第2話

 群馬県桐生市は関東平野の北端であります。北を向けば聳え立つ数え切れぬほどの山々、南を向けば果てしなく拓けた荒野と、方角によって望む風景は一変。都会と田舎とを分け隔てる境界線上に位置するのが、愛すべき我が故郷なのです。え、群馬は都会じゃない? ……おだまり?

 そして、私は東西方向に架かった桐生大橋を渡りながら、左右に視線を巡らし、南北の景色の違いを観賞して登下校を繰り返すのです。毎朝夕、キーコキーコと自転車を駆動させ進む――これがどうして中々飽きないもので、家を出発し、校門を越え、所定の場所に駐輪をするというだけの行為に、私は退屈とは違う何かを感ずるのです。



 今日も今日とて、私は普段と何ら変わらず登校をします。家を出、校門を越え、駐輪を済ませ、ハタハタと青空の中を泳ぐ日本国旗を目にし、はて「天気明朗なれども浪高し」とは誰の言葉であったろうかなどと思案を巡らせ、校舎の壁にデカデカと刻まれた校訓の下を通り過ぎて、堂々と学び舎のドアを叩くのです。

 私は創立百年を誇る桐生高校の生徒なのでした。

 本日は桐生八木節祭りの踊り子募集の告知日でした。毎年三日間で五十万人以上の参加者を集める関東でも有数の夏祭りです。名前にもある八木節(地方民謡の一つです。栃木とかいう頭のおかしな奴らが起源を主張しているらしいですが、しかし最も有名な八木節祭りが桐生市にある時点で、その起源が群馬にあることはもはや明白であります!)はもちろん、七夕祭りや花火大会、文化祭に体育祭に商工会に桐生祭といった雑多な祭りをひとまとめに括ったのがそもそもの始まりで、桐生八木節共演何とかや全日本八木節何とか、子供みこしパレードに何とかダンスフェスティバルなどなど、種々多様な行事をそこかしこで同時多発的に行う頭のおかしな一大祭なのです。

 だがしかし、私たち若者は伝統なぞに興味はございません。むしろ疎んじてすらいます。おっさんたちが「はあ~あ~~」と何時間も喘ぎ続けるだけの地獄に誰が好き好んで飛び込んでゆきましょう。

「参加するわけないのである」

「まったくでございます」

 昼食を共にしながら、目の前の女史は私の想像した通りの回答を一言一句違えずに述べてくれました。胸元に飾りたてられた紅色のネクタイが異様な大きさの、デカデカリボンちゃんです。

「そもそも、吾輩はダンス部としてダンスフェスティバるのだ。先約がある。意欲の有無によらずとも参加できぬ」

「今年は金賞を獲得できるのですか」

「それは分からぬ。だが、昨年のようなミスなど起こさなければ、きっと審査員どもは我々に最も美しく輝く色の賞を献上してくれるに違いないのだ!」

 ここだけの話ですが、昨年のダンスフェスティバルでデカデカリボンちゃんはかき氷を嗜みまくった挙句にお腹を下し、結果フェスティバれなかったとっても悲しき過去があったのです。それもあってか、今年のリボンちゃんの目はいつになく燃えているのです。

「リボンちゃんはプロのダンサーを目指しているのですか」

 私はリボンちゃんが常々ダンスに尋常ならざる思いを懸けているのを傍で見ておりました。青春の煌めきというものをダンスにのみ注いでこられた高校生活を共に歩んできました。私はリボンちゃんの真剣さにもしやと思い、尋ねてみたのです。返ってきた答えは

「まさか」

でありました。

「汝も吹奏楽部の一員として前夜祭パレードに参加するのであろう?」

「そうであります」

 言い忘れておりましたが、私は吹奏楽部に所属しているのです。トランペット吹きなのでございます。そして八木節祭りではパレードに出場せねばならないのです。ですから当然、八木節の踊り子などを担当できようはずもないのです。

 リボンちゃんは続けて問いました。

「ではお主はプロ奏者を目指すのか?」

「とんでもない」

 あくまでトランペットは趣味の一つです。私は楽しくトランペットを吹くことができればそれで満足なのであり――

「……あ」

「そういうことである。吾輩も汝と同じ心持ちだ。ダンスもトランペットも、全ては下手の横好きなのだ。趣味とそれを職業にすることとの間には大きな隔たりがある」

「そういうものでございますか」

「そういうものである」

 リボンちゃんは手を腰に当て得意げにムンと胸を張ります。大きなリボンが揺れ、その下にある脂肪の塊がこれでもかと存在を主張しました。

 私はとても嫌な気持になったのです。

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