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 うぅ。うぅっ。


 寝苦しさを覚えて瞼を開けると見知った女性が人を寝具代わりにしていた。重さがないと形容しそうな姿を持っていても、実際に体重はあるので胸を圧迫され苦しい。


 寝具代わりにされた経験を持っていないので正しい対処法など知らない俺はとりあえず挨拶をしてみる。


 おはようございます。

「おは、ぬし様」


 すぐに返事があったので寝ていたわけではないらしい。寝ていたわけではないとしても巫女さんは動く様子が微塵もない。


 あの、どいてもらっていいですか?

「ぬし様。ご無体な」

 酷い仕打ちはしてませんけど? 逆にされてますよね?

「寝ているぬし様がいたらその上に乗るのは自然」

 不自然です。

「このままぎゅっとしてくれてもいいよ?」

 しません。

「じゃあ、仕方ない」

 何をしているんですかね?

「二度寝」

 二度寝じゃなくて。

「姉上の真似」

 姉上真似じゃなくて、真似って何?

「道具がゴミ臭いからぬし様の香りで相殺させてるって」

 俺は果物の皮ではないです。

「安心する香り。くんくん」

 生ゴミ扱いするのは止めてもらってもいいですか?


 ホクトが監禁されていた施設から塀を破壊し南下していた俺たちは、移動と野宿を繰り返して日々を過ごしていた。一番眠り続けていた一人は人を寝具にして再び寝ようとしている。


 寝具等々は砦を護っていた兵士から拝借した物で、野営を行うには十分な数を揃えられていたのだけれど、臭いに敏感な一名が人間に対して拒絶反応があったため道具を丁寧に洗い直してしまい数日間使えなかった。そして、三日目の今日からは平穏無事な生活が始まっているはずだった。


 臭いに敏感な人でなくとも、大雑把ではない女性であるのなら身の回りを清潔にするのは至って普通なのかもしれない。俺が使ったあとに使用するなど云い出さなかったなら、変態ではないただの常識のある女性として一目おかれることだろう。


 無理だけど。


「ぬし様、ごろろん」


 寝具扱いされたままでは埓があかないので、人間一人を自分から転がして自身はテントから外へ出た。


 いい香りが漂っている。香りの発生元は探すまでもなく目の前にあった。


「おはようございます、旦那様。よく眠れましたでしょうか?」

 よく寝ていました。

「それはよかったです。セイホきちんと起こしてきてくれましたね、助かりました」

「まかせて」

 二度寝しようとしてたけど? その自信はどこから?


 火にかけた鍋の中を木の柄杓で混ぜているナンノは健やかな笑みだった。起きたばかりだというのに、身体が栄養を欲しているのか口内に唾液が分泌されている。


「野菜スープを作ってみました」


 胃袋は準備万端と音を鳴らして、催促しているご様子。


「お顔を洗ってきてください。それまでには準備しておきます」


 こくりと頷くと俺の足も自然と小川へ向かっている。朝食に従順な身体だった。


 後ろから付いてきているセイホは云う。


「ぬし様。ごろろん、楽しいからまたやって」

 うん、あれは楽しそうだったけれど、やりません。また、寝具扱いするでしょ。


 食後満腹中枢にはしばらく休んでもらって、ごろんと寝転がり肉体の休息に勤めていた。


 青空は平坦に並んでいて微風が流れこんでいる。地面の敷物の上に各々スペースを持って自由を満喫していた。


 相変わらず何かをいじくっている者、意味もなくたぬき寝入りをしている者、鎮座して鼻歌を唄っている者、すぽちゃんに踏まれながら喘ぎ恍惚となっている者。


 …………。


 狂人若干一名は捨て置いて、協調性のない空間を作り出せるのが、気を置けない間柄に許せる特権。満腹感はこれほどまでに自分の危機感を喪失させてしまうのか、それとも。


 いや、そろそろ。


「旦那様よろしでしょうか?」


 少し微睡んで生返事をした。声をかけてきたのはナンノで子守唄の音色に似ている。


「この前の続きをお伝えしようかと思いまして」

 この前とは?

「活用方法の話です」

 ふぎっ!


