第28話ホルディア

フィラート王国から見て西にホルディア王国がある。


 ターリアント大陸に存在する国の中で最も国土が広くて人口も多い、大国の一つである。


 ホルディアはランレオと違って別にフィラートと仲は悪くなかったが、近年貿易摩擦によって互いの感情が徐々に険悪な方に傾き始めていた。


 事の発端はフィラートが魔人の攻撃によって被害を受けた事で緊縮政策を打ち出し、他国からの輸入も減らし始めた事にあった。


 必需品を産出しないホルディアからの輸入量は自然と減少し、ホルディアはフィラートとの交易で大きな赤字を記録するようになった。 


 だから攻められる事に関しては不思議ではなかった。




「この時期に攻めてくるか? 今の王は狂人と聞いてはいたが……」




 ホルディアとの境界線にある、バルデラ砦の駐屯軍指揮官のカルノのつぶやきに答える者はいなかった。 


 上級士官達は砦にある作戦作戦室に集まっていたが、誰もが困惑を隠せずにいた。


 魔演祭の前後一ヶ月は戦争をしないのが長年続いてきた暗黙の了解である。


 これにこだわるのは別にフィラートが平和ボケしているからではなく、破ると他の国々全てとの関係を悪化させるからだ。


 数年前に即位し、早くも“狂王”と呼ばれるようになった女王の意思だろうか。




「まあいい。宣戦布告の使者が帰ったのは昨日、そこから国境を越えてここまでにたどり着くのに三日はかかる。援軍が来るのは五日くらいだから、一日二日持ちこたえればいい」




 カルノの力強い言葉に一同は頷く。


 フィラートの国防体制は、国境に砦を築いて一定数の常駐軍を配置し、攻め込まれたら近隣地域や王都から援軍を出すというものだ。


 宣戦布告の使者が国境を越えるまで軍も国境を越えてはならないという不文律があるからこそだったが、ホルディア軍もこちらは破ってないようだ。




(ならば勝機はある)




