若松町

 ある平日の日暮れ時。

 グロリアは横須賀市の横須賀中央駅、その駅前にある一軒の居酒屋にて飲んだくれていた。

 二人掛けのテーブル、その向かいの席には。


「いやーしかし、本当に酒豪ですねアータートンさん……僕の知人にも酒飲みは居ますけれど、アータートンさんほど強い人って何人いるか」

「まぁネー、私がお酒に強いことハ、自分で分かっているカラ」


 三杯目の生ビールのジョッキを手に、ぐいぐいと酒を飲み進めるグロリアを羨望の眼差しで見つめる竜介がいた。

 前回はラフなシャツとジーンズ姿だった竜介だが、今日は警ら隊の制服姿。勿論車に乗ってきたわけではない。ちゃんと電車で横須賀まで来ていた。

 今日のグロリアは横須賀港を見に行ったり、米海軍基地を遠目に見たり、普段触れることの無い海の風景を満喫していた。その傍らには勿論ヘレナとパトリックがいたわけだが、今は別行動。同行してくれた竜介とこうしてサシで飲んでいるわけだ。


「それにしてモ、昔の日本ジャポーニアッテ閉鎖的だったのネー。同じ世界の別の国から人がやって来ただけデ大騒ぎしてただナンテ」

「日本は四方を海に囲まれた島国ですからね、どの国の国境を越えるにも、海を渡らないといけませんから。

 三浦按針が日本にやって来た時は、そもそも日本国内が国という形で分裂していましたけれど……別の国に渡るということの意味合いが全然違ったんですよ」

「越境商人と学生くらいシカ国境を越えることがないという意味デハ、今のドルテは江戸時代ニ近かったのかもしれないワネ」


 すっと目を細めたグロリアが、ジョッキに残ったビールをぐいと飲み干す。これで五杯目だ。

 その飲みっぷりを呆気に取られて見つめながら、竜介がメニューを手に取る。


「まぁ今では、国どころか世界の枠組みも超えて、人が行き来する時代ですからね……いやー、凄い世の中になったもんです。

 あ、アータートンさん次何にします?」

「そうネー、もうビールはいいワ。今日は折角だし焼酎にしようカシラ」

「おっ、焼酎いかれます?安定は黒霧島くろきりしまですけど、個人的には木挽こびきもおススメで……」


 そんな話をしながらお酒を選んでいる二人の元へ、何かを察したらしい店員が近寄ってくる。


「ご注文ですか?」

「木挽BLUEを水割りで。それと生ビールをもう一杯」

「木挽の水割りと生ビールですね、かしこまりました」


 注文を手に持ったハンディに手早く入力すると、そのまま店員はテーブルの傍を離れていく。その途中でグロリアの顔をちらりと見たのを、見られた本人は見逃さない。

 肩をすくめて小さく笑った。


「横須賀はアメリカ海軍の街だと聞いていたカラ、日本人でない人にハ慣れていると思っていたケド、やっぱり私みたいなのハ見られちゃうノネ」

「それは、仕方ないですよ。アータートンさん竜人族でしょ」


 苦笑するグロリアの顔を見ながら、竜介が地鶏の炭火焼きに箸を伸ばした。

 そのまま一切れつまんで、口に含む。数度咀嚼してごくんと飲み込むと、竜介は改めてグロリアをまっすぐ見た。


「前から気になっていたんですけれど」

「何?」

「アータートンさんって、なんで日本に来るようになったんですか?」


 竜介の言葉に、炭火焼きに伸ばそうとしていたグロリアの箸が一瞬止まった。

 慣れた手つきで地鶏をつまみ、その長い口で噛み締めるように咀嚼するグロリアの瞳が、懐かしさを覚えたのか一層細くなる。


「最初のきっかけは……そうネ、大学時代。入学した大学で日本語の授業を受けたのが最初カシラ」

「大学で日本語を?」


 意外そうに眼を見開く竜介に、グロリアはこくりと頷いた。そのままもう一度、炭火焼きを乗せた鉄板に割り箸が伸びる。


「フーグラー市の中央大学の文学部で取れる一般教養の科目の中ニ、日本語ジャポネーザの授業があってネ、私はそれを取っていたノ。

 感動的だったワ。ドルテ語とは全く異なる文字、音節、文法……すっかり魅了されテ、日本語を研究しているゼミに所属シテ、いつか日本に行ってみたいと思いながラそれが叶わないまま卒業したノ」

