Patrulea capitol:Saitama

仲町

 ある日の朝。

 都営三田線、板橋区役所前駅から徒歩数分の所にあるマンスリーマンションの一室にて。

 家具家電は備え付けのため、最低限の洋服とスマートフォンの充電器、愛用の日傘と調理道具くらいしか私物がないその部屋で、グロリアはスマートフォンの画面に目を落としていた。

 画面に表示されているのは、アナログ時計。しかし針は、12時を指したままで動いていない。

 それもそのはず、これはアラーム・・・・アプリだからだ。

 何も報せるものの無い時計をぼんやりと見つめていると、部屋に入ってきたヘレナが主人の姿を見て首を傾げつつ声をかけてきた。


『奥様、スマートフォン見つめてどうされたんですか?』

『んー……なかなか、切り替わる・・・・・通知が来ないな、ってね』

『まだ、フーグラーに帰れる日は来なさそうですか?』


 ヘレナのしょんぼりとした具合の声に、主人たる竜人はこくりと頷いて応えた。

 地球の時間とドルテの時間は同時に流れることはない。二つの世界の接続点となるお店の入り口が繋がっている方の時間だけが動き、繋がっていない方の世界は切り替わった瞬間の時間で停止するという仕組みだ。

 世界を渡るには、その切り替わりの前後で接続点であるお店の中にいる必要がある。今回グロリアがヘレナとパトリックを伴って日本に来た時も、前回にドルテから地球へと切り替わるタイミングで湯島堂書店に来店したから来れたのだ。

 このアラームアプリは、その切り替わりのタイミングを予測し、通知するためのもの。切り替わりが90%以上の確率で発生することが予測される時間の一時間前に、通知を出しつつカウントダウンしてくれるのだ。

 マー大公国首都のオールドカースルとアメリカのカリフォルニア州を繋ぐ接続点の一つである雑貨屋を構える主人が、制作と管理をしている。勿論その人物とグロリアは顔見知りだ。

 メールアプリを起動させながら、グロリアが嘆息する。


『ジャックさんにも聞いたのだけど、向こう一週間は切り替わり発生の確率10%以下ですって。しばらくは日本での生活が続きそうね』

『そろそろ、マーマの焼くパンが恋しくなってきました……』


 フーグラー市内でも屈指の人気店を経営する母親を想い、ホームシックのような言葉を零すヘレナ。そんな彼女の姿を見て、一瞬だけ目を細めたグロリアがスマートフォンの画面をオフにしてゆっくり立ち上がると、ぽんとヘレナの肩を叩いた。


『フーグラーに帰ったら、真っ先に貴女のお母さんのお店でパンを買いましょ。私も久しぶりに、あの味が恋しくなってきたわ。お昼ご飯はパン屋さんのパンを買ってこようかしら』

『奥様……』

『大丈夫よ、切り替わるタイミングは不定期だけれど、帰れないってことは絶対に無いのだもの。その為にアガター先生もジャックさんも力を尽くしてくれるのだから』


 ヘレナの肩に手を置きながら、柔らかく微笑むグロリアだ。

 このマンスリーを借りる時に保証人になってくれた勉も、海を隔てた向こうの国から情報を送ってくれるジャックも、グロリアたちが快適に過ごせて、スムーズに元の世界に帰れるように尽力してくれている。

 その厚意を無碍にすることは出来ないのだ。


『さあ、お昼ご飯を買いに行きましょうヘレナ。そうしたら今夜はどこに行くか、また考えなくちゃ』

『また飲みに行くんですかー奥様……いくら資金に余裕があるからと言ったって、飲み過ぎですよ……』


 朗らかに笑いながら部屋を出ていくグロリアの背中を追いかけながら、ヘレナは何とも言い難い表情をするのであった。




 昼食の買い物と昼食を終えて、SNSのチェックと更新を終えて、グロリアとヘレナが乗り込むのは帰宅ラッシュに差し掛かる前の埼京線だ。板橋駅から大宮方面に向かう電車の中で、吊革につかまりながら顔を見合わせている。


『奥様、今日はパトリックは連れて行かないんですか?』

『今日はいいの。たまには一人で行動させてあげないと可哀想でしょ』


 座席はすべて埋まりながらも、ぎゅうぎゅう詰めになっていない埼京線の車内で、グロリアは微笑む。あと数十分もしたらこの電車も帰宅する人の波に溺れていくのだろう。それを無事に躱せたのは幸いだ。

