第31話 マリウスVSホルディア軍
バルデラ砦を制圧したホルディア軍は、砦内に備蓄されていた食糧を用いた豊かな食事を楽しんでいた。
調査結果、五万程度の兵力ならば一年は立て篭もれるだけの蓄えがあると判明したので、疲労困憊の兵に英気を養わせる為にも大盤振る舞いされたのだ。
本国に召還されたイグナートに代わって守将となったニコルは上機嫌であった。
彼はアステリア女王の失脚を目論む一派の人間であり、女王が失脚した後は処刑された事にして愛妾に迎え入れる腹積もりであった。
口も態度も王族にあるまじき酷さだが、容姿だけは隣国のロヴィーサ王女にも匹敵する。
今頃、彼が属する派閥の者達が事を起こす準備をしているはずだ。
微妙になってしまった情勢を悪化させない為にも、大軍を興して王都を包囲するという訳にもいかないが、最早女王は少数派だった。
狂人女王を支持していた物好きな者達のほとんどは、今度の無謀で非常識な出兵でそっぽを向いてしまったのだ。
ホルディアはかつて不文律を破って大陸を敵に回し、敗北を喫したのが大きな心的外傷になっている。
それを軽んじたのが女王最大の失策と言うべきであろう。
若くて美しいくせに腕が立つ侍女達に撃退されたらしいが、先日暗殺者達を放ったのはニコルらとは別の勢力だ。
「俺の時代が来る!」
ニコルは己の未来の明るさを確信をしていた。
彼はまだ若いし年寄りの貴族には信頼され、同世代にも人気があった。
斥候の報告によると今日にもフィラート軍が攻めて来るであろうが、マリウス何某という魔法使いさえ撃退すればいいと思っていた。
「ニコル様、敵が来ました」
副官がやってきた。
将軍と呼べと言ったら「正確にはまだ将軍ではないですよね」と切り替えしてきた、嫌な奴である。
「俺の華麗な指揮で殲滅してやろう」
ニコルは揚々と城壁に立って敵を見て、最初呆気に取られ次に激怒した。
「あれが敵だと!?」
深紅のローブをまとい、フードで顔を隠した魔法使いがたった一人で悠然と歩いてきているだけだった。
「あれが噂のマリウス・トゥーバンでしょう」
警戒心を露にする副官に対し、ニコルは嘲笑を向けた。
「は、ワイバーン数匹殺したのがご自慢の奴か!」
奴隷兵達は不安そうにマリウスが歩いてくるのを見ていた。
「馬鹿ども、この砦には巨弩バリスタがあるのだぞ!」
ニコルが自信の源を打ち明けてやると、兵士達は落ち着きを取り戻した。
自分達の仲間を一撃で大量に殺した、対ドラゴン兵器。
その存在を思い出したのだ。
「巨弩に五万の兵がいて、ワイバーンの十匹や二十匹、殺せないはずがなかろう! マリウスなんぞ、恐れるに足らんわ!」
判断が的確だったかは別にして、ニコルのこの自信は兵士達にとっても大きな自信となった。
自分達を酷使する、憎いが保身に長けたこの男がここまで自信たっぷりならば、きっと自分達は勝てると信じた。
副官さえも勝利自体は疑っていなかった。
(数万の兵が篭もる砦を一人で落とすなんて、メリンダ・ギルフォードでもない限り不可能だろうしな)
数千年前に存在したという英雄を思い出し、副官は軽く苦笑した。
魔人級の使い魔を使役し、魔王とすら一対一で戦えたという伝説を持つ人類史最大の英雄と、目の前の男を比べる事こそおかしいと恥じた。
ホルディアにもメリンダと比べられたマリウスは一旦歩みを止め、再び「レーダー」を使って監視者達の居場所を特定した。
そして補助魔法「ホーミング」を使い、更に麻痺魔法「スタン」を撃ち込んだ。
このやり方だと三つの魔法にそれぞれ力を割り振った形になるので、威力は落ちてしまうが、それだけにうっかり敵の心臓を永久に麻痺させるという可能性もない。
再度「レーダー」を使い、全員が昏倒した状態になったのを確認して右手を何度も振った。
これに応じてフィラート兵は動き出した。
「な、何だ……あいつ、今何をした?」
ニコルの問いかけに答えられる者は誰もいなかった。
索敵魔法というものはせいぜい数十メートルが有効範囲、というのが彼らの中での常識だったからだ。
砦から一キロ以上も離れたところにこちらを監視してる者がいるなど、気づける事ではなかった。
「まあいい、巨弩用意!」