 眠気が吹き飛んでこれからとんでもない話が始まるのが、直感がなくても解った。


「ゴミの再利用の話です」

 こういうどキツイ発言をする人でした。

「ゆっくりでもよいかと思ったのですが、そろそろ頃合かと思いまして。


 現在、私たちの状況を整理します。仮定の話にはなりますが王政へ私たちのことは知られたと考えるのが無難でしょう。ゴミであっても尽忠報国を口にしていたのですから、頭をちぎられても自動書記の魔術で移動先の相手に伝えはしたはず。即死ではなかったですから、両手が伝える時間は十分にありました」


 したくない想像をしながらごくりと唾を飲み込んだ。いま、ナンノ、食後ですよ。


「申し訳ございません旦那様。ゴミが旦那様の視界に入る前に掃除するべきでした」


 さっきまでの牧歌的な居心地の良さは何処へやら、地獄でも掘り起こしてしまったとでも言わんばかりに俺の視界には赤い闇がちらちら映っている。


「大々的に手配をするかは判然としませんが追っ手は寄越してくるでしょう。ですから、それを利用して旦那様を強くします。いささか強さが同等になっていませんので修行を開始しようと思うのです」

 シュギョウ? 新しい献立ですか?

「修行内容は鬼ごっこです」


 名前だけが親しみ易かった。


「鬼ごっこはですね。鬼と子に分かれて鬼が子を捕まえる遊びです。この修行では主に持久力が鍛えられます。以前ご一緒に並走させて頂いたときの持久力では長時間攻撃を避け続けるのは難しいかと思われますが鍛え上げれば素晴らしい成長が見られるでしょう」

 避け続ける?

「旦那様は攻撃面よりも防御面を強化されるのが善処かと。では」

 へっ?

「説明よりも実践で殺ってみましょう」

 何て云いました?

「セイホ、協力してもらえますか?」

「りょうかい」

「何なに、なにするの?」

「おほほ。きもちぃぃ」


 ナンノとセイホはさっと立ち上がり、トウマは興味深そうにこっちをみてまた一人は悶えていた。


 …………。


 だから、一体何がしたいの?


 毎度のことながら俺の意思など関係なしにとんとん拍子に話は進む。


 けれども、不快感がないのは結果的に慮った行動になっているからだろう。多分。


 各々立ったり座ったりしていて、ナンノは柔らかな口調で話した。


「旦那様。セイホが鬼で旦那様は子となり鬼ごっこをしてみましょう。とりあえず、一時間逃げ切ってください。セイホ、糸は使っては駄目です。旦那様を捕まえたらぎゅっとしてもいいですが、トウマのように気絶させてはいけません」

「頑張ってみる」

 不確か。

「それでは始め」


 心構えもなく火蓋が切って落とされセイホと対峙した。


「自分は鬼。ぬし様、捕まえたらぎゅっとできる」


 目の前の見慣れてきた巫女さんは自身に暗示でもかけるのが得意だったのか、冷えた青の闘気を纏って臨戦態勢十二分なのが伺えた。伺いたくない。すっーと、気づけば腕が伸びていて袖口を掴まれそうになる。距離を詰められたのはいつなのか、考える間もなく逆の手が迫ってそれを避けた。


「いいですよ。旦那様。集中できてます」


 必死にならないと一発でアウトだ。だらりと額から汗が流れて首元から地面に落下していく。これだけのやり取りで実力の差が痛感できた。戦闘ならもう終わっている。こんな人とさっきまであんな日常を送っていたのか。


「まともにやりあってはダメですよ。旦那様の持ち味を生かしてください」

 持ち味って何だっけ?

 こんな人に背を向ける勇気はあったっけ?


 死線を逸らしたさっくり背中を切り取られ、背骨の代わりにつららを入れられそう。

 けれども、対峙なんてしていられない俺は一か八かで逃走を開始することにした。


「あ、ぬし様。待って」


 それから約一時間は俺は鬼から逃げるのに必死だった。


「流石旦那様です。セイホから逃げ切れましたね」

「ぎゅっとしたかった」

 ぜはぜはぜは、息も絶え絶えになっている俺に比べセイホは汗一つかいておらず、無表情で感想を答えていた。

「でも、鬼ごっこ、楽しい」

「それはよかったですね」

「ぬし様。サンクス」

「セイホだけずるい。僕も殺りたい」

 幻聴ですか?