 配下の兵が三万しかいないカルノが強気なのにも根拠はあった。


 ホルディアに攻め込まれるのは初めてではない。


 過去の経験から言って敵の大軍がここまで来るのは最低でも明日になるはずだし、戦う為には兵を休ませねばならない。


 明後日には近隣からの援軍が来て、砦攻めどころではなくなるだろう。


 だがその計算はあっけなく打ち砕かれた。




「カルノ将軍っ! 大変ですっ!」




 兵の一人が血相を変えて飛び込んできた。




「何事だ?」




「ホ、ホルディア軍が、ホルディア軍が姿を現しました!」




「な、何だと!?」




 カルノにとっても他の者にとっても寝耳に水で、文字通り飛び上がった。




「ありえん!」




「まさか奴ら、宣戦布告の不文律まで破ったか!?」




「諜報兵は何をしていた!?」




 一気に場は混乱が発生する。


 ホルディアの行軍速度はそれほど非常識だった。


 駆け込んできた兵士が、つっかえながらも事態を説明した。




「そ、それが……奴らは、奴らは補給部隊を連れておりません」




 一瞬、静まりかえり、その後より大きな喚声に包まれた。




「ありえんだろ!?」




「正気なのか!?」




 確かに物資を運ぶ補給部隊がいなければ行軍速度は大幅に上がるし、一日早く到着しても不思議ではない。


 しかし補給物資なしで戦争をやるなど正気の沙汰ではない。


 ましてや敵国に攻め込むなど。




「本当に補給部隊はいないのか?」




 カルノの問いに兵士はぎこちなく頷く。


 彼にとっても自分の目で確かめていなければ到底信じられない事だ。




「ではここまでどうやってきた?」




「は、はい。川の水を飲んだり、獣を狩ったり果物を採ったりと」




「なるほど。過去何度も攻めてきた折、きちんと地理や生態系について調べておいたというわけか」




 カルノの推測は誰の支持も得られなかった。




「し、しかし普通やりますか? 恐らく例のごとく奴隷兵中心の軍なのでしょうが……」




 疑問を投げかけてきた参謀にカルノは答えなかった。


 彼としても半信半疑なのだ。


 フィラートでは凶悪な犯罪奴隷以外は奴隷と言えど人として生きていく権利は認められているし、無闇に虐げる輩は罰せられるがホルディアは違う。


 大陸一の奴隷の輸出国であり、奴隷など消耗品と同等以下の存在でしかなかった。


 補給が出来なくなって兵隊が略奪に走るという例は有史以来、枚挙にいとまがない。


 されど最初から物資を用意せずに軍を出動させるという暴挙、いや愚挙は奴隷部隊が中心と言えど恐らく前例がない。


 そしてそれを成功させたからには侵攻してきた軍に何らかのカラクリがあるとカルノは見破った。




「よし、全軍厳戒態勢に移れ。補給なしでここまで踏破してきた奴らだ。奴隷兵ではなく精鋭相手のつもりで戦え」




「はは!」




「二日ほど頑張れば救援が来るという点は変わらん。踏みとどまるぞ!」




「はっ!」




 カルノの号令を聞いた者達は落ち着きを取り戻し、持ち場へと駆け出して行った。


 補給なき軍を瓦解させずに敵国まで来させた、敵指揮官の手腕に若干の不安を覚えながら。










「フィラートを攻める」




 女王アステリアの発言に臣下一同は驚倒した。


 魔演祭まで後二週間という時期であり、この時期は交戦をしてはならないという暗黙の了解があった。


 これを破っては最悪の場合、大陸にある国全てを敵に回してしまいかねなかった。


 過去に一度大陸全ての国と戦い、当時の国土の半分を失った経験があるホルディアとしては是が非でも避けねばならない事態のはずだ。




「へ、陛下、何と仰いましたか」




 視線で無言のなすりあいが行われた結果、宿将の一人たるオスワルドが恐る恐ると尋ねた。




「二度言わすな、老いぼれのクズが。今からフィラートを攻める。目標はバルデラ砦、指揮官はイグナートだ」




 物分りの悪い臣下どもに絶対零度の圧力と毒が交じり合った罵倒を紡ぐ。


 アステリアは隣国の王女ロヴィーサに匹敵する美貌の持ち主と言われた事は数え切れない程あるが、ただの一度も賞賛された事はない。


 青い目に感情やぬくもりはなく、音楽的なまでに美しい声は他人の心を抉る毒と針だと言われるだけだ。




「お、お待ち下さい、この時期に攻めると他国との関係が悪化します」




 抗議の声を上げたのは宰相だった。


 よく言ってくれた、という空気になるがアステリアが発した見えない鞭に粉々にされた。




「それを何とかするのがお前の仕事だ宰相。出来ぬなら我がしてやる故、職を返して失せろ」




 宰相は国の一大事となおも反論を試みた。




「どうやって治めるのです。いらぬ労力を割くなら、最初から攻めねばよいではありませんか」




 アステリアの形のいい眉が跳ね上がった。




「一から十から説明してやっても一割も理解出来ぬくせに、反論だけは一人前のクズめが。国政が滞りがちなのは貴様の無能さが原因だとさえ分からんのか」




 誹謗中傷としか思えぬ主君の暴言に宰相は一瞬あっけにとられたが、すぐに我に返って反撃に出た。




「そ、それならば何故にわたくしめを宰相などに任じられましたか」




「クズ以下のゴミしかいないからだ。税金泥棒どもめが」




 アステリアははき捨てるように言うと、一同をじろりと見回す。


 言葉の冷たさと眼光の圧力に気おされ、皆が俯いてしまった。


 現女王が即位してから粛清された人間の数は十や二十を下らない。


 “血まみれの改革”と呼ばれる取り組みが失敗していたら、十回くらいは謀反が起こされているに違いない。


