17

 夜の帳も下りて辺は黒一色になっている。すぽちゃんのライトが前方を照らしていても、慣れ親しんでいない夜の視界に俺は慎重になって速度を落としていた。


「ふにゃにゃ」


 誰かの寝言が聞こえる。睡魔に逆らわず身体を休めているようだ。警戒心の欠片が必要のない面々である。見ず知らずの人間を放置できるのは強者の特権と言わんばかりの熟睡具合だった。


 王都セーミに再度向かう。目的はセイホの情報収集と変わっていないのに、結果脱獄の手引きへの準備とは俺の人生は紛れもなく地獄に向かっている。いや、ナンノに出会ったときから既に向かっていたのだろう。


「ふにゃんこ」


 可愛らしい寝息を聞いても全く癒されずに、顔に風を受けながらすぽちゃんを走らせていると、何個目かの石碑を通り過ぎた。


《天災があり

 天災は魔獣を呼び、大地を犯した

 国家があり

 国家は人災により、天災を鎮めた》


 セプテム各地の天災の爪痕には石碑が建てられ文言が刻まれている、それは始まりの歴史だった。


 大きな歴史は天災が悲鳴をあげ魔獣と共に大地を涜し、人々の阿鼻叫喚に包まれたところから《悲鳴の戦》と書かれた。数十億の人が死んで逝き絶望とされた中、皇帝の率いる軍勢が人災を使い鎮めたとされている。悲鳴の戦からの文献は多く残っていてもそれ以前の記録の多くは消失してしまっているのが、始まりの歴史と呼ばれる所以だった。


 いままでの俺の泥棒稼業が国家への間接的な反抗ならば、これからは直接的な喧嘩となる。名を馳せた歴史の当事者にホクトは何をやったのか知らないけれど、俺はこれからやるらしい。うん、うん。牢獄は気軽に移動する場所じゃない。自ら悪行を轟かせにに行くのってどうなの?


 と。


 ライトを消してすぽちゃんを停車させた。前方人影を発見。ライトを消したのは愚策だろうけど、自身の位置を知らせ続けるよりかはマシだ。一人下りて草むらに身を隠しながら視認する。火器を持った兵士が二名。夜間巡回警備兵。


 背を向けて歩いているところからバレてはいないようだ。巡回を終えていまから自動車に乗って門に帰る、そんなところだろう。運転席に戻る。兵士が乗り込むのを確認して一定の距離を開いたまま尾行する。数分程度後を追ったところで高々な砦が見えた。


「くぅぴぃくぅぴぃ」


 いびきを聞きながら木陰にすぽちゃんを止めた。艶やかな黒なので闇に紛れるのは得意だろう。運転席から下りて砦に近づいていく。近づくといっても開けた場所には出られないため身を隠せる草木のある茂みまで。


 石垣の砦に侵入を許さない塀が横に伸びて立っている。通行する門扉は閉じられており松明の灯りが後光でも似せるかのように明々としていた。


 変だ。


 兵士を数える。肉眼でみれば四人。砦の裏側まで数えれば十二人。夜間は門扉が閉まって検閲はないため人数は少ないはずなのに三倍の兵士がいる。それに配備されているのは。


「つんつん」


 背後から背中をつつかれた。


 ひいィィィ!

 ひいィィィ!


 馬に似た嘶きを上げそうになって身体をカクカクした。


「ぬし様、キジ撃ちまだ?」


 心臓に手は届かないのに胸の心音を抑えながら振り返ると、半目のセイホが膝を抱えて俺をじっとみていた。


 ひいィィィ!


 どっちにしろ結局怖い。


 幾ばくかの時間で落ち着いて、セイホに状況説明すると心底つまらなそうな顔をした。


「せっかくつけて来たのに。なんだ、残念」

 俺の恥部を求めないでください。

「ぬし様。自分には全く見えない」


 額に手を当てて砦の方向を眺めるセイホ。見える見えないは仕方ないとして、砦へ近づく方法を考えなければならない。


 障害物がない見通しのいい空間が転がっているのを見飽きた人物はしばらくして背中をつついてきた。


「つんつん」

 口で云わなくていいです。


 驚きつつも妙案でも思いついたのかと期待してセイホを見た。


「ぬし様は相手をぎゅっとするタイプ?」

 こんなときに何の話をしているんですかね?

「自分たちはぎゅっとタイプ」

 知りません。

「気持ちが感じられるのがポイント」

 さっぱりです。

「姉上が自分たちをぎゅっとしてくれない。ぬし様にはするのに」

 あれは逃げないように捕まえているだけです。

「自分にしてくれてもいいよ」

 誰がですか。

「ぬし様は殺人が救いになるのも知ってる?」

 へっ?


