18

 運転手と性格が連動するすぽちゃんは荒々しく俺たちの前に停車した。停車というか見えない壁に衝突する感じの停止だった。ドアが開いて二人が下車する。


「お待たせ!」


 熟睡して溌剌としているトウマに対して、頭を抱えてる様子のナンノ。


「トウマ、旦那様に運転を習いなさい」

「えっ! 僕が習うの?」

「貴女のは運転ではありません」


 先生から生徒へ格下げだった。


 ナンノはトウマに啓蒙するとこっちに静けさを保って近づいてくる。うん、怒ってる。


 セイホはナンノに連絡をとって、事の顛末をすでに話していた。話した結果ナンノの声色が変わるのは解っていた。セイホは覚悟して話したらしい。二人は対峙してナンノは云った。


「セイホ、貴女は利口だと思っていました」

「はい、そうだったかもしれない」


 瞬き一つせずに言葉を交わし合う。


「貴女は旦那様を謀に利用したのですか?」

 謀?

「傷つけるつもりはなかった。ぬし様には申し訳ないといまでは思ってる」

「計略で負傷させたのであるなら、トウマほどの甘えを許容できません」

「はい」

「えっ、えっ、えっ。お姉ちゃん、セイホ」


 対峙している二人の間をあたふたとしているトウマは泣きそうだった。


「概要は?」

「あのとき、自分がどうすればよかったのか知りたかった」

「まだ、自分を許せないのですか?」

「はい。責任は負わないといけない」

「責任を誰も貴女に望んではいません」

「自分が望んでいる」

「なるべくしてなったのです」

「自分がみんなをバラバラにしたから」

「…………」

「あのとき、答えが解かっていれば。姉上は封印されず、ホクトは捕まらず、トウマは泣かないで一緒にいられたのに」

「…………」

「あのとき、感情任せに姉上を護ろうとせず」

「…………」

「ぬし様のように、姉上と一緒に逃げれば良かった」

「えっ?」

「ぬし様、自分を助けなかったら怪我しなかったのに。危ないときは他人を見捨てて一人で逃げるもの。そう、人生に学ばなかった?」

「…………」


 俺に話しかけているようで、別の誰かに聞かせている様子だった。


「学んでないなら、いままでもこれからも。ぬし様はきっと逃げ続ける」

「…………」

「それがいい」

 自身の夢が叶ったようにセイホは口元を綻ばせた。

「姉上。あのときはそうすれば良かった、よね?」


 驚いて声の出ないトウマをみやって、ナンノはセイホに言葉をかける。


「いいえ。貴女たちはあのとき何も思わなければよかったのです」

「どういう意味?」

「私たちはホントの姉妹ではないのです」

「何? 姉上を他人と思えってこと?」

「そうです」

「ふざけるな!」


 感情を叫ぶ女性は似つかわしくない声を外へ出した。


「…………」

「泣いていた自分たちを助けてくれたのは姉上。姉上がいなかったら、自分たちはからっぽのままだった」

「感情に支配される恐れはなかったのです」

「違う」

「再び出遭うべきではなかった」

「違う」

「私がいない間、感情に支配されなかったはず」

「違う」

「違っていなかったら、妹を殺す姉がどこにいますか?」

「…………」

「答えられないのが証明です」

「偉そうに」

「何ですか?」

「どうせ、トウマのときみたいに殺せない」

「愚かな」


 空間を切るようにナンノは云い切った。木々が揺らめき鳥類が飛びさり、トウマは尻餅を着いた。


「私が嘘を吐くとでも? 終わらせましょうか」


 皆々が恐怖に呑まれている中セイホはおくびにも出さないでぎゅっと両手を握り締めていたのをゆっくりと解放した。


「セイホ。まだ、自分を責めてるの?」


 場違いな声が流れ込んでくるのをセイホは邪険に払った。


「煩い」

「お姉ちゃんも自分を責めないで」

「……空気をよめ」

「…………」

「殺すのも殺されるのが罪を償うことじゃないよぉ」


 ――殺人が救いになるのも知ってる?』


「姉上は嘘を吐かない」

「…………」

「待って、待ってよぉ」


 そっと、セイホは隣をみた。


「トウマは莫迦」

「…………」

「でも、それでいい」

「あ、あ、あ」


 ――もう少し一緒にいてもよかったなぁ』


 独りになる女性はそう云って瞼を閉じた。


 俺はそんな三人を見ながら、こんなときでも逃げることを考えている。


 大変だ。

 大変な姉妹と関わり合いを持ってしまった。

 困った。

 困る姉妹と関わり合いを持ってしまった。


「あるじ様!」


 ――困ってたら助けてあげて』


 対面にいるトウマは誰かにすがるように声を上げた。


「旦那様」

「ぬし様」


 俺は地面に額をつけていた。


 嫌だ。嫌だなぁ。

 このあと嫌な気持ちを持たなきゃいけなくなる。

 そんな雰囲気の中、一緒に歩くのは絶対に嫌だ。

 嫌だ。

 だから、逃げよう。

 想定される未来から逃げよう。

 苦しみを乗り越えずに、過去からも早く逃げよう。


「「「…………」」」


 各々心情があって、錯綜していてけじめをつけなければならないのだろうけれど、三人の過去を俺は知らない。知る気もない。


 俺が知るのはこれからの自身の未来だ。


 嫌な雰囲気になる未来は勘弁して欲しい。


「旦那様。お止めください。お立ちください。汚れます」

 嫌です。

 また、嫌な雰囲気が始まるでしょ?