 狂人とか染血の狂王とか呼ばれながらも、改革を全て成功させて国を大きく富ませたからこそ、恐れ嫌いながら従う者が大勢いるのだ。


 誰もが沈黙してしまってしばらく経過した後、指揮官として指名されたイグナートが問いを発した。




「恐れながら申し上げます。バルデラ砦攻め、ご命令とあれば従いますが、陛下の目的はいずこにありましょうか。不肖たるこの身にどうかお教え願います」




「目的はマリウス・トゥーバンだ」 




 女王の答えに一瞬鼻白みながらもイグナートは重ねて問うた。




「マリウス=トゥーバン? かの者のがいかがなさいましたか」




「奴の力がどの程度か、大軍でもって確める。その結果でこの国の未来は決まる」




 ついて来れない臣下達に対してアステリアは苛立ちを隠そうともせずに答える。




「大軍でバルデラを攻めたところで、マリウスなる者が来ますか?」




「来る。バルデラはただの国防拠点ではない。フィラート西方の流通の要衝であるシャーダプルがある。だからイグナートよ、今日のうちに発て」




「な、何ですって!?」




 場に狂乱が起こったがこれは無理からぬ事であった。


 軍というのは準備にも時間がかかる組織であり、出撃規模が増えれば必要な時間も増えるというのが道理というものだ。




「装備は? 兵站は? いかがなさるおつもりですか?」




「赤子か、貴様?」




 侮蔑まみれの主君の言葉にも怯まなかった。




「戦争とは思いつきで出来るものではありませんぞ!」




「兵は奴隷どもを中心に。装備は国境で渡すがいい。食料は各自現場で調達せよ」




 信じられないものを見た、という視線がアステリアに集中する。




「陛下……補給なしで戦えと仰るのですか!?」




 当然の言葉にアステリアは眉一つ動かさずに答えた。




「貴様ら、過去のフィラートの戦いで何を見てきたのだ?」




 全て自給自足でまかなえという、常軌を逸した命令に一同はさすがに諾々と従わなかった。


 地理を覚えているのならばどこで飲み食い出来るか分かるし、飢える事なく侵攻が可能だという。


 理不尽すぎる命令に説得力を持たせる事が出来る、というのがアステリアの特徴の一つだった。


 結局諌めようとした者達は全員論破され、兵は編成された。


 もっとも、全てがアステリアの力という訳でもない。


 今回の件が失敗すれば大陸全土を敵に回すのを避ける為、アステリアに全ての責任を負わせて退位させる、という方法が考えた者は多かった。


 彼らは敵を増やす行為を恐れただけで、奴隷兵の捨石同然の使い方については全くと言っていいまで興味がなかった。


 ホルディア全体から考えれば奴隷十万から十五万の損失は大きな打撃とはなりえないからだ。


 それでマリウスの真価が分かるのならば安い、と考えたのはアステリアだけではなかったのだった。


 宣戦布告状を持った使者が出発した後、集められた兵士に対してアステリアは宣言した。




「兵達よ。フィラートを蹂躙せよ。そうすれば栄達は思いがままぞ。壊せ、焼け、殺せ」




『オオーッ!』




 集められた奴隷兵達はアステリアの激励に沸き立った。


 彼らは一般兵よりも更に無知で無教養な者達である。


 補給なしでの侵攻に関しては不安を持ったが、アステリアが自信たっぷりに成功を確信していると伝え、栄達を約束したのですぐに自身の将来の展望へと思いを馳せた。


 ホルディアの奴隷の扱いは大陸各国の中でも底辺に位置するが、一つだけ例外が存在する。


 それは戦争で功績を立てた場合だ。


 大きな功績を立てた者は奴隷から解放され、士官に出世して富貴と名誉を約束される。


 その「成功例」達が奴隷部隊の指揮官を務めるので、奴隷達は目の前の上官のようになろうと励むのだ。


 今回の作戦は難しいがその分見返りも大きいと、彼らにとって天上人である女王直々に言われ、奴隷達は大いに奮い立った。


 女王が一部の者を意味ありげに見た事に気づいたのは、見られた者達以外には誰もいなかった。


 かくしてホルディア軍の電撃的なフィラート侵攻は始まった。


 フィラート側の予測を超える速さで侵攻したホルディア軍は、到着したその日のうちにバルデラ砦を攻め落とした。


 マリウスがバルデラ砦陥落の知らせを聞いたのは、王都からの援軍二万と合流して出発した日の夜、野営地で食事を摂っている最中だった。


 守将カルノ以下、二万強が戦死するという惨敗だった。


 投降した者は全員が殺され、逃げ延びた者は千人にも満たないという。


 マリウスは会った事もない人間の死を聞いても何も感じなかったが、投降した者が全員殺されたと聞いた時は腹を立てた。


 怒りの涙を流しながら、敵討ちを誓う兵士達にほんの少しだけ共感出来た。




「しかしバルデラ砦が落ちたとなれば、採るべき方策が違ってきます」




 援軍の総大将となるべくマリウスと一緒に派遣されたヤーダベルスは、怒りと悔しさに頬を紅潮させながらもさすがにまだ落ち着きがあった。 




「マリウス殿は従軍経験もなく、人を殺した事もないとか。失礼ながら王都に帰還していただき、陛下に判断をうかがって来てはもらえませぬか」




 マリウスが派遣された当初の目的は牽制であり、威嚇であったからそれでも問題ないと考えられていた。


 しかし砦が陥落して方針が変わる以上、人を殺せぬ者など足手まといにしかならぬとヤーダベルスは言っているのだ。


 それにマリウスならば魔法で一瞬にして往復が可能だろうという期待もある。


 敵討ちという気は毛頭なかったが、ホルディアのやり口に対して腹を立てていたマリウスは頷いた。


 王に参戦許可を出してもらう為に王宮へ「テレポート」を使って帰った。

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