『書かないと死ぬ』
ドキリとさせられる言葉だ。
モノカキを自称する人ならば、皆一度は経験しているのではないだろうか。
だがこの世界観の美しさよ。
脳のひだの隙間を文字で構成された花の蔓が侵食していき、その先端に蕾を成す。
その花が開いた時に彼女は花に取り殺される。
残された時間の中で、砂時計の砂がさらさらと音も立てずに積もっていくように、彼女の脳の中の花も先へ先へとその身を伸ばしていくのだ。
本当は……
この花は「書く事で成長が遅くなる」のではなく「書いたら書いただけその文章が花として成長していく」のではないだろうか。
彼女が『モノカキ』として生き、また死ぬために、その花は寄生する宿主を自ら選択しているのではないだろうか。
などと、モノカキの端くれは想像してしまうのだ。
偶然再開した憧れの先輩に不意に聞かされる思いがけない言葉、自らのこめかみを指差し、冗談めかして儚い笑みを浮かべ、ここに花の形をした爆弾が埋まっている。と。
その花は開花とともに死をもたらす未知の病、その養分は消化されずに滞留する思考。
未だ蕾のその花の開花を抑える術は、頭蓋の中に渦巻く想いを言葉に綴り続けること。
その開花を拒むため、二人は共に生き、想いを言葉に綴る生業に希望を託す……
別れのときが迫る中で穏やかな生活を営む二人だけの世界は、手を取り合い懸命に生きる姿を描きながらもどこか退廃的で、迎える結末も甘美で儚い、まさに桜の花のように美しい物語です。
9000字弱の文字で描かれた、絵画のような映画のような物語。
架空の病を扱ってはいますが、それに向き合う姿は現実味をともなって、読む私たちの心へと迫ってきます。春に咲き誇る桜の花を見て、私たちは二人を想い出すのでしょう――、
と、ここに私は物語を『届かせる』ことの真髄を感じました。
だれもが夢を叶えられるわけではない現実の中で、物語が、あるいは絵が、そういう想いがあふれて、窒息しそうになることもあるでしょう。きっと、だれだって。
書き続け、描き続けることで、それはいつかだれかに届くかもしれない。
多くの方に読んでいただきたい、美しい描写に彩られた凄絶な物語です。
憧れの先輩との再会。気軽い問いをするつもりが、返ってきたのは予想もできない一言。そこから始まる二人の同棲生活。
衝撃的な架空の病気を美しく、激しく、丁寧に、リアルに描いていて、それに蝕まれる人間の内側と、それに寄り添う人の想いを緻密に繊細に綴ったお話は読みながら胸が潰れるほど熱くなりました。
先輩の文字に込める激情の生々しさは、まさに命を散らして書いていると……。このお話は物語であると同時に、彼女が生きていた証でもあるでしょう。読みながら泣いてしまいました。悲しいわけではありません。先輩は最後まで激しく美しい方でした。だからこそ、胸が熱くなり涙しました。ただし、あくまでもこれは私が感じたことです。きっと、このお話は読む人によって感じ方が異なると思います。
物語ですが、人生です。
彼女の人生と、彼の想いと、残されたものを見て感じることは人それぞれ変わると思います。ただ明確なのは、彼女が確かにそこにいたということ。そして彼の想いの深さ。
二人が過ごした日々は、綴られた想いは、残された想いは、是非ご自分の目で確かめてください。この儚くも豪快に咲き誇った壮絶な人生は、きっと美しい花を見た後のように頭蓋の内側に印象深く残るでしょう。
頭蓋に花が満ちていき、それが埋め尽くされたときに彼女は死ぬ。衝撃的な病が冒頭に示されて、美しい病状と残酷な死のコントラストが印象的でした。効果的な治療はなく、延命の手段は脳内の言葉を吐き出していくことくらい。文字として吐き出し小説を紡ぐ先輩の姿は、物書きとしての苦悩をまざまざと見せつけられるかのようです。書かなければ生きていけない。生きていけないが産み出せない。
頭蓋に花が満ちる、そこまでの二人の日々に尊さや儚さを感じますが、個人的に印象に残っているのは最後のシーンです。何を言えばいいのか、どう返事をすればいいのか。そこに彼の思いが詰まっている気がして、胸を抉られる思いです。
