第11話「国賓」
「ふう……」
マリウスは風呂から上がるとため息を一つこぼす。
シャワーとサウナがない点を除けば、ほぼホテルの大浴場と変わらない。
獅子を象った四本の給湯口からは熱い湯が流れてきていたし、綺麗な白い石鹸と大小のタオルが用意されている。
(これで来客用っていうから恐れ入るな)
税金の無駄遣い、とは思わない。
他国の人間に金に困ってる、など思われたら付け込まれるだけだろうから。
ごゆっくりどうぞ、と言われ、自分の部屋やら食事の準備やらで忙しいのだろうと見当をつけて本当にゆっくり入っている。
のぼせなかったのが不思議な程であった。
脱衣場所には換えの下着がたたんだ状態で置いてある。
元の世界で言うところのランニングシャツと黒いトランクスだ。
妙なところで共通部分がある訳だが、着心地も共通なので不満はない。
ローブをまとい、神竜の杖は側に置いてある道具袋へと入れておく。
魔法使いの杖は剣士にとっての剣に当たるから、王宮内では無闇に持たない方がいいという配慮からだ。
ただし、有事の際に備え、神言の指輪と大天使の首飾りは装備しておく。
道具袋を持ち歩くのもあまりいい事ではなさそうだが、ローブで隠せるので気にしない事にしている。
鏡台の前に立ち、おかしなところがないか確認すると、据え付けのベルを鳴らす。
チリンと綺麗な音が鳴ると、間を置かず一人の侍従が姿を見せた。
風呂場まで案内してくれた男とは別の男である。
恐らくは、外で待機していたのであろう。
「お待たせいたしました、ご案内いたします」
と言ってるのだろう、とマリウスは想像した。
ここでも言葉が通じない悲しさが出たのである。
もし通じるのならば色々話題をふったり、見れる範囲でいいから王宮の案内を頼んだりして時間を潰せるのだが。
侍従の後をついて外に出ると、落ち着いた青のイブニングドレスに着替えたロヴィーサと、エマが待っていた。
「湯加減はいかがでしたか?」
「最高でした。お待たせして、申し訳ありません」
微笑みながら話しかけてきたロヴィーサに軽く頭を下げると、ロヴィーサは笑みを深めて答える。
そして侍従に対して目配せをする。
侍従はマリウスとロヴィーサに一礼し、去って行った。
「こちらこそ。お気遣いいただきましてありがとうございます。おかげさまで身だしなみを整える余裕が生まれました」
マリウスがわざとゆっくりしていた事くらい、お見通しというわけだ。
それとも長風呂に対する社交辞令みたいなものだろうか。
いずれにせよ、腹の探り合いに関しては自分の方が下手と見た方がよい、とマリウスは判断する。
伊達に王女を生まれた時からやっているわけではないようだ。
「青のドレスも似合っていて、大変お美しいですね」
女性の方から身なりについて触れたので、褒めておいた方がいいだろうと思い口にしたのだが、ロヴィーサは微笑みを湛えながらも軽く首を傾げる。
「マリウス様はひたむきに魔道の真髄を求められた方かと推測しておりましたが、意外とお上手なのですね」
何の感銘も与えなかったどころか、印象にそぐわぬ言葉をかけてしまったようであった。
ロヴィーサの美貌と王女という立場ならば、褒め言葉の類は挨拶代わりに聞いていてもおかしくはない。
だから感銘を与えられなくてもマリウスは残念ではなかったし、ロヴィーサの自分への印象を知れて満足ですらあった。
