両国

 墨田区両国、両国駅前。

 日本の国技・相撲の聖地である両国国技館を有するこの駅は、外国人観光客で日々賑わっている。場所開催中はより一層賑やかだ。

 そんな両国駅の前。上機嫌な足取りで歩いていくグロリアと、後をついて歩くヘレナ、パトリックも、例に漏れず相撲観戦の帰りだった。


『いやー、凄かったわねー。まさに肉体と肉体の激突!あれは大公国では絶対見られないわ』

『迫力が凄かったです……周りの人の歓声も、土俵の上も……』

『スモウは元々神事だったという話しですからね。それにしてもあの盛り上がり……日本ジャポーニアの国技という話も納得です』


 そう口々に話しながら歩いていくグロリア一行は、JRの改札の前を通り過ぎて両国駅の南側へ歩いていく。どうやらここで帰る気は、さらさらないらしい。

 しかしそれも道理と言えば道理だ。両国は相撲の町。相撲部屋も多ければ、ちゃんこ鍋を出す店も数多い。

 折角来たのだから、これを食べずに帰るのは何とも勿体ないという点については、三人とも意見がピタリと一致していた。


『しかし、奥様。ちゃんこ鍋を食べることは確定だとして、お店の宛てはあるのですか?』

『宛てはあるのよ、一応……でも今から行って用意してもらえるかしら?ちょっと待っててちょうだい』


 ヘレナの疑問に一つ頷くと、グロリアは自身のスマートフォンを取り出した。国技館の中で相撲の撮影もしていたため、そのまま手元に握っていたらしい。

 スマートフォンをぽちぽちと操作して、一つの店の電話番号を確認したグロリアが、電話番号を入力して通話ボタンをタップする。

 そのまま、顔の横にスマートフォンを当てるその自然な動作、頭部がドラゴンでなければ周囲の人が二度見することも無いだろう。

 そんな周囲の人々の信じられないものを見るかのような視線を気にする風も無く、グロリアは電話口で話し始めた。


「ア、モシモシ?お席の予約をしたいのだケレド、今から3名は入れるカシラ?……19時カラ?エェ、大丈夫、分かったワ。それじゃその時間になったら伺うわネ。

 それと確認したいのだケレド、ちゃんこ鍋をやっているワヨネ、そちら?……ハイ、ハイ、そうヨネ。それもお願いしたいノ、単品デ三人前。ご用意いただけル?」


 そこまでやり取りをして、ぐっと親指を立てるグロリア。これが異世界ドルテの仲だったらキョトンとされたことと思うが、幸いにしてこの場にいるドルテの民は、揃って日本の文化に理解があった。

 意味を正しくとらえたヘレナとパトリックが、揃ってにこりと笑みを浮かべる。それを横目に見ながら、グロリアは会話を休めない。


「名前ハ、グロリア。そう、カタカナでネ。エェそうそう、そのグロリア。

 電話番号ハ080-……」


 スラスラと淀みない口調で予約を入れていく主人の姿に、ヘレナは呆気に取られていた。慣れているにしても、全く迷いがない。

 彼女の耳元に顔を近づけたパトリックが、こそっと耳打ちする。


『奥様は、お店の予約を取るのに手慣れていらっしゃいますから……予約サイトも平気な顔して使いこなされますよ、ドルテには『いんたーねっと』すら無いというのに』

『凄いです……』


 驚愕と感服の入り混じった視線を向ける侍女に、いくらか日本の事情にも精通している執事が笑みを浮かべながら主人の方に視線を向けると、ちょうど電話を終えたグロリアが終話ボタンをタップするところだった。


『19時から入れるんですって。まだちょっと時間があるから、少し飲んでから向かいましょう』

『飲んでから……って、奥様、これからお店に行くのに、その前に飲むんですか?』

『別に喫茶店でもいいわよ、このあたり、そういうお店はいっぱいあるみたいだから。でも、貴方たち二人ともコーヒーは飲めないし、お茶はお酒の前に飲むわけにはいかない・・・・・・・・・・でしょ?』


 そう言いながらグロリアは踵を返して、両国国技館の方向に歩いていく。確かにそちらには、近年オープンした東京の地酒を飲み比べできる日本酒スタンドがあることは、パトリックも知っていた。

