中央

 神奈川県海老名市の人の流れの中心にある海老名駅。

 その東口側には、海老名中央公園を取り囲む形で様々な飲食店、ショップ、娯楽施設が入居する複合商業施設「ビナウォーク」が存在する。

 駅ともペデストリアンデッキで接続され、必然的に周辺住民が集まる形になるこの場所は、平日も休日も人が多い。

 その三号館、一階の大半のスペースを使って設えられたフードコートに、グロリアはいた。

 フードコートに入居するアイスクリームチェーンのアイスを三段積みにして、嬉しそうに長い舌で舐めとっている。

 彼女の座る席の向かいで、ヘレナが二段積みのアイスクリームを両手で持つようにしながらせっせと舐めていた。その視線はきょろきょろと、周辺のテーブルに向いては自身の主人にも向けられる。

 当然と言えば当然だ。人の多いところは必然的に、グロリアに向けられる好奇の視線も多くなる。グロリア自身はそういうのを、まったく気にしない性質であるのは事実だが、だからと言って気を付けなくていい理由にはならない。


「(奥様は、どうしてこんなに平気でいられるのでしょう……私だったらとても、耐えられません)」


 ヘレナは短耳族スクルトだ。故郷の世界では身分の低い存在だったから、こちらの世界とは違う意味合いでビクビクと周囲を窺っていた節がある。

 しかしこちらでは、周囲からの視線にさらされているのはグロリアの方で、故郷の世界では身分も権力もある「高貴なお方」で。本当なら、こんな環境に置かれていい人ではないはずなのだ。

 そんな、疑問と申し訳なさを含んだ視線でグロリアの方を見ると、ちょうど一番上に積まれたチョコレートのアイスを食べ終わったグロリアと目が合った。


『ヘレナ、貴女さっきからフードコートのあっちこっちを見て、私を見ている目があるのを気にしているでしょう』

『えっ、いえ、あの』

『いいのよ、隠さなくて。分かり切っていることだもの』


 そう言ってふっと鼻から息を吐くと、グロリアは大きな口を開いて二段目に積まれたストロベリーのアイスをばくりと食べた。口吻が長く、大きく口を開けられる竜人族バーラウであるがゆえに成せる芸当に、周囲のテーブルに座る一般客がどよめきだす。

 ヘレナもヘレナで、主人の行動に目を見張るほかなかった。こんなことをしたら衆目の視線を引くことは必至だ。わざわざやる必要のある行動ではない、はずだ。

 しかしグロリアは相も変わらず平然とした表情。もっちゃもっちゃとアイスを食んでゴクリと飲み込むと、うっすらと目を細めてヘレナを見た。


『私のような竜人族バーラウは目立つ、それは仕方のないことだわ。でも、だからって私達がこそこそと隠れるようにしていては、この世界の人々にとってもよくないことよ。

 リュウスケサンが言っていたでしょう、この世界にも徐々にドルテのことが知られ始めている。私たちはある意味、ドルテ人のモデルケースなの。

 私たちがどう行動するかが、今後日本ジャポーニアにやってくるドルテ人の見られ方にも影響するのよ』

『はい……ですが奥様、奥様があまり奔放に行動されると、ドルテ人が『遠慮のない人間』と見られてしまいは、しないでしょうか』

『まぁ、そうね。もうちょっとドルテ人のモデルケースが、増えてくればいいのだけれど……折を見て、誘致していくしか無いわね。教育頑張らなくっちゃ』


 なんとも他人事のように話しながら、グロリアは一番下の段のチョコミントのアイスに取り掛かった。本当にこの貴婦人は、分かっているのか分かっていないのかいまいち掴み切れない。

 ふーっとため息をついて、ヘレナは改めて自分の手の中に持ったアイスクリームに口を付けた。ずっと手に握っていたせいで、少し柔らかくなってしまっている。

 この後はショッピングモールで買い物をして、それからレストランフロアで食事をして帰る予定だ。しかし、この様子だと買い物の最中も食事の最中も、何かと人目を引きそうである。

 憂鬱な気持ちになりながら、キャラメルのアイスに口をつけるヘレナなのであった。




 服を買って、アクセサリーを買って、家電を買おうとして見るだけにして、グロリアとヘレナは紙袋を両手に持って三号館に戻り、レストランフロアに上がってきていた。

 勿論と言えば勿論だが、買い物の最中もまるでモデルか芸能人かのように周辺の人々に騒がれていたわけで。何度か写真撮影をお願いされては、ヘレナがカメラマンになって記念撮影に興じていたりもしている。特に子供たちに人気を博していた。

