第十五話

 祭りの光と八木節の音の中を私たちは征く。私の先を進む女史は赤提灯に包まれた世界の中で薄青のワンピースを身にまとい、あちらこちらで和楽器が奏でられる中でトランペットのケースを背負っていた。今やその豊かな黒髪を縛るものは何もない。

 やがて私たちは道外れに停められた自転車を発見し、普段からそうしているようにそれに飛び乗った。私が自転車を漕いで、荷台に乗った桐生嬢が私の胴に腕を回す。

 自転車は祭りの喧騒を背にして風を切って進んだのである。

「……ふふ」

「ふ、ははは」

 自然と笑い声が漏れ出た。

「ははは! 父の制止を振り切って家を飛び出す娘の挨拶が、まさか外国の曲名であるとはなあ!」

「何よ、貴女だってその後に揚々と『チェコ語である!』って……得意げに言うような台詞でもないでしょう!」

 追っ手から距離を取れたという安心と、今度は逆に私たちが結納の約束をすっぽかしたという不安と、そしてここまで走ってきたことによる身体的疲労とで、今の私たちはこれ以上なく精神的に高揚していたのである。思いと声とを抑えられず、私たちは台詞の末尾に感嘆符を付けずにはいられなかったのであった。

「ははは!」

「ふふふ……ねえ!」

「何であるかあ!」

「好き! 大好き! 愛してる!」

「生憎私に少女趣味はないのである!」

「そんなもの私にだってないわ! でも、あんな見ず知らずの男と結婚するくらいなら、貴女と結婚した方が何倍もマシ!」

「さながらこの自転車は桐生嬢にとっての白馬であるか!」

「その通りよ王子様!」

「それは……何だかむず痒いのである!」

「ふふ……でも、いつか将来! 家の取り決めとか! 性別とか! そういったしがらみを全部取っ払って、自由に恋愛が出来るようになったら、それはとても素晴らしいことだと思わない?」

「ではその時まで長生きをせねばならんなあ! おばあちゃんにはなりたくないのである!」

 そうして、王子と姫を乗せた白馬は桐生市外を抜け出て、本来の待ち合わせ場所である吾妻公園へと、二人はようやく辿り着いたのである。

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