第3章
15
「あるじ様、左手あげて。うんうん。次は右手ぇ」
嬉しさを存分に押し出したトウマに俺は身体の寸法を測られている。姉妹に汚物扱いされているから本当に臭いのかと思っていたけれど、そんなことはなくフローラルな香りがした。香りに相まって、動くたびにぷるんぷるする胸部の破壊力が凄いのは黙っているとして、二人っきりでいるのは愚断だった。
現在、トウマの工房の椅子に座っていて、部屋を見渡せば大半見たことのない道具が置いてある。これらは衣類を工作する道具だ。知らないのに言い切るのはそんなものなんだなとなんとなく理解していないと、この道具が俺の身体を加工する凶器となりうる邪念を少しでも払拭したいからだった。
棚には色とりどり棒状の丸めた布が並べてある。工房は寝室も兼ねてあり大きなベッドはピンクが大半を占めていた。ぬいぐるみが所狭しと並べられていて、女の子らしい部屋だと言い切りたかったけれど、ぬいぐるみが明らかにナンノに似せて作られているのが気持ち悪い。
部屋で二人っきりになる状況は避けていた。けれど、数時間前男物の衣類が作りたくてそわそわして落ち着かないトウマは、チラチラこっちを視線を送っていて、もう一人は傀儡にしようと視線を送ってきていてどちらもましではないのに、俺はトウマの方がマシだと協力する愚断を犯したのだった。
「おっとと」
ぼふ。うぷ。
「あるじ様、何度もごめんね」
トウマは俺の顔から胸部を離しながら謝ってきた。何度胸を押し付けられる行為を人はあざといと呼ぶ。
「とりあえず、これでいいかな」
テープメジャをしまいつつ、トウマは俺を見て満面の笑みを浮かべた。
「あるじ様、協力してくれてホントにありがとう。また、手伝ってくれると嬉しいなっ!」
ぽふ。うぷ。
あるじ様と呼ばれるようになって数週間過ぎていた。人見知りの設定はどこへ行ってしまったのか、スキンシップのつもりらしいトウマは玩具でも抱くように正面からハグしてくる。
「ううーん! あるじ様の身体最高っ!」
違うとこに感動してない?
だから、胸部を押し続けないで下さい。
「……それでね、あるじ様……」
顔面を胸部に埋めながら訴えると非難されそうだけれど、至福の時間は最初だけで俺はいま息ができなくてもがいている。
冤罪はこうやって生まれるのだった。そうか、今日が命日でしたか、と納得できるわけがなく必死に助けを請いていた。
「ほうほう。乳の巨大さを最大に活用」
「げっ、セイホ」
酸素を失いうっすらと見える入口の隙間から覗いている長髪の影に、力強くトウマが反応した。
「今度は何だ!」
「とりあえず、ぬし様から離れる? 窒息死」
「わわっ、あ、ごめん。あるじ様」
げほげほ、咳をして空気を吸って吐く。谷間やべぇ。落ちたら死ぬ。胡乱な思考のまま二度とあの谷間に落ちないと誓いながら、セイホに感謝する俺だった。
「乳で生命を止める。恐ろしい子」
「止めろよぉ。また、避けられるだろ」
「大丈夫。もう、避けられてる」
とっさに離れた方向には壁しかなかった。逃げたい気持ちを抱いて入口を見ると、セイホが一人思案顔で納得している。
「誘惑、魅了そして窒息。汎用性。恐るべし乳力」
「一人で云ってろ。あるじ様は僕を信じてくれるもんね。ね? あれ? あるじ様。こっちを向いてよ」
必死にベッドの下に隠し通路がないか探している俺だった。
「と、とにもかくにも衣類は見繕ってあげただろ」
居た堪れなくなったのか、トウマは話を逸らしてつつ入口のセイホに近づいた。
「トウマ、楽しく、作ってたけど?」
「見繕ったの」
ふわりと新調された巫女服をみせるためにかセイホは回る。
「どう?」
「くぅ、似合う」
「ぬし様、どう? 似合う?」
