第30話 挑戦
バルデラ砦から早馬で約一日の距離にフィラート西部の要衝、シャーダプルはある。
ここを抑えられるとフィラートは経済的に大損害を受ける事は避けられないが、バルデラ砦を落としたホルディア軍は進撃する素振りは見せなかった。
ヤーダベルスを大将としたフィラート軍はバルデラ砦とシャーダプルの中間で砦から夜襲を受けにくい場所で野営をし、落ち延びてきた砦の兵達に事情を聞いた。
「観察する余裕がなかったので断言出来ませんが、奴らにすぐ進撃する余裕はないと思います」
血と埃にまみれた兵士達の説明を聞いてヤーダベルスもマリウスも、他の者達もすぐには言葉が出てこなかった。
ホルディア軍が採った作戦はフィラートの想像を超えた陰惨さだった。
「……ヤーダベルス殿? それが奴隷兵の扱い方ですか?」
「ば、馬鹿な。正気の沙汰ではありません」
マリウスに答えたヤーダベルスの声は震えていた。
補給なしに進撃させ死んだら敵を巻き添えにするような魔法と逃亡したら殺せる魔法を組み込む。
ヤーダベルスの倫理観を嘲笑うかのような行為の連続だ。
それで砦が落とされてしまったというのは常識への挑戦だ。
「ホルディアは兵站を考慮しなければ、奴隷兵だけで数百万は動員出来る、大陸随一の奴隷保有国ではあります。しかしだからと言って使い潰すなど……奴隷の逃亡を阻止する為の魔法を組み込む、というのは普遍的ではありますが……」
奴隷十五万程度なら使い潰してもさほど打撃は受けないという訳か。
倫理観が邪魔をしなければ、とマリウスは嫌悪を込めて考えた。
「十五万もの兵が数日分の水と食を得る地域が砦の周辺にありますか?」
「……数食分ならありえます。飲み水は魔法で確保出来るでしょう……」
「ん? となると何故そこを先に焼き払わなかったのか、という事になりかねませんが?」
三日間何も食べられなかった兵士ならば、あるいは砦は落とされなかったかもしれない。
どうして放置していたのだろうか。
「ええ。私も疑問に思い斥候を放ったのですが、まだ誰からも連絡がないのですよ」
「……砦ではきちんと斥候の報告を受けていたようでしたが……」
「そいつらこそがホルディアの間者だったのでしょうな」
ヤーダベルスは苦々しい表情で断言した。
ホルディア周囲に配置されていた者達は皆殺しにされているのか。
「フレッグ殿との連絡も途絶えたままですし、ホルディア側は念入りに今回の準備を進めていたとしか思えませんな」
「フレッグ……?」
聞き覚えのある名前にマリウスはギクリとした。
確かエマの父親で、前諜報部の最高責任者だった人物ではなかったか。
顔に出ていたのであろう、ヤーダベルスは重々しく頷いた。
「エマ殿が父親に似たのでしてね。諜報部と言っても並みの兵士二、三人くらいなら倒せるし、五、六人から逃げきれる程度の実力はありました」
つまりそれ以上の敵が相手だったという訳だ。
あくまでも誰かに襲われたのならば、という話だが。
フレッグこそが間者ではないかと言い出せる空気ではなかったので自重した。
「しかし、変な話ではありますね。自国内で斥候や間者が殺されているのに誰も気づかないなんて……」
マリウスは皮肉を言ったつもりはなく、単純に感じた疑問を口にしただけだ。
しかしながら周囲にいる者達はそうは受け止められなかったのだろう、厳しい視線でマリウスを睨んだ。
それを事情をある程度知るヤーダベルスが目と顔の動きでたしなめた。
「本来ならばあってはならない事です。しかしながら、魔演祭の前後一ヶ月は交戦しないのが習わし。他国を勘違いさせる真似は慎むべし、とこの時期は諜報も控えめにせねばならないのです。変事があっても急には気づけない程度にね」
開いた口がふさがらないとはこの事だ、という思いを抑えきれずにヤーダベルスを見た。
ヤーダベルスは苦笑した。
まさにそこを突かれたのであって、間抜けなのにも程があった。
「それをホルディアが破って一度、ホルディア対大陸全国という構図になりましてね」
