日吉町

「……ってことがこないだあってネー」

「はー、なるほどー」


 西武池袋線と西武新宿線が交差する、埼玉県所沢市の所沢駅。

 東京のベッドタウンとして、新宿や池袋に向かう人々の住まいとして発展してきた駅周辺は繁華街になっており、西武グループの本拠地として同グループの建物が密集し、なかなかに栄えた場所になっている。

 この駅の西口側、特に居酒屋の密集する通りの並びにある居酒屋の中で。

 グロリア一行は綾人と一緒にテーブルを囲んでいた。

 四人が四人とも、各々頼みたい酒を頼んでは料理や海鮮に舌鼓を打っている。テーブルの上には半分ほどに減った刺身の盛り合わせと、アサリの酒蒸しがでんと置かれていた。

 そして、近況やら執筆活動やらを話す中で、グロリアは必然的に、先日に逢ったユアンを話題に出したのである。

 頬をほんのりと赤らめながら、熱を入れて話すグロリアに対し、綾人はいつものように平静だ。感動も驚愕も何もない、という様相である。

 その反応に気勢を削がれたのか、むすっとした表情でグロリアは日本酒のグラスを手に取った。


「タケハラ先生、なーんか反応が淡白じゃナーイ?」

「そうデスヨ、奥様以外の竜人族バーラウナンテ、日本ジャポーニアに来てカラ初めて会いましたモノ」

「いやー、だってあれですよ。僕からしたら『ようやくこの人とこの人が直接繋がった・・・・かー』って感じなんですもん」


 ヘレナも口をとがらせて綾人に視線を投げるが、対する綾人は苦笑するばかり。

 首を小さく傾げながら笑う青年の言葉に、グロリアは小さく目を見開いた。


「繋がったか……ッテ、私とユアンさんガ?」

「竹原サン、繋がったトハつまり……奥様と、ユアン様が直接交流を持ち始めた、トイウ認識でよろしいのですヨネ?」


 「繋がった」という言葉に不穏当なものを感じ取ったか、パトリックが表情を消して口を挟んだ。日本酒のグラスをくい、と傾けて中の透明な液体を飲み込んだ綾人の目が、すっと細められる。


「そーゆーことです。別に何も変な意味で言ったわけじゃないですよ。

 ユアンさん、埼玉県内では結構有名人なんです。システムエンジニアとしてもそうですけれど、創作活動も精力的にやってて。僕とは別方向で作家さんですよ」

「はー……そうだったノ。それは知らなかったワ」


 彼の言葉に、グロリアは小さく息を吐いた。

 綾人が言うことには、ユアンはいわゆるエッセイスト、ノンフィクション作家であるらしく、実体験や実経験を元にした作品を執筆しているらしい。

 竜人族バーラウである彼のこと、一般の人間とは異なる視点でこの世界を見ることもあるのだろう。それはそれで、作品を読んでみたくなる気もする。

 三人が目を見開き、瞳を輝かせ始めるところで、綾人がグラスを手に持ったまま頬杖を突いた。手の中で小さく日本酒のグラスを揺らしながら、悪戯っぽく目を細める。


「ていうかあれですよ、グロリア先生方を今日こうして所沢までお呼びしたわけですけど、僕、ユアンさんをこのお店に連れてきたことありますもん。そこのカウンター席に座って」

「あるんデスカ!?」

「ありますあります。僕もユアンさんに誘われて大宮まで行ったことありますし」


 空いた手でくいと後方のカウンター席を指さす綾人に、ヘレナが驚愕の表情を顔に貼り付けた。

 ふふ、と笑いながら日本酒のグラスに再度口を付ける綾人を見て、グロリアが呆れたようなため息をついた。


「タケハラ先生もタケハラ先生で行動的ヨネー。確かカワサキとかチバとか、行ったことあるんでショウ?」

「こう見えて交友範囲も趣味のカバー範囲も広いですからね。色々やってますから」


 自分もかなり行動的であろうに、そんな貴婦人からの言葉を何でもないことのように躱す綾人が、再び口元に笑みを浮かべる。

 グロリアはTwitterで交流があるから知っているが、竹原綾人という人間も精力的に行動することでよく知られている。居酒屋の新規開拓は言うに及ばず、ワインバルやピッツェリア、オーセンティックバーにも積極的に足を運んでは様々なお酒を味わっているので、「美味い店はこいつに聞け」とまで言われるほどだ。

 加えてゲームもよくやり、オフ会やイベントなどにも頻繁に顔を出すため、かなり行動範囲は広かったりする。

 と、そこで自分の話はおしまい、とばかりにグラスをテーブルに置いた綾人が、刺身盛り合わせのブリを取りながら口を開いた。


「で、ユアンさんの話でしたっけ。僕がユアンさんと知り合ったのは三年位前だったかなー。グロリア先生よりは知り合ったの最近ですね。

 最初はIT関係のフォーラムで顔を合わせて、その次はワインの試飲会で顔を合わせたんだったかな。で、酒の記録を付けるためにインスタのアカウント開設したらユアンさんのアカウントも見つけて。

 そんな具合で今もたまーに一緒に飲みに行ってるわけです」

「そうだったノ……」


 新鮮なブリの刺身を醤油を付けて山葵を付けて口に運び、綾人は話を続ける。

 大体、会うペースは三ヶ月か四ヶ月に一度。場所は大体埼玉県内で、こういった居酒屋やバル。酒を楽しみながら最近の執筆の調子や、創作論なんかを語り合っているのだそうだ。

