原町田

 東京都本土の南の端、八王子市と並び、多摩南部地区最大規模のベッドタウンとして名高い町田市。

 東京都心部へのアクセスも良好ながら、都心からは大きく離れたところにある町田市の中心地、町田駅の駅舎から、グレーの傘を片手にグロリアはゆっくりと歩み出た。

 梅雨の終わりがけ、この日の町田駅はそぼ降る雨の中。グロリアのドラゴンの頭も、傘の内側に隠れてしまうおかげで、道行く人が振り返ることは少なかった。それでも畳んだ翼と尻尾は見えてしまうけれど。

 グロリアの隣を行くヘレナが、パステルイエローの傘を差しながら主人の顔を見上げる。


『なんでこの時期、こんなに雨が降るんですか? 奥様。服が乾かなくて辛いです』

『梅雨っていうのよ。大公国には無いけれど、雨期みたいなものね』


 そう話しつつ苦笑して見せるグロリアが、足元の水たまりをスムーズに避けながら歩く。

 グロリアとヘレナの祖国であるマー大公国には雨期がない。一年中、穏やかに降っては穏やかに晴れ、を繰り返す気候のため、気温の上下こそあれど長雨に悩まされることはそんなにない。

 故にヘレナには日本の梅雨のような、一日中雨が降り続く日がずっと続く、という体験がなかった。今年の梅雨は長雨の傾向があるから、余計に未体験だろう。

 グロリア自身も、何度も日本には来ていて、何度か梅雨の時期を経験してもいるから、これだけ長い雨が降り続く期間を知らなかったわけではない。しかしそれにしても、今年の梅雨は長かった。


『お家に帰ったら、またコインランドリーに洗濯に行きましょうね』

『はい、奥様』


 そう朗らかに話をしながら、彼女たちは雑居ビルの中へと入っていく。

 そしてその後ろを。


「……フン」


 小さく鼻を鳴らしながら、くたびれたジャケットに袖を通した元樹が、足元が水たまりに突っ込むのも構わずに、静かに追っていった。




 そして雑居ビルの5階、ワンフロア全部使った大衆居酒屋の店内にて。


「十八時カラ二名で予約したグロリアヨ」

「か、かしこまりました。グロリア様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 今回は店をあらかじめ予約していたのだろう、グロリアが店員に予約名を告げていた。応対する店員は困惑と驚愕を必死に押し留めながら、グロリアとヘレナを店内のカウンターに案内している。

 まぁ、いつものことだ。予約名から日本人でない者が来ることを予想が出来ても、人間の姿をしていない者が来ることなど予想は出来ない。それも日本語の至極堪能な人外だ。驚くのも無理からぬこと。

 そうしてカウンターに腰を落ち着けたグロリアが、酒のメニューに手をかけたその時。


『……あっ』

『ん?』


 ヘレナが入り口に視線を向けて小さく声を上げた。何事か、とそちらに視線を送ると、なるほど、雨粒の滴る傘を腕に下げた見慣れた顔が、店員に席の空き状況を確認している。

 店員の言葉に二度三度頷くと、男は傘を入れるビニール袋に傘を収めながら、まっすぐこちらに向かってきた。


「やっぱりこの階だったか、ドラゴン女」

「相変わらず仕事熱心ネー、モトキサン。こんな遠くまでお疲れ様ダワ」


 傘をカウンターにかけながら、カウンター前の丸椅子に腰を下ろして元樹はぶっきらぼうに告げた。

 対するグロリアは相も変わらず朗らかないつも通りの口調である。何度も何度も後を付けられて監視されているなどとは、とても想像の付かない対応だ。

 現に、グロリアの向こうに座るヘレナはどことなく嫌そうな表情になっていた。今日はパトリックの姿もない。主人と二人きりで、と思ったところに入った邪魔者に、不快感をあらわにしている。

 そんなヘレナに視線を送ると、元樹は眉尻を少し下げて手をひらり。


「すまんな、ヘレナ嬢ちゃん。これも俺の仕事なもんでね」

「仕事だと言うナラ、私達を邪魔セズニ飲むことも出来たのデハないでショウカ」

「仕方がないワ、ヘレナ。このカウンターしか空き席が無いのだモノ」


 苦笑しながらもグロリアは手元のメニューに視線を向けている。そのメニューをヘレナに手渡すグロリアの後ろで、元樹がドリンクメニュー片手に片眉を上げていた。


「おっ、サントリー。よしよし。すんませーん」

「モトキサンは相変わらずサントリー党なのネ? サントリーのビールも美味しいケド、私はアサヒの方が好きだワー」

「いっちょまえにビールのブランドについてまで語りやがって、この異世界人はよ。

 あ、生一つ。それと鶏皮串五本と、枝豆」


 じとっという視線をグロリアに一瞬だけ向けた元樹だが、すぐにやって来た店員に愛想のいい笑いを向ける。

 確かに、日本どころか地球に住んでいないグロリアが、日本の生ビールのメーカーまで気にして飲むとは、どこまでの酒飲みだと思うだろう。しかし彼女は彼女で、ただの酒好きな異世界人ではなかったわけで。


「仕方ないデショー、私の好みに一番合うのがアサヒだったのダカラ。

 あ、スミマセーンこっちも注文いいカシラー?」


 ヘレナがメニューを見ながらグロリアに視線を送るのを見て、グロリアはさっと手を上げた。すぐにやって来た店員へと、流暢な日本語で彼女は告げる。


「生中一つト、氷結レモンサワー。それト、豚バラ串、アスパラ巻串、トマト巻串、タレつくねを二本ずつネ。それと、このオニオンリングフライと、黒糖そら豆」

「かしこまりました」


 グロリアの注文を受けて手元の機器に内容を入力した店員が、一礼して下がっていく。その背中にちらと視線を送りながら、元樹が小さく首を傾げた。


「オツなところを攻めるな、ドラゴン女。焼き鳥屋で豚バラ串なんて、お前どこで覚えたんだ」

「こないだ行った焼き鳥屋さんにも置いてあったのヨ、あれは新宿のお店だったカシラ? たまに見かけるわよネ、焼き鳥屋の豚バラ串」

「最初はサスガに奥様も驚イテらっしゃいましたネ、ここは焼き鳥屋ナノニッテ」


 ぱたり、と尻尾を揺らしながらグロリアが答えると、その後ろでヘレナも苦笑している。確かに、何も知らない人間が見たら驚くのが通常だ。東京は日本各地どころか世界各地の料理屋や料理が集まる食の都だが、それでもまだまだ「豚バラ串をメニューに載せる焼き鳥屋」は一般的ではない。

 そうこうするうちに、店員がジョッキを三つ運んできた。生ビールが2つ、凍ったレモンの入ったレモンサワーが一つ。それをグロリアと元樹の間に置く。


「お待たせしました、こちら生ビールです。それとこちら、生ビールと氷結レモンサワーです」

「どうも」

「アリガトウ」


 それぞれ頼んだ酒を分け、各々の頼んだ品を手で持って、グロリアと元樹ははたと顔を見合わせた。

 一瞬目を見開く元樹に対し、グロリアは柔らかく微笑んでいる。


「マァあれヨ、細かい話は今はいいでショ。面倒くさいこと考えずに、飲みまショ?モトキサン」

「……ったく、貴様には敵わんな、毎度のことながら」

「フフッ」


 そうして、互いに笑みを零すと。


「「乾杯ノロック!」」

「……乾杯」


 それぞれのジョッキが店の天井に向けて掲げられる。

 天井からのランプの灯りに反射して、黄金色をした生ビールがきらりと輝いた。

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