数十人がかりで巨大な槍が番えられる。
ニコルはたっぷり間を取って、再び歩き出したマリウス目がけ処刑人のような気持ちで命を下した。
「放て!」
巨大な槍が唸りを上げて射出される。
魔物最強のドラゴンさえ避けられぬ速度に、鱗さえ撃ち抜く破壊力。
歩いてくる魔法使い目がけて一直線に襲いかかり、そして木っ端微塵になった。
「…………は?」
「え……?」
頭が真っ白になった。
目の前で一体何が起こったのか。
ドラゴンを一撃で倒す事すら可能な、巨大な槍はどうして砕けたのか。
体が砕けるはずの魔法使いは何故悠然と歩いてきているのか。
「あ、ありえないんだ、そんな事はありえないんだ!」
ニコルの脳は実際に起こった事を受け入れられなかった。
巨弩が全てのドラゴンに有効という訳ではない事は既に脳内から消えた。
「そうだ、幻覚だ、きっと幻覚なんだ」
ぶつぶつと必死で言い訳をし始めた。
巨弩を魔法で防ぐより、数万の軍勢に幻覚を見せる事の方が余程困難であると指摘出来た者はいなかった。
悪夢のような現実に、ヤーダベルス以外の全員が呆然としていたからだ。
ヤルンなどその場にへたりこんで、何かぶつぶつとつぶやいていた。
「二撃目だ、二発同時に撃て!」
ニコルの半ば狂乱した命令に兵士達は慌てて従った。
彼らも悪夢を打ち破るのに必死だった。
「急げ、急げ!」
号令ではなく半ば悲鳴だったが、兵士達は懸命に従う。
悠然と歩いてくる魔法使いをこれ以上近づかせたくはない、という点については全く同じ気持ちだったから。
二台目の巨弩の台を懸命に移動させ、二台同時に槍を番えて照準を合わせる。
「放て!」
二本の槍は相乗効果で破壊力を増加させ、魔法使いに襲いかかる。
そして再び木っ端微塵になった。
「な……何だと……」
ニコルは声も、体も震わせた。
槍と共に何か大切なものまで砕け散った気がした。
体から力が抜け、へたりこむ。
マリウス・トゥーバンはもう、すぐ側まで来ていた。
「あわわ……防げ、防げ」
涙目になって命令するが、応じる者はいない。
慌てて周囲を見ると、多くの者がニコルと同じように座り込んでいた。
巨弩が通じない相手など、彼らは魔王や魔人しか知らなかった。
しかし、ここに来てもう一人追加されたのだ。
「狼狽えるな! 魔力切れになるまで攻撃しろ、皆殺しになるぞ!」
数少ない戦意を残していた副官がそう怒鳴ると、兵士達は止まった時間が動き出したかのように慌てて命令に従う。
(そうだ、魔力切れがあった)
希望の光を見た心地だった。
どれほど強大な魔法使いとて人間である以上、いつかは魔力が切れる。
その時こそが最大の好機であり、その為にもどんどん攻撃を加えるべきだと兵士達はやっと気づいた。
「弓兵! 火矢を放て!」
「石だ! 石の雨を降らせろ!」
火矢と石の雨がマリウスに降り注ぐ。
とてもたった一人に向けられる攻撃ではなかったが、マリウスが展開する障壁が悉くそれらを粉砕し、散歩するかのようにゆっくりと歩む。
(と、止まらない……)
全ての攻撃がマリウスには通用しない。
「ま、まさか……魔人?」
副官は戦慄した。
一方でフィラート軍もマリウスの「砦攻め」を見て、目と口を最大にまで開けていた。
「あ、あんなのありかよ……?」
巨弩や数千の石の雨が砕け散り、火矢も何の効果もない。
ホルディア軍が死に物狂いで攻撃しているのに、マリウスは近所を散歩しているかのような足取りだった。
彼らは復讐に燃え、単純に「国賓魔術師の凄い魔法で酷い目に遭う」事を期待していたが、目の前の光景を見て「ざまあみろ」と思えなかった。
「ま、まさか魔人?」
「いや、魔人ならば石を防いだりしない。つまり、マリウス様は人間だ」
味方という事で、まだ比較的冷静さはあった。
「とめろ、とめろーっ」
絶叫がむなしく響く。
マリウスはもう目と鼻の先と言える距離まで来ている。
何故攻撃魔法を使ってこないのか、という疑問は浮かべる余裕すらなかった。
上下関係にうるさいニコルは副官の越権行為を咎めない程、ほうけていて使い物にはならない。
巨弩も、万の矢と石の雨も、全てがマリウスには通用しない。
(ば、化物めが! そして本国のやつら! 我々を捨て駒にしたな!)
