9

 馬に揺られながら牧歌的にセットの街を背景として西に進んでく。あたりには草木が多く茂っており人が迷い込まないように杭と鉄線が張られている。鉄線に沿う形で俺たちは進んでいた。


 さきほどまでの暗雲な状況から一転しているのは、ナンノが俺の後ろで機嫌よく鼻歌を唄っているからだ。馬車の折は運転したがっていたのだけれど、乗馬ではルールがあるらしく手を引かれなければ乗らないらしい。


「褒められて光栄です。私のお気に入りなのです」


 隠れ家の惨劇を念頭から払拭させるため、馬上で何の気なしに衣類について尋ねてみれば、妹のトウマが造ってくれた品らしい。白と青の意匠はナンノを引き立てているし、頑丈さも並みの工作士の品ではないと感じていたけれど、人の形を造り出すのとは雲泥の差。


 魔物の次は人間ですか?


 トラウマを植え付けさせるの十分な工作物が、ナンノの衣類を造った者と同一人物とは信じがたい。衣類だけで語れば造形の深い品であるはずなのに、人の形が本物に見えてしまう造形は悪意の塊でしかない。いや、殺意は込められていた。


 ぷつん、とほつれは切った。手作り感を思わせる箇所があって、普通の話題で気が紛らわせられると思って訊いてみた結果解った事実はおぞましさを増長させただけだった。騎乗に勤しんで落ち着こう。


「旦那様」


 気づけば鼻歌は止んでいて声がかかっていた。


「お願いがあります。青山へ向かって頂けないでしょうか?」


 特に目的地が決まってはいないため、拒否はなかった。


「薬味を手に入れたいのです」


 基本的に市場で取引は行う。薬味もその一つで規模や商品はその土地で価値が違ってくる。安く済ませたいのならば自身で直接採取するのがいいのだけれど、方法を知っていればの話で無知であれば時間も手間もかかるので市場で済ませる方が安価だったりする。


 この地域は薬味がないと以前食料をこさえる際にナンノが不満を漏らしていた。ここの市場では薬味は大きな価値があるのと予想される。俺の財布事情を考慮してナンノは云ってくれているのかなと一応思った。


「ゴミの触れた物を旦那様に口にさせるわけにはいきません」

 だよね。


 思いやり半分、狂気半分。


「火葬場からは少々距離がありましたので甘んじていたのですが、近場となりましたので手に入れておこうかと。

 旦那様、私が道案内を。地形が変わっていなければこの辺りには穴場があります」


 封印されていた年月を考えれば、そういった心配も必要だと思う。こんな心配するのはナンノぐらいだろうけど。


「あちらへ向かってください」


 言わずもがな、方向は杭と鉄線を超えた場所。視界に入りつつも無視し続けていた看板を確認する。


《生命惜しくば神隠し山に入るべからず》


 あっち?

「はい」

 こっちは鉄線があるから……。

「少々お待ちくださいね」


 馬上よりナンノは軽く三回指を振って杭と鉄線を切り倒して、道を作ってくれた。


 うん。知ってた。

「これで旦那様に美味しい食事をしていただけます」


 気持ちのいい鼻歌を唄い始めた一途な女性が見ている未来は、俺はちゃんといるのかな?


 馬の手綱を握って未開の大地へ方向転換した。


 時間をかけて右折左折獣道人なき道を馬で進んでいく。


 青山でもまだ麓だと斜面も傾らかだ。足元は草木が生い茂っていて地面に穴が空いているのではないかと、慎重に進んでいく。人が完全に立ち入らない場所。棒立ちしていたら足から草が生えてきそう。


 道中に素人目でも十分な薬味や食料があるのだけれど目的の物ではないらしく、ナンノの指示でなければ引き返す気持ちで逃げる理由を一生懸命に探しながら進んでいくと突如辿り着く。


「良かったです。まだ、ありました」


 ほっと胸を撫で下ろすナンノ、右往左往したくなった俺。


 眼前には死屍累々の隠れ家が住みやすいと思える阿鼻叫喚な場所だった。「ひひぃーん!」と俺の心情を代弁する馬が暴れだしたので落馬する前に降りる。馬は悲鳴を上げながら来た道を戻っていった。


「なんて馬でしょう。旦那様を置いて走り去るとは非常識です」

 非常識って云った?


 いや、あいつの気持ちはよく解る。俺も一緒に逃げたいもの。逃げられなかったのはいまだにナンノが腰を掴んでいるせいだった。


 ナンノの両手を腰から外して、周囲を震えながら観察。


 緑の樹林は灰色の禿山となって大岩の蔓延る巨大なダンジョンの入口となっていた。人骨が入り口付近に無残に土の養分となれず乾燥しきっている。肉の部分は何かの余分となったのだろうか。


 ダンジョンの入口が泥でも煮ている鍋に見えてきた。突如この空間が現れたのは何らかの魔法の仕掛けがあって迷い込んだ人間を待ってた的な、そんな的な。


「グゴゴォッ!」


 咆哮。

 そうだよ食料待ってましたといわんばかりに、俺の見上げる可動限界まで大きな魔獣が現れた。いや、そうじゃない。ダンジョンだと思っていた入口は魔獣の大口だった。


 剣の牙、紫の体毛、何千人の餓えを凌がせてくれる巨大さ、毒をもってそうな爪と尾。顕著なのは金色に輝く眼球と雄々しく伸びた二本の角。


 伝承でしか耳にしたことのない《ベヒーモス》。


 あれ? 逃げるってどうやるんだっけ?


