第24話 チラリズム

 ベルンハルト三世は書類の山に印を押し続けていた。


 さもなくば国家運営に支障をきたすものばかりだった。


 貴族同士の揉め事の調停、堤防作りの許可、関税をめぐってのホルディアとの交渉……国王の判断が必要な案件に小さいものなどないが、最近で一番大きいものは国賓魔術師マリウス・トゥーバンに関する事だった。


 文章では様々な表現を用いているが、早くお披露目をやれと強硬的な色が強い国が多かった。




(ワイバーンの群れを蹴散らしたなど、半信半疑なのであろうな)




  伝説の英雄と語り継がれている者達に匹敵する実力者。


 人間の歴史とは不思議なもので、数百年に一度くらいの割合でそういった者は登場している。


 その事を知らぬ者は各国の上層部にいるはずがないのに、いざ自分達の番となったら誰も簡単には信じようとしないのだ。


 そんな人のあり方に滑稽さを感じつつも、ベルンハルト三世は無理からぬ事だとも考えていた。


 彼自身、実際に目で見ていなければ信じていたとは思えない。


 他国の外交戦略ではないかと疑っていた可能性の方が遥かに高かった。


 規格外の存在は滅多に現れないから規格外なのだが、滅多に現れないからなかなか信じられないのだ。


 しかしマリウスというカードはフィラートにとって両刃の剣に等しい。


 諸外国への牽制になる反面、手を組む為の要因にもなり得る。


 気をつけねばマリウスだけ生き残ってフィラートは滅ぶ、という事にもなりかねない。


 ベルンハルト三世はその事を充分考慮した上でマリウスの取り込みを図ったのだ。


 マリウスを有効利用する為の一番は娘、ロヴィーサとの婚姻である。


 幸いにもマリウスは「ロヴィーサが気に入ったらしい」とエマから報告を受けているし、彼自身同意見だった。


 最悪の可能性はこの国を貪り尽くす寄生虫と変貌する事であったが、今のところそんな素振りは見られない。


 そしてロヴィーサへの態度を見れば一目瞭然と言えた。


 本人は隠せているつもりのようだし、今の段階だと大貴族がうるさいので迂闊に口に出来ないが。


 ベルンハルト三世は印を押し続けながらうるさい大貴族について考える。


 隣国のランレオと違い、立派な功績をあげれば誰でも貴族になれるのがこの国の習わしである。


 しかしクーパー公爵家のように伝統と歴史と血統を重んじる、と言うよりも固執する大貴族はいくつか存在する。


 この手の家に限って豊富な財力と人脈を持っているので厄介だった。


 だが一番面倒なのは、この連中の愛国心が本物だという事だ。


 何かにつけて伝統や血統について口にし、場合によっては王家にも異を唱える事は辞さない輩の集まりだが、フィラートという国への想いは誰にも負けていない。


 彼らは建国王初代ベルンハルトを心の底から敬慕しているし、自分達の祖先がその助けをした事を何より誇りに思っている。


 敵対国であるランレオはフィラートと違ってアドラー家当主以外は血統を重んじる国風だから、彼らのような人間は上手くやれただろうに。




(全く、世の中とはままならぬものだ)




 ため息をこぼしつつ印を押す。


 マリウスというカードを効果的に切る機会について考える。


 アイテム袋の再開発に挑戦したいと言ってると聞いたので許可を出しておいたが、そんな簡単に出来るものなのだろうか。


 一瞬浮かんだ考えをすぐに打ち消した。


 ワイバーンの群れとて簡単に倒せる存在ではないし、ルーカス、ニルソンだって人間ならば簡単に勝てる相手ではないはずだ。




(マリウスにはあらゆる常識は通じんと見ておいた方がいい……)




 そう思ってはいても何かにつけて常識的な考えが浮かんでしまうのが、人間という生き物の悲しさなのかもしれない。


 と考えていると扉を遠慮がちに叩く音が聞こえた。




「入れ」




 単調な作業の繰り返しにいささか飽きがきていたので、ベルンハルト三世は気分転換になる事を期待して即座に入室許可を出した。




「失礼いたします」




 一礼して入室してきたのは侍従の一人と、アイテム袋開発に取り組んでいるはずのマリウスだった。




(何事だ? まさかもう成功したのか?)




