浅草
東京下町の観光名所として、浅草の名はよく知られている。
東京メトロと都営地下鉄の駅の傍で大きな存在感を発揮する雷門に、そこから浅草寺までまっすぐ繋がる仲見世通りと、その両側に種々立ち並ぶせんべい屋や、土産屋。
広々とした境内を持つ浅草寺でお参りをするもよし、その近隣に古くから存在する花やしきで楽しむもよし。
近年ではグルメの街としても人気の高い浅草は、和食洋食中華、レベルの高いお店が老舗も新参も多数揃っているので、そちらで楽しむのも一興だ。
と、一般的な観光客相手の浅草を紹介する文言は、こんなところだろう。事実、この内容に書かれていることをすべてやろうとすると、一日ではとても回り切れないのが浅草という街だ。
しかし、そんな浅草にも「穴場スポット」というものは存在する。否、観光客が好んで寄り付かないエリア、とも言えよう。
東京メトロ銀座線の田原町駅と浅草駅、つくばエクスプレスの浅草駅のちょうど中間地点に広がるエリア、伝法院通りと雷門通りの間に挟まれたごみごみと古くからの店が立ち並ぶあたりを、グロリアは歩いていた。
彼女の後ろにはいつものようにパトリック、その隣にはヘレナ。
そして彼女の隣には。
「まったく、貴様ときたらあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、興味関心の赴くままに好き勝手に! 少しは監視する俺の身にもなってみろ、
「モトキサンってば、自分が好きデ私のこと見てるダケだって言うノニ、勝手なコト言ってくれるワネー」
鼻息荒く歩きながらグロリアに悪態をつく、くたびれたジャケットを肩にかけた中年の日本人男性が一人。
警視庁機動捜査隊所属、
グロリアが日本を初めて訪れた際から彼女を追い続け、監視し続け、いつしかグロリアが飲み歩くのを逐一先回りして、遠くのテーブルから一挙手一投足に視線を向けるようになった男だ。
本来ならば彼女のずっと後ろにつくか、先を行って彼女が向かう店に先回りしているのだが、今日はその姿を露わにして彼女に付き添っていた。加えて盛大に文句をつけている。
後方からパトリックが、苦笑しながら元樹へと声をかける。
「スミマセン、羽田さん。浅草という場所柄、ご同行いただいた方ガよろしいかと思いましたノデ」
「全くだ、ガスコインさんに事前に話を貰うのでなかったら、俺は制服で堂々とお前たちの監視に当たっていたぞ」
「相変わらず仲がいいのネ、パトリックもモトキサンも」
ぐっと身体を捻ってパトリックへと鋭い視線を向ける元樹に、グロリアが柔らかく笑いかけた。
一見接点のなさそうなこの二人は、実は顔見知りで飲み友達である。立場は違えど、お互いにグロリアの後をつけて動き、時には店に先回りして別のテーブルから監視する役割。「なんかいつも見かけるな」となるのは当然のことである。
なのでたまに声を掛け合ったり同じテーブルに着くなどしているうちに、連絡先を交換して情報をやり取りする間柄になったのである。
他人事のように微笑むグロリアに、元樹が苦々しい表情でその口吻の長い顔を睨みつけた。
「いいかドラゴン女、貴様が行く所がどこであろうと、行く先々で上を下への大騒ぎになるってことを自覚しろ。自覚しているんならそれ相応に気を付けて動け。
さっきの雷門前なんてひどかったんだからな、目の前で見ていただろう、あの写真撮影するための人だかりを……あれで三十分は時間を無駄にした」
「雷門の前に立つ奥様ヲぐるっと取り囲むくらいニ、写真を撮る人ガいましたものネ。大きなカメラを持っている人もいましたシ……それが後から後から次々ト」
「マタ『ついったー』や『いんすたぐらむ』で大騒ぎが起こりますネ、奥様。騒がれること自体ハ、もう慣れっこではありますガ」
元樹に鋭い指摘を食らい、ヘレナとパトリックも言葉を重ねて、グロリアはまさしくぐうの音も出なかった。
雷門の前で写真を撮影していたら、次から次へと人が集まり、グロリアを撮影するための黒山の人だかりが出来たのが、つい一時間前の話だ。
だいぶ自制の効く人ばかりだったようで撮影マナーが悪い者はいなかったのが幸いだが、噂が噂を呼んで人数がどんどん膨れ上がっていき、最終的に歩道を塞ぐほどの人数が集まってしまったのだ。
収拾がつかなくなる前に「撮った写真はSNSにアップしてもいいケド、周りの人の顔は隠してちょうだいネ! じゃ、
まさしく芸能人や人気モデル並みの扱いをされているが、彼女は異世界人。並の有名人とは人目の引き方が違う。
うんざり、といった表情をしていた元樹が、一軒の居酒屋の前で足を止めた。
