第23話 王宮での一幕

今更だが王宮では多数の人間が働いている。


 雑事を行う小姓、料理の手伝いや掃除、洗濯、針仕事を行う女中、馬の世話をする馬係……それらの人々をマリウスはあまり意識しないようにしている。


 自分の場違いさを味わうからだ。


 女中達の上に女官や王族つきの侍女や近侍がいて、さらにその上に女官長や侍従長がいる。


 平凡な生まれのマリウスからすれば立ちくらみがするような話だ。


 ワイバーン襲撃事件の際には少ない随伴者しかいなかったので、マリウスは驚いたのだが、ベルンハルト三世の説明は淡々としたものだった。




「王たる者が雇用を生む努力をせねば経済が回らなくなる」




 真にもっともな話ではあったが、マリウスに次なる疑問を沸かせただけだった。




「それならば何故ワイバーン襲撃の際には少数しか連れていなかったのですか?」




 表情と言葉にたっぷり苦味がこもった答えが返ってきた。




「一言で言うと油断だな。ワイバーンは国内にいないし、他の高位モンスターも辺境にしかいない。日帰りならばあの数で充分と判断したのだ。事実、これまでは何ともなかったしな」




 削れるところで削る必要があったので日帰りの視察で大人数を動員しかねたのだが、今回は危うかった。


 あくまでも結果論であるが、王とは常に結果を問われる地位である。




「努力したけど無理でした」




 などと何度も繰り返せば反乱が起きる。


 驚いたと言えばマリウスは、エマとヘルカが貴族ではなかったのが一番意外な事だった。


 そのへんの知識がないので、王族直属ともなれば全員が貴族だと勝手に考えていたのだ。




「貴族の女の子がエマちゃんみたいに何でも出来るはずないですよ」




 王宮と言えども女官として働きに出るのは伯爵位以下の家柄の娘達であり、それも少しでもいい縁組を得る為の箔付けの意味合いが強い。


 またはあわよくば王族や大貴族のお手つきになろうという野心の為であって自身が出来る事を増やすのに熱心な者はいない。


 エマはあくまでも例外中の例外だとヘルカにそう笑われてマリウスはそういうものなのか、と頷くしかなかった。




「でも、王族の侍女って社会的地位のある家の人間でないとなれないのではないですか?」




 返ってきた答えはエマやヘルカの家は過去に何人もの軍の幹部を輩出している武の名門で、爵位も持っているが自分で出来る事は自分でやれという意識が強いとの事だ。


 出来る事が多いという事はいざという時に生存率を上げる事につながる、というのが家の教えであった。


 エマもヘルカも忠実に守っているが、女官や侍女の間では間違いなく少数派だった。


 給仕をこなすのは本来専属の女中の仕事であり、侍女の本来の仕事は女中を管理し仕事を言いつけたり、主人の話や相談の相手になったりする事だ。


 女官と侍女の違いは専属の主人を持っているかどうかくらいだ。




「でも私はあなたがたが給仕している場面しか見た覚えがありませんが」 




「マリウス様は大切な方ですから、女中にさせられません」 




 国の賓客となれば侍女以上の者が給仕するのがフィラート流だという。


 エマとヘルカがいるから任されているが、そうでなければ恐らく女官長が出張る展開になったかもしれないとエマは述べた。




「女官で給仕が出来る者は少ないのです」




 エマは淡々として答えたが、軽い侮蔑がこもっていたのをマリウスは察知出来た。


 つまり女官長ならばエマやヘルカのように一通りの事は出来るのだろう。


 そんなエマに対してマリウスは一番尋ねたかった事に触れた。




「あなたがたの家は爵位持ちなのに貴族ではないのですか?」




「名誉貴族、というのが正しいです」




 エマの説明によるとこの国では建国の際に最も功績が多かった者達を公爵とし、功績の大きい者ならば王や貴族の血を継がなくとも爵位を叙せられるという前例とした。


 しかし、功のある者達に片っ端から爵位を与えていては国内が貴族で氾濫してしまう。


 故に様々な条件を課して、達成した家にのみ栄誉を与える事になった。




「騎士団長、魔法兵団長、諜報部長など、部門のトップを一人輩出する事で名誉男爵、そこから更に大将軍や宮廷魔術師長一人、部門のトップを二人以上輩出して正規男爵……」




 と公爵位まで正規貴族に至る明確な条件が存在する。


 要するに優秀な人材を何人も出す家系は優遇するという制度なのだ。


 ややこしいのは与えられる爵位は正規のものなのに、あくまでも身分は名誉貴族でしかないという事だろうか。




「我が家の場合、父が諜報部部長を務めましたので、後一人トップを輩出すれば正規男爵になります」




 とエマは解説する。


 ごく最近退任した諜報部部長のフレッグがエマの父だった。




(武門の出なのに諜報部?)