 ベルンハルト三世にとってはそれが一番非常識な事だった。


 一礼して去る侍従を尻目に早速問い質すと、何とヌンガロに魔法を込めたら破砕してしまうという。


 あまりにも信じがたい事だったが、目の前で実際に見せられると信じるしかなかった。




(あ、ありえんだろう……)




 ヌンガロを破壊するのは不可能でないと歴史が証明している。


 しかし、それはあくまでも破壊する為の攻撃魔法を浴びたらのはずだ。


 その前提条件を根本から覆す存在が目の前にいた。




「レイモンド殿からうかがったのですが、ヌーグというものの製造を国家事業で行っているとか」




 製造に携わりたいという申し出にベルンハルト三世は考え込んだが、それはほんの二秒程度の事だった。


 ヌーグ製造は国家事業の柱の一つであるが、だからこそマリウスの参加には意義が見い出せると判断したのだ。




「許可しよう。マリウス殿が作るなら一際丈夫なヌンガロが出来るかもしれぬ」




 ヌーグは約一か月をかけてじっくり魔法をしみこませ、ヌンガロへと仕上げていく。 


 この工程で生地の魔法抵抗力は落ちてしまうのだが、その分魔法を付加させやすくなるのだ。


 マリウスの超常的な魔法威力なら一日程度にまで短縮出来るかもしれないし、より丈夫なものが出来るかもしれない。


 そうなると利益も大きくなる。


 ヌーグすら破砕してしまうのであればお手上げなので、若干の不安は残るのだが。




「ありがとうございます」




「仮にしくじったところで問題はあるまい。ヌーグすら破砕してしまうのはさすがに困るがな」




 ヌーグはその性質故に対魔法防御素材として重宝され、フィラートの特産品の一つに数えられる。


 例えマリウスには効果がないにせよ。




「気をつけます」




 とマリウスは冗談と受け取れないような事を言ってから退出しようとした。


 ベルンハルト三世はそこを呼び止め、気になっていた点について尋ねた。 




「マリウス殿、婦人達からお誘いでもあったかな」




 マリウスの体からわずかではあるが、複数の香水の匂いが漂っている事をベルンハルト三世は気づいていたのだ。


 マリウスは頷くと簡単に事態の説明をした。




「なるほど、離間の計にしては稚拙すぎるが、それでもそんな狙いを持った者達がいるのは理解した」




 危うく引っかかるところでした、と苦笑するマリウスにベルンハルト三世は不安を覚えた。


 散々注意したはずなのに、という思いはぐっと堪えた。




「マリウス殿が知らぬのは無理ないが、一度に複数の女性に親愛表現を返すのは最悪の一手だぞ。貴族階級相手では特にな」




 予想外の言葉にマリウスは目を白黒させる。


 ボロを出さぬようにあまり人と接触してこなかったし、エマとロヴィーサはそういう事を教えるのは後回しにしてきたのだろう。


 それらが裏目に出た事にマリウスは気づいたのだ。


 そんな様子を見た国王は小さく唸った。




(マリウスがこの国の風習をまだ十全に理解してないと見ての手。となるとバーナードやアシュトンではあるまい。恐らくはウィルスンあたりか)




 貴族娘達は何も知らず、マリウスという男と親交を持てたら将来は明るいと吹き込まれただけだろう。


 何一つ嘘は言っていない。


 ベルンハルト三世が知っている限り、ウィルスンとはそういう男である。




「気をつけていても知識がなければ対処出来ない。そんな攻め方をしてくるとみるべきであろうな」




「とすると下手したら、先程のは私がどの程度風習を理解しているか、様子見にすぎないという可能性も?」




「その通りだ。むしろそちらの方が可能性が高いな」




 頭の回転は遅くないのだな、と思いながらベルンハルト三世は頷いた。


 沈黙が二人の間を訪れる。


 ターリアント語の習得が遅れていれば、それはそれでマリウスが侮られる事になっていたのは火を見るより明らかだ。




(どうするか……風習に関する説明を急がせるか?)




