第4話

 そして今日もまた私は学校に通うのです。天候は嵐の一歩手前、いいえもはや嵐でした。家を出、空模様に絶望し、一旦家に戻って、さんざん躊躇した挙句に登校を諦めることを諦めて、雨がっぱを身にまとい、桐生大橋を渡り、校門を越え、駐輪を済ませ、ビチャビチャの日本国旗を目にし、はて「天気明朗なれど」ってそれどころではない! と校訓の下を駆け抜け、玄関を雨水で汚しながら、何とか登校を果たしたのです。

 そしてその日は荒天のために学校が休みでありました。

「なんてことだ!」



 逡巡の末に、私はもと来た道を引き返すことに決めました。気が重いだけでなく体までもが重く感じられます。徒労という空しき響きはこうも私を苦しめるのですね。

 こうして私は玄関を出、校訓の下を駆け抜け、日本国旗を無視し、駐輪場で自転車を拾い、校門を越え、桐生大橋を渡り、家へ帰ったのです。雨がっぱはもはや用をなさず、家の玄関にはずぶ濡れになった一人の可憐で儚げな女子高生が佇んでおりました。私のことです。

「何をしているか我が孫娘」

「おばあちゃ~ん」

 心身ともに疲弊していました私は、呆れ顔とともに現れた祖母に、はしたなきことに年甲斐もなく抱擁を求めました。かわいい孫娘の好意な行為にきっと祖母も胸をときめかせ

「ええい、ずぶ濡れではないか気持ち悪い!」

あ、別にそんなことはありませんでした。真剣に嫌がられております。結構傷ついたのです。

「今日は嵐のために学校もお休みであったのです。いったい私は何のために自転車を漕いだというのでしょう」

「いいから早急にシャワーを浴びて着替えたまへ」

「は~い」

 私としましても風邪をひきそうな予感はあったので、大人しく祖母の言に従うことにしました。身につけていたものをすべて取っ払い、温水を浴び、身体を拭き、暖かな服を身にまとい、リビングのソファーに腰かけ、祖母の用意してくれたホットココアをズズと啜りました。ココアは甘くて温かくて、私の全身を弛緩せしめたのです。

 すると祖母が廊下奥の納戸から戻ってきました。両腕で黒く大きな箱を抱えています。そして祖母がその箱を開けると同時、黄金色の楽器が姿を現しました。そう、祖母のトランペットです。我が家はトランペット一家でございまして、私が今まで吹奏楽部に所属してきたというのも、そもそもは祖母が長年トランペットに通じてきた歴史があったからなのです。

「そういえばもうそんな季節なのですね」

 祖母は毎年八木節祭りの時季に決まって、思い出したように、納戸から埃をかぶったトランペットの箱を取り出し、お湯で割った楽器用の洗剤とブラシで洗い出すのです。

「おばあさまは何ゆえトランペットをお吹きになるのです」

 デカデカリボンちゃんやスカート折り子さんとのことを思い出しながら私は尋ねました。祖母は決してトランペットの演奏が上手いというわけでもなく、かといって趣味や余興のように一年中トランペットを吹いているというわけでもありません。私や祖母の息子である父もまた、祖母の影響で代々トランペットを吹き続ける青春を送ってきましたが、一体全体その根源たる理由とは何なのでありましょう。

「……愛すべき、一世一代の大友人のためだろうかね」

 祖母はトランペットをいたわるように、慈しむように専用の布でゆっくりと丁寧に拭き、マウスピースを取り付け、プエ~、と間抜けな音を出しました。

「……」

 ぶっちゃけますと当時の私は「シメシメ、とうとうボケが始まりましたか、ようやく『え、今月はまだお小遣いを頂戴しておりませんが?』と言ってお金を幾らでも意のままに獲得できるのです!」と、かなり関係ない事柄に思いを馳せておりましたが、しかしどうやら後になって振り返ってみると、祖母は別に認知症になったわけではなかったようなのです。

 私が祖母の言葉の真意を知ることになるのは、この数週間後のことになります。

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