第9話

「――それで、」

「うん?」

「それで、どうなったのですか。その……桐生嬢さんは」

「どうもせぬ。桐生家の使いの者に連れられて、結納は滞りなく行われたのであるよ。我が家も村八分になどされず、無事であった」

 そのようにして、祖母は長い長い話を締めくくり、もう一度桐生嬢さんの演奏を聴こうとレコードに手を伸ばしたのです。

 その話を聞いて、そしてもう一度桐生嬢さんの演奏をレコードで聴いて、私の心は憤りと悲しみとに支配されたのです。今では考えられないような話に困惑して、受け入れられなくて、私は思わず声を荒げてしまいました。

「それは……あまりに悲しすぎます! 酷すぎるのです! 不条理です!」

「もう終わった話である。それに、当時はそれが当たり前の時代だったのだ」

「おばあちゃんはそれで良いと言うのですか! 桐生嬢さんは一世一代の大友人なのでしょう!?」

「であるから当時のうら若き私は何とも可憐に涙を流しておっただろう」

 祖母は眉一つ動かさずに、淀みなく私に応えたのです。その態度が本心からくるものなのか、それともこれまでに何度も「仕方のないことだ」と自分に言い聞かせて、無理矢理納得させようとしていた頃の論理なのか、人生経験の浅い私には分かりかねました。

「ともあれ、こんな話は年寄りの戯言なのだ。確か……我が孫娘はトランペットが上手くなる方法を訊きに来たのであったか? 生憎私もトランペットは一向に上手くならなんだ。私にできることといえば、このくらいである」

 言って、祖母はゆっくりと腰を上げて机へと向かい、引き出しから一枚のCDを取り出したのです。

「先ほどの桐生嬢の演奏である」

「で、デジタル化していたのですか!? 電子レンジや洗濯機は言うに及ばず、エアコンすらまともに操作できないおばあちゃんが!」

「やかましいわ」

 祖母は「本当はあの頃の桐生嬢と同い年になったらプレゼントするつもりであったが、すっかり忘れていたのである」とぼやきながら、それを私に手渡して、私の肩に手を置きながら、言うのでした。

「これは、汝の物語であろう?」

 その言葉は、長々と一五〇〇〇文字も紙面を占領した人の口から出たものとはとても思えない言葉でしたが、しかし、大いに私の心を奮い立たせるものでありました。

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