「では、二本目逝きましょう」

 とりあえず逝っとくみたいなノリじゃなかったですか?

 頭、大丈夫ですか?

 大丈夫じゃないと申し出て下さい。

「トウマと鬼ごっこすると一瞬で終わってしまいますので、目隠し鬼にしましょう。鬼ごっこに似たようなモノで、鬼は目隠し、子は手を鳴らして自分の位置を教えます。ですが、旦那様は手を鳴らさなくて結構です。あと、トウマには目隠しと両手両足を縛り上げるハンデをつけましょう」

「ええ。それホクトじゃん」

「ぷぷぷ、そして変態へ」

「おい、こら!」

「ねぇね、それ手前がやりたいわ。是非とも」

「ホクトがやりますか?」

「駄目。僕が殺る」

「では、セイホ、トウマを縛ってもらえますか? ホクトは目隠しをさせてください」

「はーい」

「羨ましい羨ましい羨ましい」

「変態黙れ」


 幾分か呼吸は整えられ背後を見てみれば、満を持して目隠しで両手両足を縛られた変態が立っていた。


「あるじ様。変態云うなよぉ」

「では、始めてください」

「行くぞぉ。変態と呼んだのを後悔させてやる」


 満面の笑みを浮かべたトウマに向けて首を横に振った。


 だから、誰もやるなんて、ぎゃぁああ!



「あらら、後ろから金づちに襲われているようなものだわ」

「あら。ホクトは混ざらなくてよいのですか?」

「手前は襲うより襲われるほうが専門よ」

「何の自慢ですか?」

「トウマにねぇねが目覚めてからの経緯をある程度は聴いたけど、本人にも色々訊きたいの」

「何をですか?」

「トウマとセイホは人見知りじゃなかった?」

「そうですよ」

「人と喋ってる、おかしいわ。玩具とお人形はどっちも死んでたけど」

「旦那様のおかげです」

「本人は迷惑を被ってない? まあ、いいわ」

「他にありますか?」

「えっと、その。ねぇねはぎゅっとするのは辞めてなかったかしら?」

「旦那様がきっかけをくださったのです。その、駄目でしょうか?」

「哀しい顔をしないで、歓迎ですけど!」

「それはよかった」

「なるほどね」

「どうしました?」

「待ったかいがあったわ」

「そうですね。私は寝ていただけですけど」

「だから、哀しみに暮れないで! それよりもご主人様は大丈夫なの?」

「何がですか?」

「よく手前たちと一緒にいられるなと思って」

「最初は強制的に、あとからは……強制です」

「結局、強制!」

「私は旦那様に従うと決めています。命令をされれば、その限りではありませんが」

「ふぅん。それで強くなれるのかしら?」

「基礎強化も必要ですが実践での経験がもっと必要です」

「これは、遊びなのでは?」

「うふふ。ホクトもそう見えますか?」

「いや、ご主人様は必死よ。ホント大丈夫? セイホはともかくトウマは不器用でしょう? 何度も殺しかけたのでしょう?」

「……、旦那様ですから」

「とりあえず持ち上げてみたっ!」

「捕まりそうになったら、私が手を出しますからご安心を」

「そうなるわね」

「そうですが旦那様に遊んでいただいて、二人は楽しそうです」

「まあ、二人はそうだけど。ご主人様に魔物の話して良かったの?」

「ええ」

「そう」

「これぐらいしかありませんでした」

「何が?」

「いいえ。ですが、もしも、旦那様に拒絶されたときは仕方がありません」

「そっか。それでねぇね」

「何ですか? 貴女も楽しそうですね」

「笑顔のほうがもっと美人だわ」

「貴女が云ってしまいましたか、旦那様に云われたいお言葉の一つでした。それに私を褒めてもしてあげられるのは一つしかありませんよ」

「それでいいわ」

「姉妹揃って甘えん坊ですね」

「迎えに来てくれてありがとう、ねぇね」

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