(ひたむきに魔道の真髄を求めた、ね)
どうやらいい具合に勘違いしてくれているらしい、とマリウスは思った。
魔法使いとして腕を磨く事を魔道の真髄を求める、という表現はゲームの頃もなされていた。
この大陸の常識に疎いマリウスは、それ程までに魔道の真髄を追い求めていたと判断してもらえたらしい。
これはマリウスにとっても、想定しうる中で最上の結果である。
ただ、マリウスも言葉を額面通りに受け取るような、単純な人間ではなかったが、この評価を固める努力はすべきだろう。
「感じたままを申し上げたまでです。人の心の機微には疎いもので」
感じたままを、というくだりに関しては嘘ではない。
マリウスの言葉を聞いたロヴィーサは微笑みを返しただけで、何も言わなかった。
変わりにエマがロヴィーサに対して何事か囁きかける。
それを聞いたロヴィーサは頷くと、マリウスに対して言葉を発した。
「準備が整ったようです。こちらへどうぞ」
二人の美女に先導され、豪華そうな赤い絨毯の上を歩く。
数歩ごとにランプがあり、明かりがついている。
光熱費は一体どれくらいかかるのだろう、といった埒もない考えが浮かんでは消えた。
案内された食堂は広大で、上等なテーブルクロスがかけられたテーブルは、優に二十人は座れそうな大きさで、真ん中に花瓶があり大輪の薔薇が生けられていた。
上からは豆電球のような灯火が数十個並んだ、派手なシャンデリアが吊り下がっている。
王と王妃、王子は既に席についていた。
そして、その背後に侍従と侍女達が並んでいて、その様子は壮観とすら言えた。
マリウスは無自覚のうちに唾を飲み込む。
一国の王やその家族と食事を摂るとなると、さすがに緊張してしまう。
しかし、一方でどうせ出来る事しか出来ないという開き直りに近い思いもあった。
マリウスから見て王の右隣に王妃が座り、その隣に王子が座っている。
ロヴィーサは王子の隣の席をマリウスに薦めると、王の隣側の席へと歩いていく。
マリウスが指定された席に近づくと、先を歩いていたエマが黙って椅子を引いてくれる。
椅子の前に立つと王が立ち上がり、王妃と王子もそれに倣って立ち上がった。
「紹介しておこう。妃のマルガリータと息子のエルネストじゃ」
マルガリータは金髪で緑色の目をしている、ふくよかで優しそうな女性で、エルネストは母親の面影を持ってる事がはっきりと分かる美青年だった。
互いに一礼し、王族達が腰を下ろしてからマリウスも座る。
椅子はふかふかしていて、座り心地がよい。
そして、エマはロヴィーサの背後へと移動した。
「マリウス様、飲み物は何になさいますか? 葡萄酒、薔薇水、カカオ茶、レモン茶がございますが」
葡萄酒とレモン茶は何となく想像出来たが、薔薇水とカカオ茶は無理だった。
むしろカカオが存在する事に驚き、また嬉しくもあった為飲んでみたくなる。
「カカオ茶と薔薇水……二つ頼んでもいいですか?」
「はい」
飲み物を複数頼むのは非常識ではないのだろうか。
それとも客だから遠慮されてるのだろうか。
マリウスの疑問への答えはすぐに出た。
他の面子も複数の飲み物を侍女達に頼んでいるからだ。
言葉は分からなくても、その程度の事は推測出来るし、事実全員のグラスは複数出てくる。
大きさも形状もワイングラスそのものと言ってよかったが、銀色で中身が見えない、明らかにガラス製とは異なったものだった。