大陸の約三分の一を支配していたホルディアはガリウス、フィラート、セラエノ、ランレオ、ラーヌ連合に敗北し、現国土以外の土地を失った。
セラエノが大陸最強と謳われるようになる前の話である。
「不文律を破るのを嫌がるとしたら、それはホルディアだという認識だったのですよね。そう思い込んでいた愚かしさを償うハメになった訳ですが」
フィラートが気づかない部分で事態を進めていたのだ。
今回は明らかに心理的な隙を突かれたのだ。
本来ならば決して通じないような策が唯一成功しうる機会を狙ってきた。
カルノは敵におぞましい程に冷徹な策士がいると言っていて、それは事実だろうと思ったが正体に心当たりはないとヤーダベルスは首を横に振った。
「第一候補はアステリア女王です。既得権益にしがみつく貴族を何人か潰し、政事についてはそこそこ評価され、狂人としか思えない言動が見受けられるとの事です、ただ、それが酷すぎるので誰かが傀儡にしている可能性が高いと見なされています」
王の評価は国の評価にも影響を及ぼすので、自国が侮られる態度を取り続ける名君や賢君などいないという。
「ありえるとすれば今回の件の責任を被せ処刑するのでしょうな。一国の王の首を差し出され賠償にも応じられると、我が国も他の国も矛を収めるしかありません」
奴隷達に非道な作戦を強いる冷血な輩だろうから、それくらいは平然とするだろうというのがヤーダベルスと言うよりもベルンハルト三世の読みで、マリウスも異論はなかった。
「ただ、気がかりなのは女王は有能だが冷酷で、貴族達は本気で女王の失脚を望んでいるという情報がある事です。黒幕が流した偽情報の可能性もありますが……魔人ゲーリックのせいで蹂躙されたセラエノの例もありますし、油断は出来ません」
「最悪の場合、魔人が黒幕だと?」
ヤーダベルスは大きく頷いた。
魔人ならば人類国家同士の約束事を平気で破っても何もおかしくはない。
魔人が暗躍していると分かっているのに警戒を緩めるのか、と思ったのはマリウスがこの世界で生まれ育った人間ではないからなのか。
疑いだしたらキリがない、殺伐としたこの世界では足並みを揃える事こそが信頼関係の始まりなのか。
(だったら。あれ? 俺、絶望的じゃないか?)
何だか目が霞みそうになったので、慌てて話を戻した。
「バルデラ砦を奪還して、それから考えましょう。私ならば色々と調べる手段がありますよ」
マリウスは希望をかざしたつもりだったが、言われたヤーダベルスはむしろ表情を厳しくした。
「その事ですが、事情が変わりました。マリウス殿には敵を皆殺しにしていただくか、それとも不参戦かを選んでいただかなくてはなりません」
「え……?」
マリウスは無防備に頭を鈍器で殴られたような表情になった。
ヤーダベルスは平静さを装いながら事情を明かした。
「今回の敵はおぞましい冷徹さの持ち主です。捕虜にしたところで、我々ごと爆破する可能は極めて高いと思われます」
奴隷兵が捕虜になっても魔法で強制的に自害させるような事は、本来はありえない。
報復として正規兵もが虐待を受ける事になりかねないからだ。
しかし、今回の敵はその「普通ならばありえない」というのが全く通用しないの可能性は高い。
決断を迫られ、マリウスは考え込んでしまった。
何故か帰ってこれた砦に放たれた者達によると、敵の残存兵力は約五万。
一斉起動されたらマリウス以外は全滅しかねない数だし、フィラート軍も五万だからマリウスなしで容易に奪還出来るとも思えない。
フィラートは予備役を含まずに三十万の兵を動員可能との事だが、他国との兼ね合いもあって全軍は動かせなかった。
他国は今回の件でホルディアに抗議するし場合によっては戦争も辞さないだろうが、それはフィラートが充分打撃を受けてから。
それが国家というものだとの事だ。
(どうするのが最善なのか……)
マリウスは悩むうち、ふと気になる事が浮かんだ。
「一つ確認しておきたいのですが、魔法を起動させるのって外部から魔力を流し込む必要がありますよね?」
「ええ、もちろんです」
