21
「ここが地図の印の場所ですか」
だらだらと取り留めのない話をして、明るくなったり暗くなったりしたあと停車させた。悲鳴の戦の話の際、ナンノは終始無言だったから話に飽きて眠ってしまったと思っていたのけれど、起きていたようだ。
トウマは終始活発。大半は興味がなさそうだったから眠ると思っていたけれど、かなりのお喋りだった。
少し離れた高みから目的地である窪地を眺めた。
目的地は陸でありながら孤島と呼べる尖った岩に囲まれた廃墟。隕石を落下させた跡地に建てられたような廃墟は、緑に無視され雑草すらない白と灰色の二色に支配されている。
「人の気配が無いようにみえます」
そう見えるよね。
「流石です、旦那様。その口ぶりですと、何か見えていらっしゃいますね」
口は災いの元。
廃墟の地下に一人気配がある。
こんなところに一人いるなんて、もう、いわずもがな。大外れを引いたのか大当たりなのか罠もなし人もなし近づくには最適な布石が整えられているのはどうしてなのか。整えられていようがいまいが彼女らは関係なさそうだった。
「旦那様。参りましょう」
廃墟に近づけるまで近づいて自動車を降りた。見上げれば廃墟。色のない建物は劣化した箇所から黒ずんだ汁が垂れ流しになっていて、修繕される予定は永劫なさそうだ。廃墟の左手に地下へ続いているであろう鉄扉がある。赤く錆爛れているけれど、誰かが出入りしているのか取手だけが修繕を繰り返した形跡があった。
「なるほど、ここで間違いないようです」
え、間違いないの?
「あちらが入口ですね。セイホは寝かしたままにしておきましょう。トウマ、荷物を運ぶのを手伝ってもらえますか?」
「いいよ」
地下は迷路みたくなってますけど。
「あるじ様には見えるの?」
まあ。
「そうなのですか? 困りました。旦那様、申し訳ありませんが先に誘導してもらえないでしょうか?」
ええっ。
「どうされました?」
一人は怖いです。
「旦那様、謙遜しないでください。トウマの造ったダンジョンを攻略しているではありませんか。それに比べれば容易いでしょうに」
妹さんが怖いんですけど。
「旦那様には大丈夫です」
絶大な信頼。
「あるじ様。ホクトはただの変態だから大丈夫だよ」
説得力がない。
「準備したらすぐに追いつくから」
どんどんと大量の荷物をすぽちゃんから下ろしつつ、とっとと行けと云わんばかりのトウマの一言にしぶしぶ了承した気になって、暗黒の入口に向かった。
廃墟に取り付けられた鉄扉を開くと、ホコリを含んだ空気が一気に襲ってくる。階段があって、じっとりと湿気が室内に張り付いている。
振り向くと二人は全くこっちを見ていない。希望はなかった。
恐るおそる階段を下りていく。足音の反響は心音のように空間を落ち着かせた。地面を掘った穴に石材をつめた地下はひんやりとしていて、ところどころ水漏れがあった。
松明に火を点け道しるべの代わりに間隔を空け置いておく。贅沢な使い方。砦で盗んだ道具が惜しみなく使えるのは何故だろう。理由は簡単、単純に節約をしない性格だからだ。手持ちは金銭も日用品も何もなくなっているというのに、いままでの習慣は容易に変えられないものだ。と一人割り切ってもそのうち節約を覚えろと苦情が来そうだ。
何かある。光源を受け艶やかに濡れた床の奥に、ボロ切れとなった一つの人の形が視界を塞がれ鎖に繋がれていた。
長駆の女性だった。膝を床に着き絡めた両腕は天井へ伸びている。両手両足首に嵌められた鉄の輪は相手が罪人であると伝えていた。体力も精神もすり減らしているはずのその人は見えていないはずの未来を観るようにして、口角を釣りあげ舐めた声を漏らした。
「初めましてご主人様。手前を奴隷にしてもらえて嬉しいわ」
間違いなくナンノの妹だと確信を得た俺は静かに踵を返したのだった。
「ちょ、ちょっと。無視するとこではないでしょ?」
俺は何も声が聞こえなかった。
「聞こえてる、絶対聞こえてる?」
fin。
「話の締めっぽく終わらせないで。はぁはぁ、ご主人様ぁ」
興奮するポイントありました?
「旦那様の気遣いのおかげで迷路に迷わず来れました。ありがとうございます。あら、旦那様。お帰りですか?」
躊躇いなく降りてきた階段へ戻ろうとしたところ、焦げ茶色の袋のような荷物を持ったナンノに出くわす。人間一人を押しつぶしてしまう積量を涼しい顔で運んできて次々と床に下ろしていく。
ちょっと、質問いいですか?
「少々お待ちください。はい、なんでしょう。旦那様」
どうして、ナンノの妹は変態しかいないんですかね?
