Treilea capitol:Chiba

本町

 千葉県船橋市。京成本線船橋駅の東側改札口にて。

 グロリア、ヘレナ、パトリックの三人は改札に向かい合う形で壁沿いに立ちながら、帰宅ラッシュに沸く駅の中でちらちらと周囲に視線を巡らせていた。

 千葉県内でも特に人の乗り降りが多い駅である船橋。利便性も高いために観光客が多いこの駅では、グロリアの人間離れした姿もまだそこまで目立っているわけではない。

 それでも彼女は翼を小さく畳んで、近くの喫茶店でテイクアウトしたアイスティーを片手に、せわしなく視線を動かしていた。


『奥様、落ち着きがない姿はみっともないですよ』

『だって、そうでしょ? 久しぶりに会うのだもの、楽しみじゃない』

『奥様の仰る通りです。私も楽しみです』


 紅茶を飲みつつそわそわし通しのグロリアと、その主人の視線を追いかけるヘレナを戒めるようにドルテ語で言葉を投げかけるパトリックだが、その瞳には優し気な色を湛えている。気持ちは分からなくもない、と言った様子だ。

 そして程なくして、JR総武線の船橋駅と繋がるペデストリアンデッキの方から、一人の女性がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。


「すみませんグロリアさん、皆さん、お待たせしました!」

「大丈夫ヨー。久しぶりネ、ミノリサン」

「オ久しぶりデス」


 傍まで駆け寄って、ぺこりと頭を下げるショートボブの女性に、ひらりと右手を挙げて応えるグロリア。ヘレナもその横で、女性に頭を下げている。

 グロリア一行と親し気に話すこの女性の名は、さわ 実里みのり。神奈川県警に勤める竜介の従妹にして、地球基準にして数ヶ月前・・・・に神保町の湯島堂書店からマー大公国のフーグラーに転移してしまった、その当事者である。


 フーグラー市に迷い込んだ実里は書店店主である勉の助けを得て、市のギルドや、領主であるアータートン伯爵家と接触、通訳と護衛を付けてもらい、勉と親交のあったグロリアの支援も受けながら壮大な『旅行・・』をして、なんとかかんとか地球に帰ってきたのだが、それはまた別の話だ。

 勿論、グロリアとは友人どころの話ではない。グロリアの所有する屋敷やフーグラー市の城にも出入りしてきたので、ヘレナやパトリックとも顔見知りだ。

 そんな彼女も今は地球に戻ってきてそれまで通りの生活を送っており、日々会社勤めをしながら日本で充実した毎日を送っている。

 そして今日は、久しぶりに顔を合わせて食事でも、という話が持ち上がったので乗っかったわけなのだ。


「私の案内でミノリサンを食事ニ連れて行ったことはたくさんあったケド、ミノリサンの案内で食事に行くノハ、これが初めてネ」

「そうですよねー、フーグラーにいる時はあちこち連れて行っていただいて……でも今日のお店もお酒が美味しいところなんで、安心してください!」

「サワさんは何気に、お食事に気を使われる方でしたモノネ。フーグラーでのお食事が口に合ったようデ何よりデシタ」


 一行を先導するためにペデストリアンデッキの方に足を向ける実里と、にこやかに話をしながら歩くグロリア。その後ろをついていくヘレナもパトリックも、微笑まし気に表情を緩めている。