昭和の雰囲気を残す昔ながらの大衆居酒屋、といったところだ。店頭には簡素なテーブルと椅子がずらりと並べられて、店内も含めて独特の雰囲気を出している。
その店を見たグロリアの瞳が、キラキラと輝いた。
「そうそう、これヨこれ! 私が求めていたのハこういうお店なのヨ!」
「店に入る前から浮かれるんじゃねーぞ……すんません、四名です」
まさに日本の大衆居酒屋と言った店構えに興奮を露わにするグロリアに冷たい目を向けると、元樹は店頭に立つ店員の女性に声をかけた。四本立てた指を見て、店員がこくりと頷く。
「いらっしゃいませ、テラス席でもよろしいですか?」
「構わない」
「承知しました、こちらのお席へどうぞ」
そう告げて店員が指し示したのはテラス席の一番外側、人の目につきやすい4人掛けのテーブル席だ。素直にそこのテーブルに腰掛ける元樹と、彼と向かい合うように座るグロリア。そして元樹の隣にパトリック、グロリアの隣にヘレナ、という座席配置になって、見る見るうちに元樹の眉間にしわが寄った。
「あの店員、どう見てもドラゴン女を客寄せパンダにする気だな」
「いいじゃナイノ。私がここに座ることでお客さんが来てくれるナラ、お店にとってもいいことダワ」
「合理的な判断ですネ。奥様が食事の邪魔をされないヨウ、気を付ける必要があるのは事実ですガ」
「ソノ時ハ、私が奥様ヲお守りシマス」
パトリックとヘレナがぐっと目に力を込めて、決意宣言をしていると、ちょうど店員が注文を取りにやって来た。
ちら、とそちらに視線を向けた元樹が、テーブルの上にメニューを置く。
「ご注文はお決まりですか?」
「ちょっと待ってくれ……一先ず、生以外のが欲しい奴は手を挙げろ」
「ア、私はカルピスサワーで、お願いシマス」
「私は生でいいワ」
「私モ」
「生三つ、カルピスサワー一つですね、かしこまりました」
注文を伝票に手早く書き留め、店員が店の中へと戻っていく。
その間に料理の注文も決めておこう、と思ったのは誰もが一緒のようで、テーブルの上のメニュー、一品料理の箇所に視線を落としていると、グロリアの後方、ホッピー通りを往く人々が、明らかにざわざわとざわめき始めた。
「おい、あれ」
「すげー、雷門前にいたあれだろ、本物だ……」
「マジで翼も尻尾も生えてる……動いてる……」
どう聞いたってグロリアのことを話している若者たちをちら、と一瞥すると、元樹は深いため息をついた。
そのままじろりと、メニューを注視するグロリアを睨みつける。
「おい、早速噂になっているぞドラゴン女、どうすんだ」
「エッ? アー……まぁいいじゃナイ、いつものことヨ」
「チッ、いつものことであってたまるかバカ野郎」
「羽田さん、多分もう遅いと思いますヨ。ほらコレ」
舌打ちする元樹に、パトリックが自分のスマートフォンを差し出した。Twitterの検索画面が表示されたそこには、「浅草」「雷門」のキーワードと共に、グロリアが写った写真を添付したツイートが何十も。
一番拡散されているものについてはいいねもリツイートも4,000件以上ついている。1時間でこの伸び方はなかなかすさまじい。
「この竜人さん知ってる!」だの「有名人ですね、以前飲んでたお店で見ました」だののリプライが踊るツイートを見て、元樹は数瞬目を剥いた。思わず顔を上げてバズった張本人を見やるも、グロリア自身は涼しい顔をしておつまみを選んでいる。
「ネェ、三人とも。牛すじ煮込みとレンコンはさみ揚げハ頼みたいんダケド、いいカシラ?」
「知るか……もう好きにしろ……」
「野菜も頼みまショウ、奥様」
「レンコンも野菜ですガ、でしたらキュウリも頼むとしましょうカ」
自分が人々の話題に上っていることなどどこ吹く風、といった具合のグロリアに、元樹は先程までのピリピリした空気はどこへやら、一気に脱力して額に手を置いた。
そのタイミングで運ばれてくるジョッキ4つ。パトリックが受け取って各々に分配し、料理の注文も店員に告げていると、注ぎたての生ビールを前にしたグロリアが瞳を輝かせた。
「さー、ビールビール。折角なんだからホラ、モトキサンも楽しく飲みまショ」
「ったく……貴様と一緒だとどこまでも調子を狂わされちまう。わーったよ」
「羽田さん、あれデス。奥様に何をお伝えしても、暖簾に腕押しというやつデスヨ」
「パトリック、その『ノレンにウデオシ』というのは一体……ことわざデスカ?」
口々に言葉を交わしつつも、互いにジョッキを持ち上げる四人。
そして。
「それじゃ、カンパーイ!」
「「
「……かんぱーい」
ガチャガチャとジョッキがぶつかる音が、日の沈みかかったホッピー通りの片隅に響いた。
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