 マリウスは疑問に思ったが口には出さなかった。


 他国だと名誉貴族は一代限りで取り上げられたり、そもそも血を持たない者は貴族の階梯を登れなかったりするのだが、フィラートは比較的おおらかだという。


 それこそがクラウス・アドラーと仲違いした理由である、という都市伝説に似た噂まであった。




「思っていた以上に身分差が厳しいようですね」




 乗り越える道は用意されているが、それはいわゆるガス抜き、不満を逸らす為のものではないかとマリウスは思った。


 そして既に知っていた情報と教わったばかりの情報を合わせると一つの疑問が浮かび上がってきた。




「ヘルカさんの旦那さん、確か大貴族の人間でしたよね。名誉貴族とは釣り合いが取れないって騒がれなかったのですか」




「ああ、ほとんどありませんでしたよ。理由としては王女つきになったのが一点、女官長の保証状があったのが一点ですね」




 フィラートにおいて王族つき侍女の格は極めて高い。


 本人の意図に関わらず主人の王族へ少なからず発言力や影響力を持つからだ。


 それだけに王族つきは人事の最高責任者でもある侍従長と女官長が時には国王と相談し、厳選して決める。


 能力が優秀であるか、人格が信頼出来るか。


 適任者がいないとされた場合は不在になる事も珍しくない程、慎重に選定されるのが王族つきだった。


 女官達にとって最上の名誉であり、女官を志す者は皆一度は夢見る地位だとか。


 選ばれた人間もその実家も鼻高々で威張り散らしても不思議ではないし、そうなっても王族や女官長でないと嗜めるのも難しい。


 と言われてもエマとヘルカを見ただけでは想像するのは難しかった。




「保証状というのは?」




「女官長が特に優秀な者にのみ発行する免状に近いものですね」




 自慢に聞こえるでしょうが、と前置きしてヘルカは答えた。


 元の世界で言うお墨付きみたいなものだそうだ。


 女官長と言うと、侍従長と並んで王宮に仕える者の最高責任者であり、宰相や大貴族すら敬意を持って接せねばならない相手だ。


 故にこれを発行された者は縁談の申し込みが殺到するという。


 王族つきと並んでやはり女官志望者が夢見る事だった。




(エマさんはともかく、ヘルカさんってそんなに優秀かな)




 どういう基準で選んだのか不思議だったが、さすがに本人の前では言えない事だ。


 自分に対して過激なスキンシップを図って、その都度ロヴィーサとエマに叱られている姿だけを見れば「何でクビにならないんだ」と首を捻るしかない。


 だが、マリウスと触れ合う時間は長くないのだし、それ以外の部分では優秀なのだろうと判断した。












 という女官と侍女の違いも分からなかった頃を思い出しながら、マリウスは王宮内を行き来する女官達を眺めていた。


 一目見れば身分や職が分かるように出来ているものらしいが、マリウスにはさっぱり分からない事だった。


 つまり王への取り次ぎを誰に頼めばいいのか判断出来ないのだ。


 レイモンドの態度から察するに誰に頼んだとしても無下にされる事はないだろうが、忙しそうな人間に声をかけ仕事を一時的に中断させるのは忍びない。




(まずは執務室まで行くか)