『ミノリ、元気そうでよかったですね』

『ドルテを離れられてから、お会いするのはこれが初めてですからね。地球の時間で数ヶ月は経過しているはずですし』


 にこやかに言葉を交わしながら先導する二人の後をついていく二人がドルテ語で会話をしているのを、背中で聞きながら実里は笑う。

 『旅行』の最中に浴びるように聞いてきたドルテ語だ、話せなくても大体のニュアンスは掴めるくらいになっていた。


「ヘレナちゃんもパトリックさんも日本に来ていると聞いた時は驚きました。二人とも元気そうですね」

「ヘレナは特ニ、初めての日本ジャポーニアだからネ。慣れない土地でも体調を崩さずにいれるのはいいことダワ」


 そう話しながらデッキから降りて、総武線の路線と京成本線の路線の間の道を歩き、実里がドアノブに手をかけたのは通り沿いの一軒のバルだ。

 カラン、というドアベルの音を響かせて、四人が店内へと踏み込んでいく。

 こちらの入店に気付いた店員が、先頭に立つ実里へとにこやかに微笑みながら頭を下げた。


「いらっしゃいませ」

「十九時から四名で予約している澤です」

「かしこまりました、お席にご案内いたします」


 顔を上げた店員が店の奥へと足を向ける。それについていったグロリア一行が着席したのは店の奥まったところに設えられたボックス席だ。

 既にテーブルの上に広げられていたドリンクメニュー。それに視線を落としながら彼女らは各々の注文を組み立てていった。


「アラ、アサヒスーパードライ。じゃあ私はそれデ」

「私はタクンの白にいたしマス」

「あ、じゃあ私もタクンの白で。両方ともグラスでお願いします」

「私ハ……サングリアの白、にシマス」

「スーパードライ、タクンの白をグラスで二つ、サングリア白、ですね。かしこまりました、お料理のご注文がお決まりになりましたら、ボタンでお呼びください」


 注文をハンディに入力して店員が去っていく。その後会話をするほどの時間もなく、運ばれてくるビールのジョッキとサングリアのグラス、そしてワイングラスが二脚。どうやらワインのボトルは後から運んでくるらしい。


「スーパードライにサングリア、お待たせしました。ワインはこの後お持ちいたします」

「ありがとうございます」


 ジョッキとグラス、ワイングラスをテーブルに置いて一礼する店員に、頭を下げつつ礼を述べる実里。その姿をグロリアが面白そうに見ている。


「だいぶレストランでの行動ガ、ドルテ人のそれに寄ってきたワネー、ミノリサン。日本の人達ッテあんまり、店員さんにお礼を言わないノニ」

「えっ、あー……言われてみればそうですね。あれ、私いつからそうするようになったんだろう。

 なんかデュークさんやパーシー君が普通に店員さんにお礼を言うのを間近で見てきたから、自然と身についた感じですかね……」

「そうなってくれたのナラ、私もあの子たちにしっかり教育ヲ施した甲斐があったというものネ」

『奥様の教育は、本にして売れる内容だと私は思います』

『先日も、お屋敷のメイド長が大公家に引き抜かれていきましたものね。メイドの雇用の回転率がいいと、旦那様もご満悦でした』


 言葉を返しながら首を傾げた実里。その返答に嬉しそうに目を細めるグロリアに同調するように、ヘレナとパトリックも口を開く。つい先日までマー大公国にいた実里が相手なので、遠慮なくドルテ語だ。

 一瞬グロリアに視線を向ける実里だが、ちょうどワインが注ぎ終わったところだ。視線をワイングラスに向けつつその脚をつまむ。

 ビールのジョッキを片手に持ったグロリアが、朗らかに告げた。


「それジャ、ミノリサンと私達の再会を祝して、カンパーイ!」

「乾杯!」

「「カンパイ!」」


 掲げられるグラスとジョッキ。次いでぐい、と傾けられて喉に送られる各々の酒。

 一息でジョッキの半分を飲み込んだグロリアが、まさにご満悦といった表情でテーブルにジョッキを戻した。


「ハーッ、やっぱりビールはアサヒに限るワー!」

「グロリアさん、ビール党だったんですね……そういえばフーグラーで食事をご一緒した時も、白ビールをガンガン飲んでいましたっけ」

「ドルテの白ビールは泡立ちやすいカラ、注ぐのが大変なのヨ。日本ジャポーニアのビールはサッと出てくるシ、泡立ちもちょうどいいカラ大好きナノ」


 グロリアの飲みっぷりに嘆息しながらワイングラスに口をつける実里に、グロリアがくいと口角を持ち上げつつ返す。そうする間にも残りのビールはグロリアの喉へと流し込まれて、すっかりジョッキは空っぽだ。

