富士見

 千葉県の中心地、千葉市中央区。

 その中央区のさらに中心に位置する千葉駅の近縁にて。

 グロリア、ヘレナ、パトリックの三人は雑居ビルの中層階に入った居酒屋の窓際にあるテーブルに腰掛けて、眼下の街並みを見下ろしていた。

 今は平日の夜。薄暗くなった街の中、眼下の道路をヘッドライトを付けた車が行き交い、電車が駅から吐き出されていく。

 窓際の席に座りながら、グロリアはビールのジョッキを傾けながら薄目を開けて、それを見ていた。


『奥様?』


 向かいの席で、レモンサワーのジョッキを手にしたヘレナが首を傾げている。

 ビールをぐびり、ぐびりと飲み込むのを一旦止めて、ジョッキの角度を戻したグロリアが、目を細めたのをそのままにふっと息を吐いた。

 ヘレナの隣に座ったパトリックが、鶏の唐揚げを箸で取りながら不思議そうに目を見開いた。


『……奥様がそんな表情をするなんて』

『あら、私そんなに、普段しない表情をしてる?』


 細めていた目を一層細め、口元にうっすらと笑みを浮かべながら、竜の貴婦人は酒杯を呷った。

 それを見て、少女も執事も一層その目に愁いを宿す。

 何故なら。


『だって、奥様、そのビール何杯目ですか?』

『六杯目、ですね。それに今日はお昼にビアガーデンにも行かれました。

 奥様が酒豪であることはよくよく理解しておりますが、流石に今日は、飲み過ぎではないかと……』


 そう、苦言を呈するお付きの二人。

 しかしグロリアはその言葉を意に介する風もなく、再びジョッキに口を付けた。

 また減っていく、ジョッキの中のビール。


『奥様……!』

『奥様、どうなされたんですか。今日、様子がおかしいですよ』


 思わずパトリックは椅子を蹴って立ち上がった。

 ヘレナも不安げな表情を隠そうともしない。

 そんな二人の前で、グロリアはジョッキの中のビールを最後まで飲み干すと、ぐい、と袖口で口元を拭った。

 なんとも、貴族らしからぬ、粗野な振る舞いだ。

 ジョッキをテーブルの上にことり、と置くと、両手を組んでテーブルに肘をついて、グロリアは言葉を零し始める。


『どうして、日本とマー……いえ、地球とドルテは、好き勝手に行ったり来たり出来ないのでしょうね』

『どうして……そう、言われましても』


 視線をテーブルの上に落とし、据わった目をしながら話し始めたグロリア。

 彼女の手元に水の入ったグラスを移動させながら、ヘレナが困惑した表情を見せた。再び椅子に座ったパトリックも困惑顔だ。

 前触れもなく零された疑問に、二人が答える前に。再びグロリアの長い口が開かれる。


『私はね、常々思うの。どうして二つの世界は、こんなにも隔たれているのかって。

 日本の人々は、まぁ、ちょっと排他的なきらいもあるけれど、皆優しくて気持ちのいい人ばかり。

 ドルテの人々がやってきて、その外見が地球の人々とかけ離れていても、快く迎えてくれているわ』

『はい、奥様……日本の皆さんは、色々と気を配ってくださいますし、便宜を図ってくださいますし……いい人たちばかりです』


 彼女の言葉に、パトリックも頷いた。頷くほかなかった。

 日本の人々が、三人が今まで出会ってきた人々が、どれだけ自分たちに気を使って接してくれたか、どれだけ心地よく過ごせるように動いてくれたか、これでもかというほどに実感している。

 ただ、それでも。地球とドルテという二つの世界が、この上もないほどに隔たれている事実は動かしようがない。

 時間は同時に流れない。

 暮らしている人種も違う。

 話されている言葉も違う。言葉については地球の中でも、数えきれないほどにたくさんあり、それぞれ異なった地域で話されてはいるけれども。

 パトリックにちら、と視線を向けながら、グロリアが水のグラスに手を伸ばす。

 ちびり、と水を舐めてから、彼女は再び口を開いた。


『そうね、気を使ってくれている。異なる世界から訪れた私達を、受け入れ、存在を認めてくれている。

 でも、彼らは、どういう形で私達を見ているのかしら』

『……どう、とは』


 ぼんやりとした的を射ないグロリアの言葉に、ヘレナが眉を寄せて首を傾げた。

 どういう形で見ているか。深く考えたことも無かったことである。

 何しろ、ヘレナとパトリックは短耳族スクルトで、グロリアは竜人族バーラウ。同じ視点に立とうと思っても、易々と立てるものではない。

 再び手を組みながら、グロリアがゆっくりと言葉を吐き出していく。


『前は、竜人族バーラウ竜人族バーラウ短耳族スクルト短耳族スクルト、そんな具合に別の種族だと思っていたわ。

 それぞれの種族の間には隔たりがあって、違う存在で、だからこそ互いに認め合い、互いに尊重し合わないといけないと思っていたわ』

『はい、そうです。ドルテに生きる四種族は、互いに蔑むことなく、労わり合っていかなければいけない……奥様は日頃から仰っています』


 こくり、こくりと頷きながら話すグロリアに、ヘレナも同調する。

 竜人族バーラウも、長耳族ルングも、短耳族スクルトも、獣人族フィーウルも、皆が手を取り合い、協力して、蔑むことなく、労わり合って生きていかなければならない。それが本来、あるべき姿だとグロリアは言っている。