 もしかしたら面識のある、声のかけやすい人間とばったり出くわすかもしれない。


 かすかな期待を込めて歩き出す。




「あの方が国賓魔術師様よ」




「ルーカス様とニルソン様よりずっとお強いのですって」




 そういったささやきが聞こえてくる。


 感嘆と恐怖が入り混じった声はマリウスに自身の立ち位置を改めて教えてくれる。


 若い女性達に怯えられて喜ぶ趣味はないが、どうしようもない。


 恐れられていた方が陰謀の類に巻き込まれる可能性が減る、と思っていたのだが居心地の悪さは変わらなかったというのが現実であった。


 煉獄の衣のフードを被っているせいで視線の圧力が軽減されているのがせめてもの救いだろうか。




「フードを被って神秘性と秘匿性が増すのがいい」 




 というのが王宮内ではフードを脱ぐべきかどうか、尋ねた時の王の返答である。


 王宮の内部は意外と華美ではなく、質実剛健という言葉が相応しいような作りでマリウスの趣味に合っている。


 例外は謁見の間や来賓の為の部屋くらいだ。


 マリウスがこの国の王族に好感を持った一因だ。




「恥ずかしい話ですが財政難なので」




 本当に恥ずかしそうにロヴィーサは説明したが、マリウスは鵜呑みにしなかった。


 建国の時とか、魔人に攻撃された後だとか、財政が苦しくなった時代はあったとしても建国から今日までずっとだったとは思わない。


 財政難が数百年も続いて国が保てるはずがないし、王宮で多数の人を雇用するゆとりもないはずだ。


 自分達の虚栄心を満たす為であったり、遊興の為に使う分を削るという姿勢は見習いたいと素直に思った。


 経済を回すという観点においてはある程度は遣った方がいいのであろうが。


 そんなフィラートの王宮だから女官や侍女の服も華美さは抑え目ではあるのだが、だからと言って王宮を歩く女性の服装全てが慎ましいものであるという訳でもない。


 大貴族の貴婦人達などは家の財政が許す範囲で贅沢をしていた。


 貴族としての見栄もあるし、女としての矜持の問題でもあるのだろう。


 などと考えていたせいか、妙齢の貴族令嬢達に掴まってしまった。




「マリウス様、わたくしレガンタ家のミリーと申します」




「わたくしはガーラル家のファーナと申しますわ」




 全員仕草は上品だし口調も丁寧だったが、マリウスにしてみれば獲物を見つけた空腹の猛獣の群れにしか見えない。


 慎ましい態度ではあったが、彼女達の目は興味という光で満ちている。


 力で蹴散らす訳にはいかないところがこの群れの厄介なところだった。




「初めまして、マリウスとお呼び下さい。皆様の輝くような美しさ、とても直視いたしかねます。フードを取れぬ我が脆弱さ、どうかお許し下さい」




「まあお上手ですこと」 




 満更でもなさそうに笑う貴族娘達の態度から察するに、エマやロヴィーサの方が例外的なのかもしれないと思い始めた。


 男から褒められ慣れているのはこの美しい貴族娘達も同じだろうから。




「そうですわ。マリウス様はロヴィーサ姫様のお姿を見慣れていらっしゃるのでしょう? わたくし達、みすぼらしいのではありませんか」




 確かに美しさという点で言えば全員ロヴィーサに及んでいないように思えるが、エマとなら遜色はない。


 そんな事はないと身振り手振りを交え大げさなまでに褒め称えると、嬉しそうな表情をしてくれる。




(女性心理ってこっちの世界でも大きな違いはなさそうだな)




 この世界の上流の人間の方が腹芸に関しては上手だと自覚しているので気は抜けないが。


 愛想をほどほどに振りまいておいて、辞去しようと今後の予定について切り出した。




「実はこの後陛下に相談申し上げる事がありますので、これにて失礼させていただきたいと存じます」




「あらまあそうですの。残念ですわ」




 国王を引き合いに出せば止められない、という判断は正しかった。


 残念そうにしながら別れの挨拶を交わした。




「マリウス様に我が祖のご加護があります事を」




 まずミリーが魅惑的な笑みを浮かべながらマリウスの肩をハンカチで撫でる。


 若い娘が男に「加護を」と言って肩をなでるのはフィラートにおける親愛表現である。


 身につけているハンカチや装飾品を触れさせるのが一般的だ。


 特に約束を交わす訳でもなく、言質を取られる事もなかったのでこれくらいはいいかと、マリウスは若干の下心を滲ませながら受け入れていた。


 貴族令嬢相手ともなると親愛表現を断るのも一苦労である、というのも理由の一つだ。


 そして娘への返礼は軽く抱擁する事である。


 一通り親愛を受けたマリウスは娘達の期待のまなざしに気づいたが、対応に困った。




(これから国王に会うのに、女の香りをつけまくるってやばくないか?)




 と思ったのが理由である。


 職務で忙しい国王を若い娘達の香りをつけまくった状態で訪問する──処罰はされなくても、面会拒否されても文句は言えない気がした。


 しかしながら、王と会うと断ったのに貴族娘達がこんな態度を取るのであれば、フィラートでは問題にならないのだろうか。




「残念ですが、陛下とお会いするので返礼はまたの機会に」




「そう言えばそうでしたわね。マリウス様の魅力を前にすっかり忘れていましたわ。それでは御機嫌よう」




 ミリー達は男の理性を蕩かすような笑顔を残して去って行ったが、マリウスは感銘を受けるどころか冷や汗を流していた。




(わざとかよ! もしかして国王との間に亀裂入れようとしたのか!?)




 だとしたら虫も殺さぬ顔して恐ろしい真似をする、と感じた。


 女には気をつけろと予め忠告されていなかったら引っかかっていたかもしれない。

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