副官が考えたのは彼やニコルが属する者達の裏切り行為であったが、それは濡れ衣と言うべきであった。
彼ら貴族達はマリウスの力など、全く理解していなかったのだから。
ホルディア軍五万を絶望に叩き込んだマリウスはと言うと、城壁から数歩のところで立ち止まり、障壁を維持したまま別の魔法を唱えた。
「スランバーミスト」
広範囲の睡眠魔法である。
マリウスの体から水色の霧が吹き出し、あっという間に砦周辺を立ち込める。
「うっ……」
「な、何だこれ……」
異変を感じ抵抗を試みるも、あえなく強烈な眠気に襲われその場に崩れ落ちる。
城壁から落ちてきた兵達には「レビテート」をかけて城壁の上まで戻してやる。
霧が砦を覆い尽くし、ホルディア軍全員が眠るまで十数秒かかった。
マリウスは寝息やいびき以外の物音が聞こえなくなったのを確認した後、城門を「ファイア」で壊す。
バルデラ砦は事実上、二十秒未満で再度陥落した。
されどマリウスの戦いはここからが本番と言うべきであった。
まず「ディメンションシールド」で砦全体を覆い、砦の外から魔法を起動出来ないようにする。
中に入って兵士達の状態を確認すると皆が「昏睡」となっていた。
強い衝撃を与えたりしない限り、数分は目覚めないだろう。
(スタンだったらショック死させていたかも)
状態異常攻撃で殺すなど、笑い話にもならない。
安全策を取って正解だったとほっとしながら、指揮官を探す。
皆が寝ている最中、奴隷の証である首輪をしていない者は五十人もいなかった。
うち一人、一番豪華な装備の者は股間が濡れていた。
(失禁していたのか……?)
ニコルから漂う臭いに辟易しながらも体に触れる。
「サイコメトリー」を使って首輪の事を探れば、尋問すら必要ではない。
奴隷兵達に埋め込まれた魔法の種類、起動させる方法、首輪の外し方など。
首輪は奴隷の非合法解放を防ぐ意味でも正規の手段以外で外そうとすれば奴隷が死ぬ。
だから自爆術式だけ取り除くのが望ましかった。
(けど、そんなに甘くないと)
男が知っているのは魔法の起動させ方と、特定の術式を取り除こうとすると奴隷が死ぬ事だけだった。
奴隷の反逆を防げなくなる危険を考慮してだ。
ヤーダベルスはこの事を予想していたのだろう。
マリウスは深くため息をついた。
やはり最初に言われたように皆殺しにするべきだったのか。
(いや、もう少しあがこう……その為には死なせる覚悟がいる)
マリウスが助けたところで敵は許されるとは限らないと、ヤーダベルスは忠告してくれた。
奴隷兵はまだしも、それを指揮していた者達は。
だがマリウスはそれでも無理に戦争に駆り立てられた奴隷が哀れで、何とか助けてやりたかった。
首輪もマジックアイテムである以上、マリウスが魔力を込めれば壊れる可能性は高い。
問題は奴隷が死なせずに壊せるか、という点だった。
そこは魔法抵抗力が高いはずのヌンガロを壊しまくった自分を信じるしかないが、背筋が寒くなる。
心臓の鼓動が大きく聞こえ、胃がギュッと締め上げられるような感覚。
自分が助けなければ皆殺しにされる運命を持っているのだ、と言い聞かせると少しだけ落ち着く。
生唾を飲み込み、一人の兵士の首輪に触れ思いっきり魔力を込めた。
首輪はじつにあっさり壊れ、兵士に異変は起こらなかった。
さすがにマリウスの魔力を想定して作られてはいなかったらしい。
安堵のため息をつくと、マリウスは続きにかかった。
五万弱を全て一人でやらねばならないのだ。
その後でヤーダベルス達を呼んで縛り上げるのを手伝ってもらうつもりだった。
助けたられた以上、何とか交渉して奴隷達の安全は保障せねばならないが。
──コツを掴めたので一分程度で首輪は全て破壊出来た。
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