第十四話
「お初にお目にかかります。私は桐生嬢の友人であります」
「そうか」
「本日お訪ね申し上げたのは他でもございません。お宅の長女であります桐生嬢が私との待ち合わせ場所にいらっしゃらないのです。ですので、こうしてお迎え申し上げようと参上した次第でございます」
「そうか」
「桐生嬢はいずこにいらっしゃいますか?」
この時、私は初めて桐生家の当主と相対したのである。桐生嬢の父上は、私の目の前で面倒くさそうな表情をし、いかにもつまらなさそうな相槌を繰り返していた。
周囲には慌ただしく動き回る大勢の下働きと思われる者たち。結納とやらの準備に忙しいのであろう。
「……申し訳ないが、その待ち合わせとやらは諦めてもらおう」
「何故でございますか?」
「君なんかよりも優先すべき相手が、アイツにはいるんだよ」
桐生嬢を探す中で私が森林限界を見かけたのは、なにも桐生市内を一周したからではなかったのだ。何でも彼女たち踊り子は、踊る場所の移動を急遽八木節の実行委員会から命ぜられたらしい。桐生一家の邸宅付近で場を盛り上げろ、桐生嬢の結納に華を添えるのだ、とのお達しで。そして私は彼女たち踊り子と移動先で偶然出くわしたというわけであった。
「太田市長のご子息がちょうど今年成人なさる。あそこはまだ田んぼしかない田舎町だが、先日自動車工場の誘致に成功した。これからの繁栄は間違いない」
「……それで、あなた様は太田市とのご縁を欲していらっしゃると、そういうことですか」
「当たり前だろう。ようやくアイツが娘として親孝行してくれる」
その言葉に、私は髪が逆立たんばかりの怒りを覚えたのである。
「っ、あなた様は! 桐生嬢のお気持ちを考慮なされたのですか! 彼女がそのような政略的婚姻など望むはずがありません!」
「何故そう言える?」
「え?」
しかし、桐生一家の主は少しも動じなかった。まるで私の言動をすべて予期していたかのような態度で私に応えるのである。
「どうして君がアイツの心情を代弁出来るんだ?」
「それは……私は、桐生嬢の友人だからである」
「しかし君はアイツが嫁に行くことを知らなかったんだろう?」
「っ」
「君もアイツの友人を名乗るならそれくらい知っているだろうに。それともまさか、君はそれすら知らないでアイツの友人を名乗っているのか?」
「っ……」
「そして今日、君はアイツに約束をすっぽかされた――もう一度聞かせてくれ、どうして君がアイツの心情を代弁出来るんだ? 君の言う友人とは何だ?」
冷酷で鋭利な瞳とその言葉に、私は息が詰まるのを感じたのである。目の前の男の圧倒的な威圧感に、私は二の句を告げずにいた。端的に言えば、目の前でつまらなさそうに応対をする男に、私は言い返せなかったのである。
脳裏に浮かぶは不動資産の裏切りという言葉。
桐生嬢にも何かしらの事情があったという最長不倒の主張は置いておくとして、不動資産の言葉はここに至ってなお私の心を抉り続けておった。むしろより勢いを増して私の心を蝕んでいた。
確かに今日が結納の日であるとするならば、桐生嬢が私にその旨を告げてくれないのも、また八木節祭りを私と共に過ごそうと言って、待ち合わせ場所に吾妻公園を指定するというのも、揃っておかしな話である。
この仕打ちは裏切りなのであろうか。桐生嬢はやはり孤高の人間であって、典型的な富めるお嬢様であって、庶民である私を嘲笑っていたのであろうか。桐生嬢と対等の友人であると驕っていた私を、勘違いしていた私を、思い上がっていた私を見て、桐生嬢は内心で馬鹿にしていたのであろうか。
――否。
「その質問に応える前に、まずは私の最初の質問に応えていただきたい――桐生嬢はいずこにいらっしゃいますか」
しかし、私にはどうにも、友人になろうと言ってあの夏の夜に見せてくれた、桐生市内を訪ね回った時に見せてくれた、破廉恥な雑誌を自慢した時に見せてくれた、トランペットを吹き、夢について語ってくれた時に見せてくれた、そんな様々な桐生嬢の笑顔が、みんな偽物であるとは、到底思えなかったのである。
「さてね、この家の敷地内のどこかにはいるだろうさ」
桐生家の主が興味なさげに答えるのを聞く中で、最長不倒の言葉が私の脳裏で反芻される。
『きっと桐生嬢にも何か事情があるのであろう』
そうである、きっと桐生嬢にも何か私に伝えることのできなかった訳があるのだ。ならば私がそれを信じないでどうするというのか。
「それでは私もあなた様の質問にお答えしましょう。確か『私の言う友人とは何だ』でしたね」
その瞬間、邸宅の南の方から、何とも伸びやかで、どこまでも遠くへ飛んで行ってしまいそうな音色のトランペットが、美しく鳴り響いたのである。
「私の言う友人とは、大切なことを事前に教えてくれて、約束をすっぽかさない人のことではなく、大切なことを事前に教えてくれず、約束をすっぽかされてもなお、その人のことを信じ抜ける人のことであります――さらば!」
私は南へ向かって駆けだした。
結納の準備に大慌ての下働きの者たちの間をすり抜けて、私は進む。床の軋む音、陶磁器の触れ合う音、衣擦れの音、人々の息遣い、声、そして八木節……雑多な音に溢れる桐生一家の邸宅であったが、しかしその中でも、目的の音は一際鮮明に私の耳へと入ってきたのである。
一歩、また一歩と進むうちにその音色は大きくなり――やがて私は大きく荘厳な扉の前に辿り着いた。
「桐生嬢ううう」
トランペットの音が止んだ。
「そなたが意図的に私から結納の日取りを隠していたのか、それとも今日、父上殿から半ば強制的に結納を命じられたのか、細かいことはこの際どうでもいいのである! 私が訊きたいことは一つなのだ!」
騒ぎを聞きつけたのか、単純に私を追ってきたのか、桐生家の関係者と思われる者たちが集まってきた。しかし私は彼らになど構わずに続ける。
「結納なぞほっぽり出して、私と吾妻山に登ろうではないか!」
「――」
しばしの沈黙。しかし私は信じていた。何故ならば、私は桐生嬢の友人だからである。
扉が少し開き、白無垢にその身を包んだおなごが一人、現れた。彼女ははにかみながら、
「……結構でございます」
と、私の誘いにそのように返したのであった。
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