切れ者ならば、我のやり方はともかく目的には賛同してくれるだろう」




「フィラートの為にも絶対に許さない、と言われた場合は?」




「この身を捧げて許しを乞うという手もあるな。我が守備範囲内ならば、の話だが」




「陛下はもう少し、ご自身に自信をお持ちになった方がよろしいかと」




「王が容色を誇ってどうする」




 アステリアは肩を竦めた。




「陛下の御身を差し出しても許されなければ?」




「その時は死ぬしかないな。実はと言うと、我が懸念しているのはその事なのだ。フィラートの操り人形ならば問題はない。しかし、フィラートの力を利用しているだけの切れ者で、なおかつフィラートに強い執着を持っている場合、実に面倒な事になる」




「陛下の策と言えども穴はございますのね」




「穴のない策など恐らくあるまい。神ならぬ人の身ではな」




 アステリアは言葉を切り、紅茶を一口含んだ。




「しかし王となった以上、出来る限りの事はしておかねばならぬ。せめて魔人は撃退出来るよう、国や軍を育てなくてはな」




 結局ミレーユの問いかけは一切答えられ事なく話は逸らされたが、彼女に不満はなかった。


 狂王と呼ばれながら実は責任感の強い自分の主人が、鬱屈した顔を止めただけでも成果はあったと言える。




「それにしてもイグナート様はお見事ですね。成功させただけでなく、五万もの兵を残したわけですから」




「うむ。そこはいい意味で計算違いだったな。二万も残せれば上等だと考えていたのだが」




 ミレーユにアステリアは無慈悲な事を平然と口にした。


 イザベラが主人の言葉に対して首を傾げる。




「私が作った爆破魔法、そんなに役たたずでしたか?」 




「いや、そうではない。それにあの魔法はいい撒き餌になるぞ」




 イザベラは更に疑問が深まった。




「あれはダメ魔法だから他国に流れても私は平気ですけど。魔法が他国に流出するのは損害にはなりませんか?」




「だからこそ餌になるのだ」




 アステリアが意味深な笑みを浮かべ、イザベラが更に問いを重ねようとした時、今まで一言も口をきかなかったバネッサが突然鋭く声を発した。




「陛下、ミレーユ、イザベラ」




 それを聞いたミレーユとイザベラがアステリアを庇う位置に立つ。


 直後、窓から黒い影が複数、アステリアをめがけて飛んでくる。


 それを室内の誰も認識出来ない速さで移動していたバネッサが全て叩き落した。


 短刀が数本、床に突き刺さる。




「敵、か。何者でしょうね」




 イザベラのつぶやきにアステリアは苦笑した。




「多すぎて絞りこめぬな」




 周囲を固める侍女達の力量を信じていたし、ダメだった場合は諦めがつくと覚悟は既に出来ているのだった。


 アステリアが笑いを引っ込めると同時に、黒い塊が四つ室内に飛び込んできた。


 それを目がけてバネッサが隠し持っていた短刀をまとめて投げつける。


 窓の外から飛来した短刀や人間よりもずっと速く飛び、影達に襲い掛かった。


 反応し弾いた影は二つだけで、残り二人は喉を貫かれてその場に倒れた。


 そして生き残った影の一人の目の前にバネッサは移動し、短刀で喉を切り裂いた。


 瞬く間に三人が倒された事に残り一人は驚きと動揺を隠しきれず、そこをイザベラに狙われた。


 短刀での一撃は辛うじて防いだものの、直後にバネッサに短刀を首に突き立てられあっけなく沈んだ。


 その間ミレーユはずっと窓の外を警戒していた。




「弱すぎ……ミレーユの出番がないなんて」




 バネッサが短刀を布で拭いながらあきれた声を発したのも無理はなかった。


 侍女達は何度もアステリアを狙ってきた暗殺者を全滅させている。


 最強のバネッサが苦戦させられた猛者もいた程だったが、ここに来て襲撃者が弱くなったというのは二つの可能性が考えられた。




「恐らくそなたらの力量を知らなかったか、腕利きの底が尽きたか、だな」




 アステリアは今のは陽動という可能性なども考えていたが、警戒を解いたバネッサを見てすぐに捨て去った。


 襲撃の頻度を考えれば後者の可能性が断然に高いものの、断定出来るだけの材料は不足していた。




「まあいい。こいつらの死体を“奴ら”への札に使おう」




「御意」




 ホルディア女王とその侍女達にとっての日常があった。

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