ヤーダベルスは問いかけに大きく頷いた。
何か思いついたのかと期待が込められていたが、他の者は程度の差こそあれ「こいつ何馬鹿な事を訊いているのだ」と言いたげな顔をしていた。
ヤーダベルスの答えを聞いたマリウスの腹は決まった。
「私がまず一人で攻めましょう」
ヤーダベルスは頷いたが、他の者から「待った」がかかった。
「一人で砦を攻めるって……メリンダ・ギルフォードくらいですよ、そんな事が出来たのは」
同じ事が出来るとでも思っているのかと言いたげなその男に、マリウスは頷いた。
男はイラついたように言い募る。
「メリンダ・ギルフォードは多くの伝説を持つ最大の英雄ですよ。同じ事が出来るなど、増上慢なのにも程があるのではないですか?」
「そこまでにしろ、ヤルン」
空気が険悪になりかけたところでヤーダベルスが割って入った。
ヤルンはアシュトンの一派であり、マリウスに対して敵意さえ抱いている。
グランフェルトが大将軍だった頃は抑え込めていたものが抑えられなくなってきている、証のような人間だった。
「まずはマリウス殿にひと働きをしてもらう。それでダメならば次の手を考えよう」
「バルデラの奪還は急務だというのに、そんな悠長な事でいいのですかね」
ヤルンは皮肉って肩をすくめて見せたが、それ以上は何も言わず場を退出した。
ヤーダベルスはため息をこぼすとマリウスに向き直った。
「ああいう手合いを黙らせる為にも、マリウス殿の力ははっきりと見せた方がいいのです。ただ、外国に対してはどうすべきなのか……」
根が武人のヤーダベルスではそこまでは読みきれない。
力を見せすぎると全ての国を敵に回す可能性があると警告されたものの、どれくらいまでが許容範囲なのか。
それこそマリウスに読心魔法で探ってもらいたいくらいだった。
「ところでマリウス殿、具体案はどうなのです? 私の立場上、事前にうかがっておきたいのですが」
当然と言えば当然の提案に、マリウスは頷くと音を外へ聞こえなくする「サイレント」の魔法を使い、更に「スリープ」でヤーダベルス以外の者を眠らせた。
「これで軍内の間者には漏れないでしょう。……ヤーダベルス殿が内通者でもない限りはね」
「そうですな」
ヤーダベルスは平然としていたし、マリウスも彼は疑っていない。
「サイレント」と「スリープ」をかけるついでに調べて、白だと分かったからだ。
マリウスが説明すると、ヤーダベルスは唸り声を上げた。
「伝説への挑戦、となりますな……」
「伝説? ヤルンという男が言っていたメリンダ・ギルフォードのですか?」
「ええ。数多くの伝説の一つに、単身で砦を攻め落としたというものがあるのですよ」
他にもいくつもの逸話があり、一番有名なのは今の魔法体系を確立させマジックアイテムを初めて創ったというものだ。
「ロヴィーサ式呪文」のように細かな部分で改良されても、大元となったものは数千年が過ぎた今も変わっていない。
「マリウス殿が魔法使いである以上、やがて比較対象となる方でしょうな」
それだけの実力者としてフィラートの極一部で認識されつつあるというのだ。
マリウスとしては自分のような存在と比べられ、メリンダには申し訳ないという気持ちが強い。
努力の果てに得た力ではないからだ。
しかしそれを言っても今は詮なき事と頭を切り替える。
最上級探知魔法「レーダー」を使う。
敵味方、それぞれ約五万ずつ、そしてそれ以外に砦の周囲にいる者達。
「何やら監視らしき者がいますが……」
ヤーダベルスは今更驚かずに考え込んだが長い時間ではなかった。
「無力化出来ますか? 出来れば捕縛したいのですが」
「ええ。では砦を落とす前に無力化しますので、捕縛はお願いします」
「分かりました」
マリウスの力はまだ知られていないのだ。
だから砦の周辺などに潜伏するという失態を犯した。
ヤーダべルスはそう判断した。
こうして戦闘前夜は過ぎた。
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