「旦那様。私たちの過去は何も知りませんでしょう」

 知りません。

「旦那様にとって私たちは短い間柄です」

 そう。けれど、三人は違う。

「…………」

 喧嘩してもいい、けれど仲直りしましょう。

 ナンノとセイホはトウマを見習いましょう。

「え、僕?」

 トウマの莫迦さ加減が賢い二人には丁度よい。

「そんな……。あるじ様も僕だけ莫迦云うな」

 空気が読めないところとかも見習ったほうがいい。

「ちょ、悪口ばっかりじゃないか! 見習ったら駄目じゃん、僕駄目じゃん」

 駄目だったら、君はすでに死んでいると思う。

「へっ?」

 駄目だったら、この間二人は会話せずにすぐに君を諦めたと思う。

「「…………」」

 トウマの過去に囚われない楽観さが必要、なのかもしれない。

「そこは自信を持ってよ!」


 巫山戯た雰囲気の中、ナンノは横に振る。


「それとこれとは話が別です。旦那様は怪我をしたのです」

 痛かったけど、縫ってもらったので大丈夫。

「セイホは旦那様に失礼を働きました」

 今度からは盾になって働いてもらいます。

「ぎゃはははっ! 盾ぇ」

 ほら、この素直さ。

「…………」

 罪を償うならナンノに献立を考えてあげよう。

「それぐらいじゃ、自分の罪は……」

 献立をこれから毎日考えるのは大変です。

「…………」

 家事を舐めたらいけない。

「……、はい。じゃあ、何がいいかな?」

「美味しいやつ」

「トウマに云ってない」

「超美味しいやつ」

「姉上の料理は全部超美味しい」

 セイホに献立を決めてもらってトウマに作ってもらおう。

「えっ、僕も作るの?」

「トウマも二人に迷惑をかけた」

「そ、そうだった。じゃあ、たまに作る」

「毎日は?」

「僕が毎日作ったらお姉ちゃんのが食べれないもん」

「同意」

「別の意味含んでるだろ?」

「ぬし様も手伝ってくれる?」

 俺は何もしません。

「ぎゃはははっ! あるじ様、偉そうに口だけ」

「他力本願。なのに、自信たっぷり」

 俺は食べるのが専門なんで、ナンノに精査してもらってください。

「…………」


 ナンノは黙ったままで大きく重い息を出した。


「旦那様、ご自覚ください。ご自身を優先して行動なさってください」

 優先してます。

「優先しておりません。優先しているのなら私にご命令ください」

 いつもしているから、ないです。

「旦那様が私にご命令をされたのをついぞ覚えがありません」

 いま、命令したところで。

「それを人は思いやりと呼ぶのです」

 真似事とも呼びますよ。

「貴方はいつも私たちの我が儘を叶えるばかり」

 たまたま自分に都合がよいだけです。

「言いたくありませんでした」

 何を?

「私と出会わなければ、旦那様は安心だったのです」

 …………。