 そんなわけで、レストランエリアにやってきて居酒屋に入った段階で、ヘレナは随分ぐったりとしていた。


『ヘレナ、大丈夫? 疲れたかしら?』

『奥様ー……私今日はもうお酒飲みませんー……』

『ハイハイ、無理はしないでね』


 テーブルに突っ伏すようにへたれているヘレナを前に苦笑したグロリアが、テーブル上に置かれたドリンクメニューに手を伸ばす、と。

 視線の先の壁に掛けられた看板、そこにも何銘柄か日本酒の名前が載っている。当日のおススメ銘柄が、ああいう風に掲示されているらしい。

 面白そうに目を細めたグロリアが、ドリンクメニューを改めて取ってヘレナへと差し出した。ソフトドリンクのメニューが掲載されたところを出しながら、ヘレナの肩をぽんと叩く。


『ほら、何飲む? 私は決まったから、好きに選びなさい』

『ありがとうございますー……では、私はウーロン茶で、お願いします』

「オーケー。すみませーん」


 ヘレナの注文を確認したグロリアがさっと手を挙げた。すぐさまに近くを通った店員がこちらに近づいてくる。


「ご注文はお決まりですか?」

「エエ、勢正宗の夏酒を一合。それとウーロン茶。あとハ、串五本盛り合わせト、きゅうり一本漬け、ローストビーフと枝豆をお願いするワ」

「かしこまりました、勢正宗、ウーロン茶、串五本盛り、きゅうり一本漬け、ローストビーフ、枝豆、でございますね。少々お待ちください」


 注文を確認した後に、一礼して去っていく店員。その後ろ姿を見ながら、グロリアはヘレナに優し気な微笑を向けた。


『大丈夫よ、そこまで心配しなくても……と言っても、私は日本ジャポーニアに何度も来ているし、何度もそういう扱いを受けることに慣れているから、かもしれないけれど。

 お邪魔したお店の店員さんも、大抵ちゃんと応対してくれるでしょ? 竜人族バーラウだからとか、短耳族スクルトだからとか、区別しないじゃない。何とかなるわよ』

『それは、奥様が心配しなさすぎなだけなだけだと思います……獣人族フィーウルだったらどうするんですか……』

『んー、でもほら、ロジャーが日本ジャポーニアに来た時も、何とかなったらしいし? むしろ竜人族バーラウより受け入れられやすい感触を受けたって聞いたわよ』


 かつて自分が面倒を見ていた、日本人と結婚して子供を作った獣人族フィーウルの男性を頭に思い浮かべながら話していると、店員がウーロン茶のグラスと一合用の片口とおちょこ、日本酒の一升瓶を持ってきた。それぞれをテーブルに置きながら二人に声をかける。


「ウーロン茶と、勢正宗をお持ちしました。ただいまお注ぎいたします」

「お願いするワ」

「ありがとうゴザイマス」


 グロリアの前に片口を置いて、勢正宗の夏酒の栓を抜く店員。そこから静かに片口へと酒を注いでいって、注ぎ口から溢れるかどうか、というところでボトルの口を引き上げた。

 その熟達した注ぎっぷりにグロリアが感心していると、ボトルに栓をしながら店員が口を開いた。


「お客様、最近横浜とか川崎とかにお出かけになられました?」

「エ? ええ、横浜には先月の中旬に行ったシ、川崎も今月の初めごろに行ったケレド……」

「やっぱり! どこかで見たことあるなって思ったんです、お客様のお姿。

 先月横浜に遊びに行ったときに、一緒にお写真を頂戴したの、覚えていませんか?」


 にっこりと笑いながら、竜人の顔をまっすぐ見つめる女性の店員。

 その顔を正面から見て、グロリアも思い当たる節があったらしい。ぽんと手を叩いた。


「アー、あぁ、みなとみらいで写真をお願いしてキタ、ポニーテールの子デショウ? あらぁ、こっちで働いていたのネー」

「覚えていただけていたようで光栄です。またお会いする時があったらいいなと思っていたのでうれしいです」

「そうネー、私も嬉しいワ。私Twitterもやってるカラ、アカウント持っていたらフォローして頂戴ネ」

「はい、大丈夫です、既にフォロー済みです。それでは失礼します、ありがとうございます」


 改めて深く一礼をして、店員の女性はテーブルから離れていった。乾杯なんてどうでもいいと言わんばかりに、さっさとウーロン茶を飲んでいたヘレナがグロリアへと訝し気な視線を向ける。


『……ちゃんと、応対してくれました? 奥様』

『あれは雑談よ、雑談』

『勤務時間中にお客さんと雑談するのって、ちゃんとした応対の中に入るんでしょうか……』


 そんなふうにぼやくヘレナを前に、グロリアは苦笑するしかなかった。

 これもこれで、日本を歩くのが楽しい理由の一つだ、と言い出せないままに、彼女は片口から日本酒を注ぐ。

 夏酒の爽やかで澄んだ風合いが、グロリアの鼻腔をくすぐった。

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