非常に美しい文章と描写で綴られる、とある物書きの女性とそれを支える男性の物語です。
久しぶりに憧れの先輩に会った主人公が、「いま、何してるんですか?」と問えば、彼女はこう答えます。
「死ぬ準備、かな」
そこから、死にあらがうための、もしくは死を完全なものにするための同棲生活が始まります。
タイトルになっている「花と頭蓋」のイメージが鮮烈です。言葉で説明するのがレビューなのですが、己の拙い文章力では言い表せない感情を頂きました。
たとえば美しい花や景色を見たとき、100人いれば100人が違った感じ方をすると思います。この物語の描写の美しさ、凄まじさも、言葉にしてみたらどれも何か違う気がしてしまって、うまく表せません。
ぜひ実際に読んで味わっていただきたいです。
死と真っ向から向かい合う女性の話ですが、壮絶ではあれど、悲惨さは感じませんでした。
愛を持って彼女を受けとめ、支える主人公の存在があったからです。
美しくて、切なくて、やさしくて……。とても栞のような壮絶な生き方はできませんが、地獄の底で芽吹いた花のような、ふたりのやさしい関係性には憧れを抱いてしまいます。
自分の頭の中には、曖昧な状態で眠っている沢山の物語があります。
しかし怠惰な自分には、それらすべてを出力するような気力はありません。きっとそのほとんどは、ただの妄想のまま朽ちていくことになるでしょう。
この作品のヒロインは、“物語を書き続けなければ頭蓋骨のなかを花に支配されて死ぬ”病を抱えています。
だから、書きます。好調だろうがスランプだろうが、献身的な主人公の助けを借りて、どれだけコンクールに落選しても、とにかく書き続けます。
力尽きて眠りに落ちるまで、食事中ですら書き続けます。外界との繋がりを遮断し、昼も夜もなくただただ書き続けます。
それでも少しずつ少しずつ、「花」は成長を続けます。頭の中の物語を養分にして、彼女の脳を残酷に蝕んでいきます。
もし自分がこの病に侵されたら。そんな想像を否が応にもしてしまう、物悲しくも素晴らしい作品です。執筆経験のある方には、特に強くおすすめすます。
頭のなかに溜まり続ける物語が、言葉が、いつかあなたを殺すとしたら、あなたはどうしますか。
数年振りに再会した大学時代の先輩は、「いま、何してるんですか?」という《僕》の他愛ない問い掛けに、こまったように微笑んだ。
「いま、ね。死ぬ準備、かな」
彼女を侵す病。それは言葉にならない物語が、頭のなかに溜まり続け、死に至らしめるというあまりにも幻想じみたものだった。
頭蓋骨のなかに溜まり続ける、思考。膨らみ続ける言葉の莟が咲いたとき、《彼女》は息絶える。延命措置はひとつ。小説を書き綴ることによって、それらを頭の外側に吐きだすことだけ。
それも、ほんとうに延命がかなうかはわからない。
それでも、学生時代から彼女のことを好きだった《僕》は、その僅かな望みに賭けると決めた。昼夜問わず、物語を書き綴る彼女の側について、その作業を支え続けようと。
「ここは静かだよ。私と、君と、物語しかない」
これは物語に蝕まれ、言葉に侵された、ひとりの物書きの幻想譚です。
静かな物語でありながら、最後には激しく胸を揺さぶられます。書き続けることでか細い息をなんとか繋いでいるような、それでいて、いき急いでいるようでもある先輩の背中が、読後しばらく経っても目蓋の裏に焼きついて離れません。
とても美しい幻想文学です。
是非ともご一読いただきたいです。
憧れていた先輩と再会した主人公が、いま何をしているのかと軽い気持ちで訊ねたところ「死ぬ準備」というとんでもない返事を頂いてしまったところからお話は始まります。
死期の近い先輩の頭の中には花に似た爆弾があり、いつかその花に埋め尽くされて死ぬという。
主人公は先輩に寄り添い、花満ちていく彼女の頭の中から紡ぎ出される数々の物語を世に出す手伝いをするように。
文字という名の花にまみれて二人で過ごす日々、その描写の至るところまでが究極に美しく、それでいて儚い。
最後にはじんわりとこちらの心にも寂しさを残して散っていく、そんなとても素晴らしいお話です。
どうかご一読をば。