 ヘレナの隣でパトリックも頷いていた。彼女に長く使えている身、耳にタコが出来るほどに聞いてきた言葉だ。

 二人の反応を見た上で、グロリアは組んだ手にもたれるようにして額を付けた。長い鼻先がテーブルの天板に触れる。


『そうね。そして私は地球に来るまで、地球には短耳族スクルトしかいないと思っていたし、実際に見た限りでは短耳族スクルトしかいないわ。

 でもそれは、ドルテの基準でそうというだけ。地球の短耳族スクルトにも、肌の色が淡い人、濃い人、とても濃い人がいて、それぞれが別の人種と分けられていて……それら全てが、『人間』として括られている』

『はい……確かに、日本でも時折、肌の色が白っぽい方、黒々とした方をお見かけします。私は当初、短耳族スクルトの中の部族的な違いかと、思っていたのですが』

『そうじゃないの。あの肌の色の違いが、地球の人々にとっては、私達の種族の違いと一緒なの』


 所見を述べるヘレナに、グロリアはぐっと握る両手に力を籠めた。尖った爪を持つ指先が、握り込まれて細かな鱗に食い込む。

 しばらく手を握り込んだ後、力を緩めたグロリアが顔を上げた。その目はとろんとして、いつもの輝かしい光が失われている。だいぶ酒に酔っていることは想像に難くない。

 力のない銀色の瞳を向けながら、グロリアは口を開いた。


『ねぇヘレナ、パトリック……私は『人間』になれると思う?

 地球の人々に、『人間』として扱ってもらえると思う?』

『奥様……』


 その、すがるような瞳に、言葉に詰まる二人。

 ぽつりと零されたパトリックの声を受けて、グロリアの瞳がつい、と窓の外へと向けられる。

 窓の外ではとっぷりと日が暮れて、既に空が夜色に染まっていた。走る車のヘッドライトが、まばらに尾を引いている。

 そちらに視線を向けたままで、グロリアの口元が小さく持ち上がった。


『二人はいいの、心配していないわ。だって見た目が地球の人々と一緒だもの。

 でも、私はそうじゃないわ。この鱗も、翼も、尻尾も……地球の『人間』は持ち得ないもの。

 ドルテではこれらは神から与えられた特権として、持て囃されたものだけれど、『人間』しかいない地球ではただの特異な見た目・・・・・・でしかないわ』

『奥様、そんな……』

『ヘレナ、落ち着いてください……奥様も。何か、お茶でも頼みましょう』


 泣き出しそうな、感情の昂った声を吐き出すヘレナ。それを小さく抑えるようにしながら、パトリックが窓際のタッチパネルに手を伸ばす。

 二度三度画面をタップして、烏龍茶を人数分頼んでから、彼はその手をグロリアの肩へと伸ばした。


『奥様……先程奥様は、地球の肌の色の違いが、ドルテの種族の違いと一緒、と仰いました。なら、ドルテの四種族についても、一括りに『人間』として扱っても、よろしいのではないでしょうか』

『……そう、かしら』

『はい、そうです。でしたら奥様も、間違いなく『人間』です』


 肩に手を置いて、優しく微笑みながら、まっすぐに彼は主人の顔を見つめた。

 その言葉と眼差しを受けて、グロリアの目の端に涙が浮かぶ。


『私は、地球の人々にも、『人間』として扱って、貰えるかしら?』

『そこは、これから次第です。なにぶんまだまだ、地球とドルテはお互いにお互いのことをよく知りません。

 ドルテの四種族を、等しく『人間』として見ていただけるかどうか……それは今後の、相互交流の中で決まっていくことでしょう』


 まだまだ、これから。

 パトリックはそこを強調した。

 確かに地球では、ドルテのことがあまりにも知られていない。今年に入ってようやく、存在が公式に認知されるようになったくらいなのだ。

 当然、ドルテに住まう四種族の存在だって知られていない。それらをまとめて人間と扱ってもらえるか、それぞれが別の種族として扱われるか、それは今後の、ドルテの人々の働き次第だ。

 と、ヘレナがグロリアの手に自分の手を重ねるようにしながら、にっこり笑って口を開いた。


『でも、奥様。

 ロジャーもパーシーもパメラも、地球で人間と一緒に働けています。獣人族フィーウルの彼らが『人間』扱いされているんですから、竜人族バーラウの奥様が駄目ということはありません』

『そうね……確かに、そうね』


 ヘレナの言葉に、ますますうるんでいくグロリアの瞳。目の端に浮かんだ涙の粒が、一層大きくなる。

 そのまま再び俯いて、グロリアは涙を零し始めた。ぽたりぽたりと、テーブルの上に水滴が落ちていく。

 急いでカバンからハンカチを取り出すヘレナに視線をチラと向けながら、パトリックは運ばれてきた烏龍茶のグラスを主人へと差し出す。水滴に曇るグラスに、グロリアの鱗の藍色が反射した。


『さぁ奥様、このお茶を飲んだら帰りましょう。流石に今日は飲み過ぎです』

『分かったわ……ん、ありがとうヘレナ』

『奥様が酔っ払ったところ、初めて見ました……酔うと、泣かれるんですね、奥様』

『普段から明るい方ですからね。抑えている分、タガが外れるとこうなるんです』


 手渡されたハンカチで目元を拭ったグロリアが、烏龍茶のグラスに手を付ける。ヒンヤリとした烏龍茶のほろ苦い味は、まるで自身の流した涙のようで。

 冷たさを喉の奥で感じながら、彼女は今一度、目を細めるのだった。

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