俺は破れた姿もなかなか良かったり。
「やっぱり」
「僕の巫女服を破こうとするなよ。おい、こらぁ」
衣類の若干破けた箇所をトウマは確認しつつ難しい顔をしているようだ。
「強度が足りないのかなぁ。ねぇ、材料がなくなってきたからセイホの糸をちょうだい」
「うん。嫌」
「うん。え? なんだって?」
「糸は自分の身体の一部。得体の知れない存在に渡したら汚れる」
「おい、僕のことを云ってんの? だから、僕を汚物扱いするんじゃない」
強度の基準を姉妹の膂力に置いているトウマは文句をいいつつ、衣類の修繕を行っている。ちらりとセイホの視線を感じた気がしたけれど、飛ばされた糸はない。
「トウマ。姉上は変わった?」
「見た目? 変わってないと思うけど?」
「違う」
唐突な話しぶりからトウマへ逢いに来た理由だと察しがついた。トウマは察することもなく雑談とて周囲に気を配る様子はない。
「悲観的じゃない」
「怖いけど、性格は明るくなってきたね。気にしてないのに、全部自分のせいだと思ってたから、考えて考えすぎてどうしようもなくなって」
「キレた」
「ぎゃはははっ! あれ、凄かったよね! 大暴れ」
トウマは過去の大事件とも呼ばれそうな思い出をおもしろおかしく談笑としていようだ。そんな姉妹の態度に納得できないらしく、セイホは訊く。
「それだけ?」
「何が?」
「…………」
「あぁ、なおしてるんだから、動くなぁ」
俺が外へ逃げようとする動きに合わせて身体を揺らすセイホが、トウマの作業の邪魔をしていた。
「明るいのはぬし様の影響」
「待ってみるものだね。昔と同じ生活ができるなんて夢のよう」
「姉上を怒らせた。トウマの台詞?」
「ぎゃはははっ! この前はホント怖かった」
「ポジティブ」
「ああ、呼ばれなくて良かったぁ」
「…………」
何か言いたげそうに言葉をつぐんでセイホは黙った。
物騒な話でも姉妹の会話、部外者は立ち入られない。なので、通してほしかった。入口付近でトウマもあざとく突き出したお尻で道を塞がないでほしかった。
巫女姿の補修に素直に従い始めたセイホはトウマに訊いた。
「ホクトは吃驚する?」
「お姉ちゃんをみたらするだろうね」
「本心で笑ってたら、もっとする?」
「そうだね。僕らも笑顔になる」
「表面の笑顔しか見た覚えがない」
「よし、終わり」
補修が完了し腰に手を当てているトウマの後ろに通路が生まれたのを俺は見逃さない。そっと、足早にかけようとしてがっちりとセイホに指に手首を掴まれた。
「ぬし様は何者?」
「色々とあるじ様には特別な何かがあるんだろうね」
俺をみて、トウマは無垢に笑う。
いや、何もないです。
「それで、ぬし様と親交を深めようと思う」
脈絡ないよね。
「いいね、いいね! 深めたら何か解るかも」
「自分はぬし様にお人形になってほしい」
「僕は着せ替えの玩具かなぁ。裸になってもらわなきゃ」
支離滅裂にただの願望を口にしているだけの怖い二人。
「利害は一致」
「そうだね。ということであるじ様ちょっとだけ僕たちと一緒に遊ぼうよぉ」
適当な理由を作って不穏当な笑みで俺を眺める二人から救う声が、
「あらあら、楽しいお喋りに私も混ぜていただけませんか?」
耳朶に触れた。
「おやおや、旦那様どうされましたか? 二人に苛められそうだったと? それはいけませんね」
入口に優雅に立って俺を忖度してくれる人物は口元を朗らかにしつつも、二人への視線はそれはそれは鋭いモノだった。
「ぬし様」
「あるじ様」
二人の反応は早く頭を垂れている。
「「本音を漏らして、ごめんなさい」」
正直だった。
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