「ご存知でしょう? あのときも、あのときも、あのときも、あのときも、旦那様が危険だったのは私が原因。私との出遭いから不安が始まったのです」

 …………。

「残念ながらもう、やり直せません。願っても時間を戻すことはできません。ですから、いまある道具で最善の策を打つしかないのです。思いやりはいらない。正直に使ってください」

 …………。

「ご命令を」

 …………。

「旦那様が私に命令だけなされるなら、私は旦那様の道具になれる」

 …………。

「安心されてください」

 …………。


 感情というものがある限り、同じことの繰り返しだと。

 その限り、俺に安息の地はないと云っているようだった。

 だから、俺に命令をさせることで安心を渡そうとしているのか。

 それとも、自分自身をからっぽにして欲しいのか。


 …………。

 解った。

 ナンノ。

 命令だ。

「はい。旦那様」

 二人をぎゅっとしなさい。

「「「!」」」

 考えすぎな君にはそれが必要だと思う。

 それが何なのか知らないんですけど。

 これでどうなるかは知らないけれど。

 君が望むのならこんな命令もいいかも。

「…………」

 けれども、仲直りは命令してするもんじゃないと思うんだ。

「…………」


 一旦音が止んで、ナンノは丁寧に声を発した。


「……そうですか。そこからも、逃げてしまうのですね。旦那様は、いつも、いつも――私の心を見透かしてしまう。だから、どこかで願ってしまう」


 頭を垂れていると、声がよく聴こえた。


「貴方を頼ってしまう」


 顔を上げてナンノを見ると、色々な感情が綯交ぜになった表情をしていた。


「旦那様、私が気持ちを緩めてしまったら、いつかいまよりも、もっと酷い結末を迎えるでしょう。いまが甘ければ甜いほど。私が許されれば赦されるほど。その代償は周りの者に、親しい者に降りかかります。感情の反動は強大です。自身を抑えられなくなったら、私は――」


 そのとき、俺はとりあえず三人でナンノから逃げますから。

 ほとぼりが覚めたら逢いに来る、それなら大丈夫でしょう。

 殺すほうがましなのは、何なのか知らないけれど。

 大事なのはナンノが未来よりもいまどうしたいか。

 素直な感情に従ったほうがいいと俺は思いますよ。

「……旦那様はどうして、私に、そこまで――」

 不機嫌な君に追われ続けるのが怖いだけです。

「旦那様、ちょっとは口ごもる場面で、あ――」


 彼女だけが口元を手で押さえて、


「姉上」

「お姉ちゃん」


 思い出すように云った。


「旦那様は。旦那様は……泥棒なのに、嘘を吐かれないのですね」


 嘘。


 ああ、思い返せば、

 あの日、

 泥棒が当たり前に独りの女性に嘘を吐いたから冒険が始まってしまったのだ。


 自自業自得?