 突拍子もない問いかけに言葉が詰まった。


「むかし、むかし。一人は独り泣いてて、それでもずっと生きてた。生き続けた一人は裏切りを受け続けてからっぽになった。でも、ある日無関係な他人に心をもらって温かさを知った。こんな物語。ぬし様、知ってる?」

 何の話ですか?

「知らない? 知っているんだと思ってた」

 要領の得にくい話だった。

「トウマに聞かされてない?」

 二人で自動車に乗っていた間を指してるらしい。

 黙っていると肯定と取られて糸でぐるぐる巻きにされそうだ。


 貴女が怖いという話をぎゃぁぁ!


 背中をつつかれて絶叫。


「つんつん」

 つついた後に声に出す必要あります?

「陰口。酷い」

 何度も貴女に伝えてます。

「ぬしゅ様、戻りゅ?」

 …………。


 ナンノは話を順序よく聴いてくれて話してくれているんだなぁと、感謝した瞬間だった。


 膝を抱えたままのセイホは半目のまま変化はなさそうに見える。


「ぬし様?」

 戻って寝てていいですよ。ちょっと、情報を盗んできます。

「…………」


 さて。


 情報を盗み出すなんて泥棒である自分の専売特許だと思えるかもしれないけれど、自身より格上の帝国兵士相手に実践した覚えはない。


 機密情報を扱う場合もある職業柄漏洩に対策は万全だろう。だからといって、商人から馬車や通行許可書を盗んだ方法しか知らない俺はとりあえずは相手の懐に潜り込まなければ何も進展はしないのは隠せない事実だった。


 相手の土台に立とうと思ったところで、ダンジョンで出会ったパーティが都合よく歩いていて協力してくれる巡り合わせがないように、他者に願うのが絵空事に過ぎなくなってきたいまとなっては願ってみるのも一つの手だと思う。相手が起きていればの話だけれど。


「…………」


 試しに通行許可書片手に駄目もとで近づいてみようとしたところだった。


「ぬし様。来た」

 なんですって?

 というか、戻ってなかったの?


 云われて前方を注視すると、自動車がこっちに向かってきていた。夜間巡回警備兵だ。


 これを利用するしかない。希望が生まれたけれど、とりあえず兵士を気絶させてどうする、と思考する前にエンジン音が気になった。


 近寄ってくるエンジン音が凄く気になる。


 俺たちを狙うようにして向かってきてない?

 バレてた?

「ぬし様。使える?」


 差し出してきたセイホの手。掌には何ものっていない。


 ん?

「そっちじゃない」


 道から外れた茂みに身を隠しているのにこっちが正規ルートとでもいわんばかりにやってきた自動車をみやると停車していて兵士は沈黙。


 バレていたら恫喝ぐらいしそうなのに、エンジン音をカタカタ鳴らしているだけで肉声はなかった。夜目は効いてもライトに慣れるのは時間がかかった。


 違和感をよくよく観察する。兵士は乗っておらず無人の自動車がそこにあった。


 ひいィィィ!

「どうする? 時間がない」


 驚く暇も与えてくれず指を軽く曲げたまま、セイホは指示を待っていた。無人の自動車が停車し続けていたら、砦の兵士に怪しまれると云いたいようだ。


 自動車を囮にして砦へ近づきます。

「了解。適当にやる」


 小刻みに指を動かすセイホに連動して自動車は、生きているようにターンして砦へ帰っていく。右側へ向かう自動車の逆を俺たちは目立たなく早足で向かった。


「居場所が解かれば操れる。見るのが確実」


 自身の能力ついて教えてくれているようだ。セイホはこんな状況でも出会ったときの品のある歩き方を崩さない。自動車は兵士に発見され異様な動きで旋回してい辺りにライトが何本も向けられている。


「ぬし様。自分、役に立ってる?」

 役に立つというか助かってます。

「そう? こんなこともできる」


 褒められて喜ぶ子供のように突然立ち止まるセイホに向けて、ライトが一本。


 丁度、処刑台に置かれる首みたく光が彼女の頭部を照らした。


 ぱしゅん。


 砦に配備されていたのはライフルを扱える部隊。こんな場所に、辺境の地に精密な火器を扱える兵士が配属されているとは思いもしなかった。


 ぱしゅん。

「ぬ、し、様」


 胸に抱いたか細い声のセイホの頭に傷は、ないようだ。


 消音弾を具現化できるなら相当な熟練兵と見た。


 掴まってろよ。

 ぱしゅん。


 俺はセイホを抱いたまま走った。間一髪、弾は外れ地面にめり込む。


 ぱしゅん。

「ぬし様」

 ぱしゅん。

 ぱしゅん。


 追尾してくるライトと着弾音。後退するのは動かない的になるだけだ。右に走って止まって揺さぶりをかけろ。目的は。


 ぱしゅん。ぱしゅん。ぱしゅん。ずぼ。


 滑り込みセーフとは言わないけれど、自動車を障害物とできた。


 一旦、無理に息を止めて大きく息を吐き気持ちを落ち着かせて、運動から思考へと集中を移行させる。


 さて、どうする?