 同じ趣味について、語れる相手がいることはいいことだ。羨ましく思う。

 そんな感情を視線に籠めながら綾人の話に聞き入るグロリアに、綾人が真正面から不思議そうな視線を向けて来た。


「っていうか、なんで今までグロリア先生がユアンさんのこと知らなかったのが不思議なんですけど。あちこち行かれるし、Twitterもやってるでしょ、先生」

「そう言われるト……なんでなんでしょうネ……?」


 力のあるまっすぐな視線に、思わず視線をそらしてしまうグロリアである。

 実際、ユアンはグロリアが日本に来るようになる前から日本にいたのだ。

 ユアンが就職するタイミング、グロリアが日本であちこち歩きまわるようになったタイミング、色々と重なる要素はあるだろうが、今の今まで直接かち合ったことがないとは、やはり考えにくい。

 グロリアが所在なさげに頬を掻いていると、ヘレナとパトリックが揃って苦笑を見せた。


「奥様、気が付かないト本当ニ気が付きませんヨネ」

「熱中しやすいと申しますカ、視野が狭くなりがちと申しますカ……一つ気になるものが目に入るト、他が目に入らなくなるきらいはありますネ」

「ウグッ」


 従者二人の容赦のない言葉のナイフが、グロリアの胸に深々と刺さる。

 思わず呻き声を漏らしたグロリアを見て、綾人がからからと笑った。そうして再び日本酒のグラスを取ると、残り少ない中身をくいっと呷る。


「はっはっは、グロリア先生らしくていいじゃないですか。好きですよ僕、先生のそーゆーところも」

「チョッ、タケハラ先生ー! アァもう、次のお酒飲むワヨ、次の!」


 恥ずかしさに頬を真っ赤に染めて、角の際まで赤みを帯びさせながら、グロリアがドリンクメニューを片手に呼び鈴を押す。程なくしてやってきた店員に、彼女はちらりと視線を向けて口を開いた。


「ご注文はお決まりですか?」

酔鯨すいげいを……アー、片口でも出せるノネ? 片口で、おちょこ一ツ」

「いいのデスカ奥様、150mlですのでそこそこ量がございますガ」

「ここまで来たら、一合も二合も大して違わないワ」


 パトリックが窘めるように声をかけるも、覚悟を決めたらしいグロリアには通用しない。諦めたようにメニューをテーブルの上に置きながら、ソファーの背もたれに身体を預けて天井を仰いだ。

 放られたメニューを覗き込みながら、綾人が柔らかく笑う。


「行きますねーグロリア先生。あ、じゃあ僕は麒麟山きりんざんグラスで」

「アー……じゃあ私も麒麟山をグラスでお願いシマス」

「私ハ、角ハイボールで、お願いシマス……日本酒飲めマセン……」

「かしこまりました、少々お待ちください」


 各々が注文を告げて、店員がテーブルから離れたところで。

 綾人の視線は小さく身体を縮こませているヘレナへと向いた。他の三人は徹頭徹尾日本酒を頼んでいるが、彼女だけハイボールかサワーだ。


「ヘレナさん、やっぱり日本酒苦手です?」

「日本酒、苦いデス……ビールも苦いカラ、あんまりデス」

「甘口の日本酒から試させてはいるんだけどネー、どうしてもダメみたい」


 恥ずかしそうなヘレナの言葉に、グロリアが小さく肩をすくめる。

 実際、日本酒の独特の風味だったり苦味だったりが苦手で、飲めないという人間は一定数存在する。逆にその苦味がいいからよく飲む、という人間もいるのだから、アルコールというものは奥が深いし、面白いものである。

 とはいえ、苦手は苦手。嗜好品であるアルコールを、無理して克服する必要などこの世には無いわけで。


「お酒の種類によって向き不向きってありますからね。まぁ、角ハイとかワインとか行けるって話ですから、アルコール自体には耐性あるんでしょう。

 無理して慣れることないですよー、この世の中、酒なんていくらでも種類があるんですから」

「そういうタケハラ先生ハ、苦手なお酒とかあるノ? 何でも飲みそうに思うケレド」


 にっこりと笑みを浮かべて頷く綾人に、グロリアが興味深げな視線を投げた。

 実際、ビール、日本酒、ワイン、ウイスキー、ジンにテキーラにと、彼が大概の酒を飲むところを見て来たグロリアだ。実はこれでいて、綾人はカクテルもそこそこ詳しい。

 どこからそんな地域を仕入れてくるのかというところだが、そこはインターネット時代、いくらでも調べられるし、経験も積んでいける。

 グロリアの視線を受け止めた綾人が、口角をくいと持ち上げて肩をすくめた。


「僕にだって苦手なお酒はありますよー。焼酎は駄目ですし、濁り酒も微妙に……あと酸っぱさの強いお酒はウッてなりますね」

「アラ意外。タケハラ先生日本のお酒なら大体飲めると思っていたワ」

「確かニ……色々なお酒にお詳しくいらっしゃいますモノネ」


 彼の言葉に、グロリアとパトリックが揃って目を見開いた。

 そこからどんどん始まる日本酒談義。やれあの店はどうだ、やれこの場所に新しい店がオープンした、やれあそこは潰れたなどという話をしながら、店内はどんどん客で埋まっていく。

 竜人と人間が仲睦まじく話をしている様子を、周囲の客も店員も一切気にすることなく、ただそれぞれの仕事や注文や料理に、意識を注いでいたのだった。

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