歌舞伎町

 新宿歌舞伎町は昼も夜も、深夜になっても賑やかで色鮮やかだ。

 ピカピカと輝くネオンサインや看板、「客引きは禁止です」とひっきりなしにスピーカーから聞こえる声、カラオケボックスやパチンコ屋から聞こえてくる騒がしい音楽。

 まさしく日本有数の繁華街。およそ貴族とは縁遠いそんな街中を、いつもより多少シンプルな装いに身を包んでグロリアとヘレナ、パトリックは歩いていた。

 勿論グロリアは、その異質すぎる見た目を惜しげも無く曝け出して、である。


「そこの青いお姉さーん、イケメンいるよ、寄っていかなーい?」

「アリガトー、でも男なら間に合ってるワー」


 ホストの客引きをさらりとかわしながら、グロリアはネオンに彩られた歌舞伎町の街を歩く。

 周囲のある種独特な雰囲気と、表通りとは様子の異なる人々からの視線に身を縮こませ、グロリアの手にぎゅっと縋り付きながら、ヘレナがおびえるような視線で主人を見上げた。


『奥様……ここ、怖いです』

『大丈夫よ、私もいるよ、パトリックにもこうして着いてきてもらってるのだから』

『しかし奥様、やはり立ち寄る場所はキチンと選ばれた方がよろしいかと思います。

 いくら歌舞伎町が日本ジャポーニアが世界に誇る繁華街で、海外からのお客も数多く受け入れているとは言え……奥様が訪れるには、不向きでは』


 グロリアとヘレナの数歩後ろ、女性二人の背後を固めるように付き添うパトリックが、そっとドルテ語で苦言を呈する。

 グロリア・イングラム=アータートンはこれでも貴族なのだ。軽々しく繁華街に出入りすることが許されるような人種ではない。こうしてヘレナとパトリックが同行している現状ですら、かなり譲歩されている方である。

 そのことは勿論、彼女自身も分かっていた。ふっと物憂げに笑いながら、後方のパトリックに視線を向ける。


『分かっているわ、パトリック。いくら日本ジャポーニアが安全な国とは言っても、こういう場所は危ないもの。君子危うきに近寄らず、とも言うものね。

 それでも、私は行くのよ。こういう場所にこそ、生の日本語ジャポネーザがあるのだから』

『奥様……えぇ、それについては否定いたしませんとも。ですがだからと言ってですね』

『ハイハイ、そこまで。着いたわよ』


 猶も言い募るパトリックの言葉をバッサリとぶった切って、グロリアはとある大衆居酒屋の扉をがらりと開けた。入り口横のレジで店員が目を丸くする中、グロリアが手袋に包まれた右手で三本指を立ててみせる。


「三名、入れるカシラ?」

「か、かしこまりました!ど、どうぞ!」


 困惑と緊張からか、若干どもった女性店員が店内へと案内する。

 店の中で酒杯を傾けていた客たちが呆気に取られている中で、グロリア、ヘレナ、パトリックの三人は店内フロア中央付近の小さな丸テーブルに腰を落ち着けた。

 いや、腰を落ち着けたという表現は適切ではないかもしれない、なにせ、三人とも立ったままなのだから。

 ヘレナが物珍しそうに、店内をきょろきょろと見回している。


『このお店、椅子が無いのですね、奥様』

『立ち飲みよ。フーグラーもアーレント通りにあるでしょう、カール・アルブ・セルとかが。お客は立ったままで、料理やお酒を楽しむの。こんな風に、テーブルに寄りかかってね』


 丸テーブルに腕を置き、優雅に体重を預けながらグロリアが笑った。

 彼女が立ち入ったこの大衆居酒屋は立ち飲みで営業している店なのだ。客は皆立ったまま、ビールで満たされたジョッキを呷ったり、日本酒を注いだお猪口を手にして笑い合ったりしている。