「はー……アータートンさんが学生の頃って、その、失礼ながら結構前のことでは」


 息を吐きながら運ばれてきたビールのジョッキを手に取る竜介に、同じく箸を置いて焼酎のグラスに手を付けるグロリアがもう一つ頷きを返す。


「そうネ、今から三十年以上前……ドルテと地球デハ時間の流れが違うカラ、一概に同じくらい昔トハ言えないケレド。

 そして大学卒業の頃合いに見合いの話が舞い込んデ、エイブラム――前の夫と出逢って意気投合シテ、交友を深めていく中でアガター先生のお店を知ったノ」

「神保町にある地球とドルテの接続点、そのお店の店主さんでしたっけ」


 焼酎の水割りを少しずつ飲みながら話すグロリアに、ビールを飲みつつ相槌を打つ竜介。話に聞き入りながら彼が返した言葉に、グロリアはこくりと頷いた。


「そう。中央大学の文学部ニ日本語学科を作ったのはエイブラムだったのダケド、その彼と連携シテ日本語普及に動いていたのがアガター先生だったのネ。

 そして、アガター先生が日本ジャポーニア出身であることを知ッテ、お店がフーグラーとトウキョウを繋いでいることを知ッテ……生の日本語ジャポネーザに触れるチャンスがあることを知ッタ。それが、私が日本ジャポーニアに来るようになった一番の理由。

 あとはそうネ、日本ジャポーニアから大公国に渡ってきたニホンジンと知り合ったのも大きいワネ」

「渡って行った人がいたんですか?異世界に?」


 驚きを露わにして身を乗り出した竜介。グロリアはもう一度大きく頷くと、水割りをぐいと口に含んだ。喉を潤してから、再び口を開く。


「私も日本ジャポーニアに来てから知ったんダケド、インターネット上で都市伝説みたいに言われていたらしいのヨネ、ドルテと地球の接続点ハ。

 それを頼りに接続点を見つけ出したリ、偶然巻き込まれたりシテ、地球からドルテに渡ってきてドルテに定住している地球出身の人ガ、ごく僅かにいるノ。

 そういう人たちに話を聞イテ、行ってみたいって思うようになったワケ」

「へぇ……じゃあもしかして、実里ちゃんと知り合ったのも」

「そういうコト。ミノリサンは偶然巻き込まれたパターンで大公国にやって来テ、私と知り合ったノネ。

 色々あったケド、無事に彼女を日本ジャポーニアに帰すことが出来てよかったワ」


 竜介の従妹であり、以前にグロリアの故郷であるフーグラー市に迷い込んできた知古の女性のことを思い浮かべながら、グロリアが目を細めた。

 唐突に異世界に迷い込んだ彼女がすったもんだの末に『旅行』を終えて日本に帰るまでの間、何かにつけてグロリアは彼女を手助けしていた。そのおかげで今でも親交があるのだが、竜介がその詳細を知る由はない。

 空になった鉄板と空のグラスを下げてもらい、入れ替わりで運ばれてきた出汁巻き玉子に箸を入れながら、竜介が感心したように言葉を紡いだ。


「いやーでも、凄いなと思いますよ、アータートンさんのその行動力。

 だってお話を伺うに、好きな時に来て好きな時に帰れるわけじゃないらしいじゃないですか。そんな状況なのにこっちに来て日本語研究して、あっちこっちに足を運んでは飲み歩いて……

 今日だってほら、わざわざ横須賀まで来られたわけでしょ、板橋から。こないだは海老名の方まで行かれたって聞きましたし。普通そこまでしませんよ」

「ホホホ、それは当然ヨ。私は普通じゃないモノ」


 竜介の割った出汁巻き玉子の一切れを箸で取りながら、からりとグロリアが笑い声をあげた。

 確かに、地球においてはこの上なく異質な外見。異世界人でありながら達者な日本語。貴族らしからぬ気安さと行動力。

 どれをとっても普通でないことは明白だ。

 どことなく自嘲したように笑みを零すグロリアに、竜介が首を傾げつつ出汁巻き玉子を箸で持ち上げる。


「普通じゃないと言えば、アータートンさん貴族だって話じゃないですか。

 そこら辺を普通に歩いているものなんです?アータートンさんのお国で、貴族の人達って」

「さすがニ、そこらを歩いている姿を見かけることはそうそう無いと思うワヨ?

 貴族の子弟で騎士団入りしているトカ、大学に通っているトカ、しているなら別だケレド……そもそも、そこまで人数が多くないからネ、竜人族バーラウハ」

「じゃああれですか、街中を普通に歩くアータートンさんはレアケースと」

「そういうコト」


 小さく肩を竦めながら、グロリアが出汁巻き玉子の一切れを一口で口に収めた。

 ドルテについて、マー大公国の他愛もない話をしながら、グロリアと竜介の話は続いていく。

 話に花が咲く中、また新しい焼酎の水割りのグラスが、テーブルの上にコトリと置かれた。

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