 混乱している俺をよそにナンノは魔獣に近づいていく。ナンノの強さは知っているつもりだけれど、大小差があり過ぎてやべぇと思う。語彙力も混乱した。


「あら、お利口です。ゴミ掃除はきちんとやっているようですね」


 魔獣はナンノに撫でられるを待っているのか大口を閉じると頭を垂れてじっとしている。


「紹介しておきますね。こちらは私の旦那様です。きちんと匂いを覚えておいて下さいね。失礼のないように」


 魔獣は小動物のように俺の臭いをゴオゴオ吸って体臭を覚えているご様子。


「少しばかり貴方の住処にお邪魔しますね。料理に必要な薬味を切らしてしまったので頂いていきます。旦那様、こちらへ。この子のところの薬味はゴミが介入していないので新鮮なのです」


 ナンノの後ろの魔獣をみれば、解ります。


 金色に輝く眼球が俺が動く速度で追尾してくる。ぱくりと食われるのもよし、ぺちんと潰されるのもよしと自分の小ささを如実に表す存在を横目に、ナンノと共に強大な住処へ足を踏み入れた。


 お邪魔します。


 圧を受けつつ中へ入ると、珍妙な緑の景色になっていた。植物が巨大。加えて、動いていて、急速に成長している過程が視認できてしまう。数日放置しておけばダンジョン内を埋め尽くしてしまうほどなのに、空間があるのは食べられているからだと予想をつけた。


「ありました」


 ナンノに合わせて立ち止まり腰をかがめた。地面から茎が伸びている。


「土の下に根が埋まっているのです。茎をひっぱって抜くのではなく。周りから掘って薬味となる根を傷つけずに取り出すと、採取できます。まあ、これはりっぱな物が採れました」


 隣で震えながら採取する方法を学んだ。


「取りすぎず、必要な分だけ頂くのが行儀作法なのです。一つで十分でしょう。土を落とすとしましょう」


 掘った穴を埋めてから土の塊を山水で丁寧に洗い流すと、黄土色の太い根が出てきた。濡れた見覚えのない薬味を丁寧にナンノは拭き取るとバッグへしまった。


「さて、戻りましょうか旦那様」


 俺は色々な事象を学び立ち去る気持ちがいっぱいいっぱいだったから、何度も首肯する。背後に大きくある気配からとにかく逃げたい一心である俺に対し、ナンノは余裕を持って背後を見やる。


「また、巡り合わせがあれば。ご機嫌よろしく」

「グゴゴォッ!」

 あ、失礼します。


 俺は行儀作法を正しく行い、頭を下げて魔獣の住処を後にする。魔獣を背にしてぎこちなく歩いていくと気づけば周囲が草木に戻っていた。


「旦那様。食料が見つかりました」


 ナンノが指さす方には馬がいた。

 申し訳なさが凄く滲みでている。

 馬よ、逃げた気持ちはよく解る。

 馬を解体しようとするナンノを説得して、再び二人で騎乗道中に戻った。


「なるほど、新鮮な非常食は必要ですね」


 巨大なダンジョンというか魔獣の住処を見たのは初めてだし、住処に似合った魔獣を目撃したのももちろん初めてだった。


 伝承は事実だからあるんだぁ、と思った今日。


 魔獣の掌サイズが人間の大きさ。金色の目をしているのが特徴で古来種とも呼ばれ人にもちろん懐かない。人間を襲いはするけれど、食べる話も聞かない。魔法の仕掛けを使うとも聞いたことがない。人間の食料となる肉類や魚類は魔獣を家畜化させたと伝えられている。それらの憶測が事実だったのは魔獣の大きさと目の色だけだった。


「これで旦那様に尽くせます」


 あと体験から解ったのは魔獣の住処に薬味を取りに行く鼻歌を唄い始めた彼女のポテンシャルは高すぎる、という事実だった。


 俺が従うべきなんじゃなかろうか。


 マイペースに青山を降りて進んでいると、人だかりが見えた。揉め事でも起こったらしく忙しない。農耕器具を持っているところを見るに《サヴァ》の村人らしい。そそくさと通り過ぎようとすると声をかけられた。ナンノの鼻歌が止んでいるので機嫌は斜めだ。


《村人》「旅人さんは知らんじゃろうが絶対にあの山に向かっちゃいかん。あの山は神隠し山と呼ばれておってだな、入った者は帰ってこん。何十年も生きてきて咆哮を聞いたのは初めてじゃ。伝承では山神の咆哮と言われておる。おや、あんたなんてべっぴんさんとおるんじゃ!」


 忠告ありがとうございます、いま遭ってきたとこなんでよく知ってます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る