銀は毒物に対して反応する、という説はマリウスも知っていたので尋ねてみる。
「この容器は銀製ですか?」
「いいえ。レブラ鋼製です。銀製では反応しない毒物も存在しますので」
レブラ鋼製なら全て反応する、という事らしい。
レブラ鋼がどんなものかマリウスは知らないが、銀の上位互換的存在だろうと推測する。
続いて更に別のレブラ鋼製の容器を侍女達が持ってきて、中には淡黄色の液体が入っていた。
「食前酒のソードシャークのヒレ酒です。酒精が苦手ならお飲みにならなくても結構です」
五人が同時に手に取ったのを見て乾杯するのだろうと思い、マリウスも手に取る。
「乾杯」
王の後に三人が唱和し、手に持ったグラスを高く掲げる。
マリウスも倣った後、一口含む。
それだけで強い酒を飲んだ時のように全身がカッと燃えるような感覚に陥り、胃袋の動きが活発になったのが分かった。
その効能に驚くマリウスに対し、ロヴィーサが解説してくれる。
「酒精は弱いのですが、食欲促進効果は抜群なのです」
なるほど、と頷きながらもう一口飲む。
酒精が弱めだとは到底信じられない。
次に運ばれてきたのは焼いたパン、その上にトマトとピーマンらしき野菜が乗ったものだ。
「前菜のブルスケッタです」
手で持てる大きさに切り分けられたパンを一切れ手でつまみ、食べてみる。
味は元の世界のパン、トマト、ピーマンと同じで、塩味が充分利いていて美味しかった。
空腹だった事もあって、あっという間に平らげてしまう。
そうすると、侍女の一人が濡れたタオルを持ってきてくれる。
おしぼり代わりにしろという事だろうと思い、手を拭く。
マリウスは次にカカオ茶を一口飲んでみた。
チョコレートのような色と風味のお茶、という表現が一番近いかもしれない。
懐かしい風味にごく僅かながら、郷愁を感じた。
もしかしてチョコレートもこの世界にはあるのだろうか、と思うと次の一品が出てくる。
「玉ねぎとコーンのスープです」
スプーンですくって口内へ流し込み、玉ねぎとコーンを噛む。
元の世界と同じだが、味はずっとよい。
王家の食卓に上がるようなものだから、ある意味では当然かもしれないが。
スープを飲み干すと、次は薔薇水を飲んでみる。
グラスに入った水には美しい薔薇の花びらが浮いている。
その名の通り、薔薇の風味がついた水のようだ。
水はよく冷えているし、薔薇の風味で甘く感じられて非常に美味しい。
当然と言えば当然だが、ロヴィーサは料理名を教えてくれても解説まではしてくれない。
知りたいならターリアント語を会得して、自分で尋ねるのが一番だろう。
「星鯛の蒸し焼きです」
蒸し焼きにされた魚の切り身に白いソース、赤いピーマンとえんどう豆らしきものが添えられている。
元の世界で言うところのポワレだろうか。
ナイフとフォークで切り分け、舌に乗せる。
その美味しさは最早、マリウスの語彙力では表現出来ない領域に達しつつあった。
「口直しのイチゴの氷漬けです」
マリウスは一瞬アイスクリームかシャーベットかと思ったが、どうやら単に凍らせたものらしい。
手づかみで口の中に放り込むと、冷たいものを食べた時特有の、頭が痛くなる現象が発生する。
他の面子はというと、平然としてつまんでいた。
(王族が食べる料理なのに、手づかみでいいのか?)