 ふっと笑いながらパトリックが、その後をヘレナが、何も言わずについていく。

 お酒の前にお茶は飲んではいけない、という謎のルールを耳にした両国駅前を通行する人々を聞いてか聞かずか、両国駅周辺で三人の会話を聞いていた面々は首を傾げたという。




 時間は過ぎて、19時。

 グロリア、ヘレナ、パトリックの三人はとある居酒屋のテーブル席でぐつぐつと煮える鍋を囲んでいた。

 カセットコンロを初めて目にしたらしいヘレナが、顔がテーブルに付くことも厭わずにテーブルの上で青々と燃える炎を見つめている。


『ヘレナ、そんなにテーブルに顔を付けて見ていると、汚れるわよ』

『だって奥様、こんな何でもないテーブルの上で、こんなにしっかりと火を燃すことが出来るなんて、信じられません。ガス栓も無いのに』

『ドルテには、携帯用のガスボンベがありませんからね。卓上のコンロも同様に存在しません。

 ほら、奥様、十数年前に日本ジャポーニアに来られた際、卓上コンロを買って持ち帰ろうとしたのを、私が必死になってお止めしたこと、覚えていらっしゃいますか?』


 昔を懐かしむように目を細めたパトリックが、隣に座るグロリアに視線を向ける。

 店に入る前にもたくさん日本酒を飲み比べして、店でもだいぶ日本酒を飲み進め、ほんのり頬の鱗の奥が紅潮しているグロリアが、うっすらと目を細めた。


『勿論。あの時は随分と押し問答を繰り返したわね。最終的に私がガスボンベを段ボール一箱分買おうとして、パトリックが泣いて止めたのよね』

『そうです。『フーグラーには宅配便は届かないんですよ!』と、悲鳴を上げましたね、私が』


 ふぅ、と深い溜息を吐いてたかを注いだ大徳利を持ち上げ、手酌でお猪口に注ぐパトリック。自分のものに注ぎ終わると、流れるような動作でグロリアの手元にあるお猪口へと徳利を差し向ける。

 対してグロリアは何も言うことはなく、ただ無言でお猪口を呷った。中に残っていた日本酒を干すと、差し出したそれにパトリックの手の中の徳利から新しい酒が注がれていく。

 そうしてお猪口が再び、透明な液体でなみなみと満たされてから、グロリアはにこりと微笑んだ。


『ありがと、パトリック』

『どういたしまして』


 互いに礼を交わし、徳利をテーブルに置いたパトリックが自分のお猪口を手にしてから、小さく持ち上げると。

 二人揃って一気に、ぐいとお猪口の中の日本酒を呷った。

 二人並んで水のように日本酒を飲んでいく様子に、一人でレモンハイボールを飲んでいたヘレナが呆れたような視線を向ける。


『奥様も、パトリックも……二人とも、飲み過ぎでは、ありませんか?』

『ハハ、ヘレナは私がどれだけ酒豪であるか、お城の皆に聞いたことはなかったかしら?』

『このところは奥様の飲み歩きに常々付き合わせているのでしょう……そのヘレナが奥様に飲み過ぎ、と言うのでしたら、やはり少々控えた方がよろしいのでは』

『私と同じペースで日本酒飲んでる貴方には言われたくないわね』


 パトリックが自身の目の前に置いた徳利を手を伸ばして取りながら、涼しい顔をして再び日本酒を注ぐグロリア。休憩のためにお冷に手を付けているパトリックとは対照的だ。

 ともあれ、目の前で鍋はぐつぐつ煮立っている。食材のいずれにも火が通った頃合いだろう。日本酒を注ぎ終えたグロリアがお玉と小鉢を手に取った。


『さぁ、食べましょうよちゃんこ鍋!いい具合に煮えているわ』

『これが『ナベ』なのですね……野菜がたくさんです』

日本ジャポーニアの鍋は美味しいですよ、ヘレナ。しかし夏の盛りに鍋というのも、なかなか味わいのあるものでございますね』


 手際よく野菜と鶏肉、豆腐を小鉢によそって、グロリアはヘレナとパトリックに鍋を取り分けていく。

 貴族なれば、自身で取り分けずに侍女や執事が取り分けるのが普通であろうが、グロリアに関してはその慣例は当てはまらない。日々の食事の取り分けも全部自分が率先して行っているので、ヘレナもパトリックも止めようとはしない。

 こうした振る舞い方も、彼女が外見的な要素はともかくとして、貴族だと思われない一因である。


『お鍋は熱いうちに食べるのが美味しいわよねぇ』

『ハフッ……でも奥様、これ、すごく熱いです、どう食べれば……』

『小鉢に置いておくと冷めやすいですから、そのまま少し置いておくといいですよ、ヘレナ。あとはこう、ふーっと吹き冷まして、ですね』


 初めての鍋に四苦八苦しているヘレナに、パトリックとグロリアの年長組二人が口々に食べ方を教えていく。

 それはまるで、両親が娘にするかのようでいて。

 和やかで穏やかな時間が、居酒屋内部の喧騒に紛れるように、流れていくのであった。

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