 いいえ、俺は逃げたいだけ。

「うそつき」


 間髪入れず俺の心を見透かしてきた女性は、

 淑やかに微笑しながら一筋の線を頬に引く。


 堂々と顔を包み隠さず妹たちを見て、彼女は呼んだ。


「セイホ、トウマ」

「はい」

「うん」

「いつも自分勝手な姉でごめんね。貴女たちを抱きしめてもいい?」


 本音を聴いた二人は姉を真似ていっぱいに頬を濡らした。


「姉上、ごめんなさぃ」

「お姉ちゃん、僕もぉ」


 ナンノは飛びかかってくる妹二人をぎゅっと抱きしめた。


「私こそごめんなさい。貴女たちと一緒に生きていたい。ああ、温かい。どれほど望んだことでしょう」


 姉妹の関係が嘘のように一つになって、これから一緒に進んでいくのが解った。


 俺は役目を終えたようだ。


 この日のために、俺は彼女らと出会ったと考えるべきだろう。


 そっと、仲睦まじい三人を背にしてこの場を立ち去ろう。


 頬を拭う三人は気持ちでも切り替えるように会話を始める。


 俺には関係のない話、のはずだった。


「セイホ、トウマ。私たちは旦那様には助けて頂いてばっかりです」

「はい」

「うん」

「これからも尽くしていかなければなりません」

「はーい」

「うん、うん」

「旦那様は逃げるのが得意ですから、そっと止めるなり尾行するなり各自臨機応変に対応すること。独りにはさせないようにしましょう」

 ん、ちょっと。

「それはキジ撃ちも?」

「手伝ってもいいでしょう」

 何云っているんですか?

「水浴びのときに監視する」

「よい心がけです」

 それただの覗き。

 姉なら妹たちの変態行動を止めてください。

「就寝中は私にお任せを」

 俺のプライベートは?

 あれ?

 甘くない?

 やばくない?

 溺愛じゃない?

 どんどん望まぬ方向に雰囲気が進んでない?

 本人がいるのに本音を垂れ流しすぎじゃない?。

「旦那様は格好つけて立ち去ろうとしましたが、足の痺れで動けなかったようです。今更ながら痺れをとってあと数秒もしたら普段通り足音を殺して動けるようになり、私たちから逃げようとするでしょう」

「そうそう」

「わかってる、解かってる!」

 俺以上に現状を把握しているのは何でなんですかね?


 三人は地べたに鎮座している俺に向き直ると並んで頭を下げた。


「「「私たちは貴方様に従える者として気持ちを汲み取るのが当然です」」」

 どう考えても汲み取る以上のことをしようとしてるよね?


 一人は、

 一人は、

 一人は、

 三姉妹は無邪気に、自慢げにそっくりな表情を見せつけてくる。


「「「そして、貴方を逃がさない」」」


 ほ、ほぉ。

 なるほど。

 仕返しですね、解ります。

 …………。


 逃げられない未来が容易に想像できてしまうのが嫌だ。


 足の痺れが取れたのを見計らって、とどめとばかりに軽いステップ音がやってきた。


「あるじ様! 僕たちの仲を取り持ってくれてありがと!」


 ぼふ。うぷ。


 大きなお胸が俺の顔を埋め尽くす。


 なんか、もう、気持いいよね。


 トウマの姿を冷めた目でみる二人は口々に罵る。


「乳力を使ってあざとくビッチ」

「こらぁ、セイホ!」

「漁夫の利狙いあざとくビッチ」

「え、お姉ちゃん!」

 全く仲を取り持てていませんが、はっ。

「まあ、トウマらしくていいでしょう。旦那様の云う通りそういったところを見習わなければならないのかもしれません」

「莫迦に学べとなかなか難しいことをぬし様はおっしゃる。自分はぬし様に抱かれ胸筋に顔を押し付け助けられるか弱い女の子になる」

 ここに遺体を飛散させたのは誰ですか?。

「今度は頭ぽんぽんしてもらう」

「何? ぽんぽんって」

「セイホ、詳しく」

 とりあえず、気絶しておかなきゃと死ぬと思う俺だった。


 薄れゆく意識と共に、


 ――私は――彼方たちを救えなくなる』


 彼女の言葉も消えていく。

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