 そのザルっぷりに呆気に取られながら、実里が自分と同じワインを舐めるパトリックに視線を向ける。


「パトリックさん、さっきお話しされていたのって、あれは何を……?ヘレナちゃんの話した内容は、何となく分かりましたけど」

「あれハ、『お屋敷のメイド長が大公家に引き抜かれました。メイドの回転率が良いと、伯爵閣下もご満悦です』と言ったのですヨ。

 実際、アータートン伯爵家を足掛かりに大公家ヤ、オールドカースルの大貴族の屋敷に雇われていく侍従やメイドは、結構いるのデス。

 キャリアアップフローの確立、でございますネ」

「グロリアさんのお屋敷のメイド長って……ブレンダさん!? わー、すっごーい」


 フーグラーの一等地に建つグロリアの屋敷で、何かと世話を焼いてくれた短耳族スクルトのメイド長の栄転に、感激して手を打つ実里だ。

 グロリアとパトリックの話を聞くところによれば、屋敷でグロリアが世話をしていた者や、中央大学でグロリアが受け持つクラスの受講者が、種族や身分を問わずフーグラー市内や首都オールドカースルで職を得て活躍しているとのこと。種族としては最下層の獣人族フィーウルでありながら、大公国政府で働くようになった者もいるらしい。

 大公国が種族差別の少ない国であるとはいえ、なかなかに凄いことになってきた。

 実里が料理のメニューを手に持ったままではーっと息を吐いていると、パトリックが目を細めながら言葉を投げてきた。


「仕事と言えバ、サワさん。お仕事への復帰は順調なのデスカ?」

「えっ」

「あー、そうヨネ。多少は行方不明になっていたのだモノ。やいのやいの言われるわヨネ。お仕事、物流関係でしたッケ?」


 突然に話題を振られて、実里は表情が硬直した。グロリアも何やら面白そうなものを見る目で、空のジョッキを撫でている。

 実里は困ったように片耳をいじりながら、視線を逸らしつつ口を開いた。


「いや、まぁ、はい、物流の会社の営業事務、ですね。

 ちょっと手続きとか面倒でしたけど、なんとかなりましたよ? 一週間くらい・・・・・・でしたから普通に職場に戻れましたし、有給も足りましたし。

 部長とお局社員はちょっと突っかかってきましたけどねー、そっちはフーグラーやオールドカースルで撮影した写真を見せて黙らせました」

「アラー……見せたの、アレ」

「ミノリ、大胆デス……」


 あっけらかんと言ってのける実里の言葉に、グロリアもヘレナも口をぽかんと開いた。

 『旅行』の最中に実里が撮影した写真は、グロリアも目にしている。というより、グロリアも写真に写っている。他にも彼女の出逢った竜人族バーラウ獣人族フィーウルも、何人もそのカメラに収められていた。

 それを見せたとは、なかなか肝が据わっている。

 ちょっと気まずくなった空気を払うように、実里が手にしていた料理のメニューを三人へと差し出した。


「さ、さぁほら、料理も注文しましょう料理も! あとグロリアさん、お酒はどうしますか? またスーパードライで?」

「アー、そうね、スーパードライおかわりデ。料理は、ミノリサンにお任せするワ」

『ミノリ、私もサングリアおかわりします!』

『ヘレナ、そのくらい面倒くさがらずに日本語で言いましょうね?』


 サッと手を挙げたヘレナがドルテ語で話すのを、パトリックがやんわりたしなめるも、こちらもドルテ語。

 そのままやいのやいのとドルテ語の応酬が始まるのを、グロリアと実里は困ったものを見るような目で見つめていた。

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