 時間はない。狙撃が止んでる。消音弾なら威力はないため障害物で防げるが炸裂弾に代えられたら、集中砲火を受けたらあってないようなものだ。


「ぬし様」

 頭は下げてろ。

 どうする。どうする。どうする。どうする。二人で逃げるにはどうしたらいい?


「ち」


 続く文字をなく、そこで完結していて、


 ち?

「血」

 血?


 彼女は俺の肩を見ていた。


 肌のあるはずの一箇所が黒ずんでいて、そこから液体が漏れ出している。ああ、俺がもらっていたようだ。アドレナリンが過剰に分泌していて認識しても痛みがない。痛みはこれから多く襲ってくる。でも、それよりも――。


 かーん。


 軽快な音と共に空中で火花が散った。


「大丈夫」


 セイホはそう云って、

 俺から離れて的にでもなるかのように立った。


 かん。かん。かん。かん。


 空気が揺れて火の花が散る中、巫女姿の女性が砦を向いて立っている。散っていく火花はセイホを避けて透明な円形を見せながら冷えて空間に吸い込まれていく。銃弾が何重にも編みこまれた糸に弾かれていると解ったのはあとからだった。


「「「「「「ぐぇ」」」」」」」


 呻き声が重なった。落下したライトは互いに交差して地面を並行に照らし続ける。

 ゆらぁりぃ、ゆらり。ゆらり、ゆらぁりぃ。

 鐘のように六つの何かが夜空に吊られている。風もないのに、温かい遺体は首一点に体重を乗せて三日月のように揺れていた。


「ひぃ」


 砦の屋上で悲鳴が上がった。


「ぃた」

「ぐぅ」


 居場所を知られたら人間から遺体へとスライドするのに時間はいらない。


 ゆらりぃ。ゆらり。


 また一人、夜空に吊られた。


「ふぅ」

 そっと吐いた凍る冷たい吐息は人形のような麗人から漏れている。


「ぬし様。教えて」


 おそらく兵士の位置だと判断して指で示した。


「感謝」


 セイホは呟いて指を刺していく。


「ひとぉつ。ふたぁつ」

「ぐぇ」

「ぐぇ」


 連動して呻き声が上がっていく。


「みいぃつ、よおぉつ」

「ぐごぉ」

「ぐちゃ」

「あれ?」


 残念そうに彼女は云った。


「いまひとつ、物、足りない」


 揺れる遺体が十一体、残り一体は四肢が切断され床に撒かれた餌のように地面に転がっていた。


「ぬし様。傷口、縫った」


 云われて肩を見ると傷口は塞がっていて、出血は止まっていた。セイホを見るとこっちは一切見ておらず、砦に向きを固定したままだった。


 どうもありがとうございます。

「自分は死なない。知ってる?」


 セイホが矢継ぎ早に云うのに答えた。


 まあ、なんとなく。

「一人で逃げれば怪我しなかった」

 余計な手間をかけました。

「痛かった?」

 痛くなってきました。

「痛いのにどうして自分を助けた?」


 数分前の自身の記憶に訊いて言葉にしてみる。


 死ななくても、死ぬのはきっと痛いでしょう?

「…………」

 無駄だったけど。

「危険は自分でやらなくていい」

 おっしゃるとおり。

「他人に押し付ければいい」

 そうですね。

「ぬし様。弱い」

 言葉もありません。


 次回からは糸で銃弾を弾けるセイホに盾なって貰って後ろからこっそり付いていこう


「でも、ぬし様のようにあのとき自分は――」

 はい?


 不明瞭な発言に首を傾げたところで。


 痛み。


 あ。

 痛い痛い痛い! 肩が痛い! なんでやっちゃったかなと考えをまとめる前に。ぐごごごぉ。アドレナリン切れて、滅茶苦茶痛い!

「ぬし様」


 痛みを緩和させてくれるような柔らかい声色。


 振り向いた声の主は人形らしくない無邪気さを表情を貼り付けていた。


「助けてくれて、ありがとう」


 最期の声は


「もう少し一緒にいてもよかった」


 誰に向けたのか判然としなかった。

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