という疑問がマリウスの脳内に浮かんだが、すぐに元の世界の常識を当てはめるべきではないと思い直す。
イチゴのさっぱりした味を堪能した後、薔薇水の甘い風味を楽しむ。
少々の間の後、新しく料理が出てくる。
「コカトリスの香草焼きです」
まんまローストチキンだった。
「コカトリス……?」
石化ブレスを吐いてくる鳥型ボスモンスターが脳裏に浮かぶ。
「ええ。石化袋を除去すれば食べられますし、味は絶品ですよ」
ロヴィーサが解説してくれた。
まるでフグみたいだな、と思いながら一切れ頬張ってみる。
鳥肉のような食感と、胡椒やハーブのような味が入り混じっている。
メインに据えられるだけの事はある一品だった。
「最後にデザートのリンゴのパイです」
甘くて熱いリンゴの味がリンゴの中で溶ける。
火傷しそうになり、慌ててカカオ茶で流し込む。
全体的に量が豊富で、決して小食ではないマリウスも充分満腹になった。
そこで侍女達がコーヒーカップのような形状の容器を持ってくる。
「食後のレモン茶です」
レモンのさわやかな香りが鼻腔に広がる。
レモン茶を口につけながら、この国の文字や文化を学びたいと言い出す機会をうかがう。
ロヴィーサがマリウスに説明する以外、誰も一言も口を開かなかった。
食事中は喋らない、というマナーがあるのだろう。
何も知らないマリウスが違反するのならば、さほど問題にならない気もするが、これ以上の恥の上塗りは避けたいという思いもある。
どれくらいの時間が流れただろうか。
五人のレモン茶がなくなった頃、おもむろにベルンハルト三世が口を開いた。
「マリウス殿、今後はいかがなさるおつもりかな?」
ロヴィーサの訳を聞いたマリウスは、渡りに船とばかりに返答した。
「出来ればこの国に留まり、ターリアント語や文化を学びたいと考えております」
ロヴィーサの訳を聞いた王はしばし考え、返事をする。
「ならば国賓魔術師として王宮に留まっていただけぬかな?」
聞き覚えのない単語に戸惑う。
「国賓魔術師、ですか? 宮廷魔術師なら存じてますが……」
宮廷魔術師というのは、簡単に言えば国家に仕える魔法使いの事のはずだ。
ゲームの世界には存在していなかったが、フィクションの中では比較的見かけた肩書きだった。
(国賓って国の費用で接待される外国の要人じゃなかったっけ?)
マリウスは自分が知ってる国賓、という言葉の意味を浮かべる。
外国人という点も国の費用でという点は同じだろうが、それでも何か違っている気がした。
「国賓魔術師とは宮廷魔術師長よりも更に上の立場でしてな」
王の言葉を訳すロヴィーサの説明によると、名の通り一国の賓客的な立場の魔術師だという事だ。
俸給も高いし、潤沢な研究費用と個別の研究施設が与えられる。
ただし、名誉職としての一面があるので、宮廷魔術師達のように軍などを動かす権限はない。
マリウスのような人間に与えるものとしては、ある意味ではうってつけと言えそうだ。
多額の金を使わせる代わりに国家の為に働く、というのは行く当てのないマリウスにとって悪い話ではない。
単なる無駄飯食らいよりも利用されている方が気が楽というものだ。
そう思ったマリウスは即答する。
「私でよければお願いいたします。言葉を教えてくれる人間をつけてもらえるとありがたいのですが」
さすがにいつまでもロヴィーサに訳してもらう訳にはいかないだろう。
ただでさえ、若い男と女なのだ。
「その点に関しては適任がおりますので、後で紹介しましょう。しかし、即答されるとは。一晩くらい考えていただいてもよかったのですよ。マリウス殿でしたらどんな国でも仕官出来るでしょう」
ベルンハルト三世の眼光がやや険しくなる。
マリウスの一挙手一投足を見落とすまいとするかのようだった。
そんな態度に気づかないフリをして、マリウスは答える。
「私の故郷に一期一会の縁を大切にする、という言葉があります。こうして知り合い、お世話になったのも何かの縁でしょう。私はそれを大切にしたいのです」
事実ではあったが全てではない。
最大の理由は王女であるロヴィーサにあった。
彼女のような美貌の持ち主とは、そう滅多に知り合えると思わない。
頭がよさそうなのも、王女としての立場に自覚を持っているのもマリウスの好みである。
だが、そんな事を父である国王に正直に打ち明ける訳にもいかない。
「大変ご立派な心がけです。これからよろしくお願いいたしますぞ」
ベルンハルト三世はマリウスに歩み寄り握手を求める。
マリウスはそれに応じ、がっちりと握手を交わす。
かくしてフィラート王国の国賓魔術師マリウス=トゥーバンは誕生した。
後の世において、「この出来事こそが歴史の変わり目」と多くの人間が主張する事になる一幕だった。
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