 急いで詰め込んだところでどの程度覚えられるか不明だが、そこは二週間前後でターリアント語を習得したマリウスの能力にかけるしかないか。


 そう結論を出す直前、マリウスがふと提案してきた。




「あの、遠慮しなくていいのならば、何とかなるかもしれませんが」




「遠慮……? どういう意味かな?」




 マリウスが周囲に遠慮した生活をしているのは百も承知だが、どういう意図で言い出したのかとっさに把握出来なかった。




「魔法を使えば相手の狙いなどを読めるのですよ。ご婦人方などでしたら、こっそりと発動させれば」




「ま、まさか……」




 ベルンハルト三世は自身の声が震えるのを自覚した。


 心臓の鼓動が大きくなり、悪寒が走る。


 それなのに汗は止まらない。


 マリウスが言いたい事を理解したが為に。




「まさか……まさか、使えるのか? サイコメトリーを……」




 最早伝説の彼方に消えたとされる精神系魔法「サイコメトリー」。


 かのクラウス=アドラーさえ使えなかったという、ある意味で禁断の魔法。


 ベルンハルト三世は何度も生唾を飲み込みながら、恐る恐ると切り出した。




「ええ。後、リードシンクもです。言う機会がなかったので黙っていたのですが」




 サイコメトリーは物体はもちろん、人の過去さえ探れる恐るべきの魔法だ。


 同等の効果を持つ「月女神の涙」を所有しているからこそ、ベルンハルト三世はその凶悪な威力を知悉している。


 そして特級魔法「リードシンク」は人間ではかの「賢者」メリンダ・ギルフォードしか使えなかったという、伝説を超えた神話クラスの魔法。


 相手の思考を読み取れるという、まさに神の力のような魔法だった。


 魔法は術者の力量で効力は変わる。


 すなわち、マリウスがその気になれば誰も隠し事は出来ないという事だ。


 マリウスが嘘をついているという風にはとても見えない。


 何をそんなに驚いているのか、という顔をしているからだ。


 だが、一国の王の矜持として他人の言葉を丸呑みにする訳にもいかない。




「マリウス殿、もしよければ余が何を考えているのか試しに読んではくれぬか」




 出来ればあまり強力な効果がなければいいという、ベルンハルト三世のささやかな願いは一瞬で潰えた。




「えと。私を上手い具合に利用して、大貴族の力を削ぐ。出来ればロヴィーサ様と結婚して欲しい。強硬姿勢を取ってきている諸外国への対抗にもなってもらえればありがたい。それから……」




「もういい!」




 ほとんど悲鳴に近い絶叫で、続きを制止する。


 ベルンハルト三世はマリウスがいかにこちらに気を遣っていて、仲よくしようとする意志を持っていたのかを思い知った。


 上手い具合に利用していこうという野心は木端微塵に砕け散り、是が非でも仲よくしてもらわねば、と哀願する気持ちでいっぱいになっていた。


 「リードシンク」ならば別にマリウスに悪意も敵意も持っていない事も分かったはずだ、というのがベルンハルト三世にとっての救いだった。


 マリウスの態度が魔法を使う前と少しも変わっていないのを見てとり、自分の考えが間違えてはいないと確信した。


 荒くなった息を必死で整えようとする。


 そしてそんな一国の王をマリウスは半ば同情を込めて見ていた。




(やっぱり精神系魔法を使えるって言ったのは失敗だったかな。でも他に対策なんて思いつかんし、いつかはバレていただろうし……)




 精神魔法はどちらかと言えばおまけ扱いに近くて、ゲームでもあまり人気はなかった。


 そうでなくても自分の過去を見通せる魔法など、薄気味悪いという認識でもおかしくない。




(洗脳魔法も使えるって言ったら心臓麻痺起こしそうだな)




 マリウスは冗談抜きにして思った。




「マリウス殿。出来れば自衛行為以外で使用するのは慎んでいただきたいのだが……」




 恐る恐る、懇願するような目で見てきた王を安心させようと大きく頷いた。




「元よりそのつもりです。仲よく出来そうな方には使う必要を感じません」




 露骨に胸をなでおろした王に一礼し、マリウスは退出した。


 ある程度の信頼関係は築けているのだった。

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