 パトリックがテーブルの下に吊り下げられていたメニュー表を手に取って、小さく瞠目した。


『メニューをテーブル下に収納するのは、なかなかいい発想でございますね。それにしても日本酒が多くてありがたい限りです』

『そうそう。ここ、日本酒多いのよ。パトリックは飲むのは日本酒とワインばかりだものね。

 なに飲む?別々で頼むより一緒に飲んだ方が安いでしょ』

『そうですね……眞澄ますみなどどうでしょう』


 メニューをテーブルの上に置いて、あれはどうだ、これはどうだ、と日本酒の銘柄を指を差しながら相談するグロリアとパトリックを、ヘレナは別世界の話を聞くかのような表情で見ていた。

 はっと気を取り直し、自分の飲めるお酒を探していると、店員がおしぼりを三本持ってくる。温められたおしぼりからは湯気が立っていた。


「おしぼりをお持ちしました。お先にお飲み物の注文を伺います。お決まりですか?」

「眞澄を二合。お猪口二つネ。ヘレナ、貴女はどうスル?」

「アッ、エート……レモンサワー一つ、下サイ」

「かしこまりました」


 注文を伝票に書き留めた店員が、笑顔を見せると厨房に去っていく。程なくして、まずはマドラーの刺さったレモンサワーのグラスが一つ。次いでサイズの大きい徳利が一本に、蛇の目ぐい飲みが二つ、運ばれてくる。


「お料理がお決まりになりましたら、お声掛けください」

「ありがとうございマス」


 メニューに目を走らせていたパトリックが笑みを浮かべて礼を述べると、店員は心なしか浮かれた様子で立ち去って行った。

 その後ろ姿に目線を向けたグロリアが、にんまりと笑ってパトリックを見やる。


『やっぱりいいわねー、ダンディでナイスミドルな『ガイコクジン・・・・・・』。気分いいでしょ、フーグラーじゃあんなにキャーキャーされないものね?』

『誉めそやされて悪い気はしませんよ、確かに。しかし現を抜かすほどではございません』

『真面目よね、パトリックはその辺。だから私も信頼しているのだけれど』


 そう、口調だけはつまらなさそうにしながら、グロリアがぐい飲みに眞澄を注いだ。透明な液体で満たされたそれを、苦笑したパトリックが一つ手に取る。

 もう一つをグロリアが、手袋を外した手で持ち上げると、軽く掲げて口を開いた。


『それジャー、今日もお疲れサマ!乾杯ノロック!』

『『乾杯ノロック!』』


 ヘレナのグラスも、パトリックのぐい飲みも、それぞれ掲げられる。

 持ち上げたそれを口元に引き寄せたグロリアが、一気に中の日本酒を呷った。テーブルにぐい飲みを置いたカン、という音が音高く鳴る。それと同時にグロリアの爪が、ぐい飲みとぶつかって小さい音を立てた。


『ハーッ、いいわーこれ。やっぱりいい酒ね、眞澄』

『奥様、日本酒もいいのですが……たまに、でいいので、ワインのあるお店に連れて行ってください……』

『あぁそうよネ、ヘレナはワインの方が好きだものね。

 分かった分かった、新宿はワインの美味しいお店がたくさんあるモノ。今度連れて行ってあげるわ』

『上質なワインがあるとなれば、私も無視するわけにはまいりませんね。同行させていただきますよ、奥様』

『ハイハイ。さて、お料理頼みましょ』


 パトリックに適当に返しながら、グロリアの手がテーブル下のメニューに伸びた。主人にすげなく扱われながらも、ぐい飲みに口元を近づけるパトリックの表情は楽しげだ。

 小さな丸テーブルの上で額を突き合わせる異邦人三人の夜は、まだまだ終わらない。

 そしてそんな彼らを遠くのテーブルから一挙手一投足を見逃さぬよう眺めながら、生ビールのジョッキを傾ける男性が、一人。


「……チッ」


 今日も今日とて「ドラゴン女」の先回りに余念のない元樹が、小さく舌打ちした音が、店内の喧騒に紛れて消えていった。

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