「ホクトを見つけて呼んでくださろうとしていたのですね」
呼ぶというか逃げようとしているというか。
「愚妹は可愛いでしょう」
ボロ雑巾みたくなってますけどね。
「はぁはぁ、その声はねぇね。久しぶり」
「いつも通りですね。何に反応しているのかさっぱりですが久しいです、ホクト」
檻に近づいていくナンノは驚いた様子も不憫な表情もせず、頬が火照った妹は平常運転だと安心するように口を開いている。
「あの手紙は何ですか?」
「はぁはぁ。ねぇねに怒られようと思って」
「全く。そうやって強がるのは貴女たちの悪いくせです。誰に似たのだか」
「おや、セイホとトウマにも逢っているのかしら?」
「ええ。セイホは寝ていますがトウマはそろそろやってくるでしょう」
「…………」
ホクトは弛緩した笑みを閉ざした。
「どうしました?」
「え、ええっと。一緒にくるとは想定してなかったわ。会っても喧嘩というか一方的にやられるとか。二人は感情が不安定だから下手したらねぇねに殺られると思ってたわ」
「ええ。ひと悶着ありましたが旦那様のおかげでいまは仲直りしました」
「一悶着! な、仲直り。え、じゃあ、ご主人様が封印を解いた?」
「そうです」
「え、え。見た目からは逃げるのが得意そうだけど」
「どんな風に見えているのですか」
「でも。まあ、感情が穏やか。怖がってはいるけど」
「旦那様の右に出る者はいません」
「それは褒めてる? 貶してる?」
「はーい、お姉ちゃん、持ってきたよ。おっ、ホクト」
こっちもどっさり荷物を抱えてきたトウマは、ホクトを見るやいなやげらげら笑った。
「ぎゃははは! 汚物っぽい!」
自分が汚物呼ばわりをされるけれど、人を汚物扱いするそんな人物だった。
「は、は、お腹痛い。お姉ちゃんの云った通りこんな状態だったね。ちょっと待ってて、すぐに組み立てるよ」
手伝う必要もなくてきぱきと作業を始めるとほんの数分でそれは完成した。
「ほら、お風呂」
お風呂?
「ただの桶なんだけどね。そしてこれが水ね。あるじ様、見て。これね、僕のが造った液体を入れる袋。大きいでしょ?」
荷物の大半を占める焦げ茶色の袋の中身は水らしい。トウマが造った品なら見た覚えのないのは当然だった。
「丈夫なんだよ。これをね」
そう云って、どばどばと組み立てられた桶に傾けて水を投入していくと身体を潤すには十分な洗い場となった。
「ほら、ホクト」
準備したから入れと催促するトウマ。
「ねぇね、さっきの話の続きだけど」
「おい、無視してんじゃねぇ」
「ホクト、臭いので早く身体を清めなさい。旦那様に失礼です」
「もっと、もっと云って」
ナンノしたら鎖も手錠もか細い枝らしい。ぽきぽきと折っていきナンノはホクトを立たせると、床に散乱した鎖と手錠を呆然と眺めている。お気に入りのアクセサリィでも壊された子供のような顔のまま、諦めたのかボロ切れ一枚になった彼女は桶に張られた水を眺めながら呟いた。
「お風呂入りたくないわ」
「なんだと?」
トウマの反応は早かった。
「洗って小奇麗になると、侮蔑した視線をもらえなくなる。手前はボロ雑巾のように扱われたい」
「煩い、とっとと入れ」
「ほぎゃん」
「僕が洗ってやる」
ボロ雑巾のように足蹴りされもみくちゃにされているホクトは恍惚としていた。
「そっ、ごぼごぼ、こんな、ごぼごぼ、扱いも」
「全然、汚れが落ないなぁ」
洗濯物でももっと丁寧に扱われるのに、姉妹の扱いが雑なトウマだった。けれども、どこか楽しそうな二人に見えるのは俺が狂っている証拠だろうか?
「旦那様、少々視界をお塞ぎください。少しはましな格好にしますので」
そうですよね、観てたらいけませんよね。
楽しく戯れあっている二人から数十分後。
「お待たせしました」
ナンノ声に反応して見てみれば、そこにはスーツ姿の女性が一人立っている。白のシャツに白のタイトスカート、白のジャケット、肌タイツに銀色のハイヒール姿、けれど目隠しは外さないで長髪が一緒に留められている。ぴったりと寸法の合った衣類はホクトのスタイルの良さを浮き彫りにさせていた。
眺め続けると目の保養になるので、しばらくこのまま気持ちを穏やかにしたい俺だった。
「ドヤ」
「こいつホント腹立つなぁ。でも、似合うなぁ」
「ましな姿になりましたね」
「けど、誰も手前を見てくれない。蔑んでくれない」
「お姉ちゃん、ホクト、タフすぎるよ」
「健康は大事です」
「そうだね。ホクト」
「何?」
「おかえり」
「…………」
「なんだよ」
「ねぇね、トウマが変だわ。素直」
「なんだとぉ!」
「トウマも面倒見はいいですから。ホクトきちんと答えなさい」
「あ、はい。ただいま」
「まっ、あるじ様のおかげだけどな。ねっ、あるじ様。おいこら、逃げようとするな。逃さないぞ。どこ見てるんだあるじ様?」
その、仲が良いところ申し訳ないんですけど、俺たち以外の誰が来ました。
「「「えっ?」」」
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