 そんなこんなで電車に揺られて大宮駅。駅の東口から外に出て、ぶらり歩いた街中の、一棟のビルのエレベーターに二人は入っていった。

 埼玉県さいたま市大宮区の中心に位置する大宮駅は、東京駅と東北地方、信越地方を結ぶ日本屈指の交通の要衝だ。新幹線の停車駅でもあるため、駅前は非常に栄えている。

 そんな居酒屋やバルが立ち並ぶ中で、一軒のバルに目を付けたグロリア。店内に入ると、そこそこ人が入っている。


「予約はしていないのだケレド、今から二名行ケル?」

「え、えぇはい、大丈夫です。こちらのお席にどうぞ!」


 若い男性の店員が目を見張りながらグロリアとヘレナをテーブル席に通す。まぁ、予想の範囲内の反応だ。

 店内中央付近のテーブルに着席して、置かれたメニューを手に取るグロリア。程なくして店員が、食器の入ったケースとラミネートされた別紙のメニュー、おしぼりを手にやって来た。


「こちら、本日のおすすめメニューとなっております。よろしければご覧ください。それと、こちらおしぼりです」

「アリガトウ」


 おしぼりを受け取り、別紙のメニューを受け取り、グロリアとヘレナが手を拭っていると。


「お先にお飲み物のご注文を伺います。お決まりですか?」

「ンー、そうネ、私は生ビールをジョッキデ。ヘレナ、どうスル?」

「ア、私はジンジャーハイボールにシマス」

「かしこまりました。ご注文がお決まりになりましたら、お声掛けください」


 一礼して立ち去っていく店員がこちらに背中を向ける。

 その男性店員の背中を見つめながら、ヘレナがグロリアに声をかけた。


『ところで、奥様』

『ええ、気付いているわ』


 ヘレナが目を向けている方に、グロリアも目を向けている。

 彼女たちが視界に収めている店内奥側、フロアに多数置かれた二人掛けのテーブルの一つに腰掛ける男性と思しき背中に、二つの視線が注がれていた。

 角の生えた新緑の色をした後頭部と、折り畳まれた竜の翼。同色の鱗に覆われた太い尻尾が椅子の背もたれの隙間から床に向けて垂らされている。

 即ち。


竜人族バーラウですね』

『間違いないわね。アガター先生のところで人の移動があったという話は私達とミノリサン、ロジャー達以外には聞かないし、別の接続点から転移してきたのかしら?』


 誰がどう見たって間違いようのない、立派な竜人族バーラウが同じ店の中にいた。

 グロリアが世界を渡る際にお世話になっている湯島堂書店において、ドルテから地球に転移する人間は、実はそれほど多くない。グロリアの一行が頻繁に利用しているだけで、他にはユウナガ=レストンの一家と実里くらいなものである。

 地球とドルテの接続点は一つではない。いろんな国、いろんな地域に点在しているため、日本国内にフーグラー以外の都市と繋がる接続点があることは、おかしなことではない。

 しかし、だとしても。かの竜人族バーラウの出身地が気になるところではある。


『フーグラー市以外の接続点、ということですか?』

『というよりは、大公国以外の国にある接続点かしらね……大公国に、サイタマに繋がる接続点は無いはずだから』

『サイタマの外から来たという可能性は?』

『オフリーからトウキョウに来て、サイタマに来たという可能性はあるけれど……可能性は低いと思うわ、オフリーは小さな村だもの』


 新緑色の翼をもつ背中から視線を外して、額を突き合わせる女性二人。運ばれてきたビールとハイボールには目もくれない。聞き慣れない言葉で会話していることに、店員が目を見開いて去っていった。

 そこまで話してようやく飲み物が来たことに気付いたようで、二人はジョッキを手に取った。それを持ち上げながら、再び言葉を交わす。


『とりあえず様子を見ましょう。ここで声をかけても怪しいだけだわ』

『はい』


 声を潜めてそう言いながら、ジョッキを合わせようとしたその時。


「失礼、お嬢様方」

「ヒャッ!?」

「ワ……!?」


 不意に声をかけられたことに、驚いた二人の身体がびくっと跳ね上がった。ジョッキの中でビールとハイボールがぐらりと揺れる。零すことが無かったのは幸いというところだろう。

 恐る恐る声のした方に視線を向けると、そこには先程までこちらに背を向けていた、新緑の鱗を持つ竜人族バーラウの男性が立っていた。

 年の頃はグロリアより少し上、と言った具合だろう、鱗の色こそ明るいが目尻には皺が寄っている。


「あ、アラ、どうされマシタ、私達に何カ?」


 引き攣ったような笑顔を取り繕いながらグロリアが竜人に声をかけると、彼はうっすらと笑みを浮かべながら淀みの無い日本語で答えた。


「いや失敬、懐かしの祖国の言葉が耳に入りましたものデ、つい懐かしくて」

「アラ、日本語お上手……どちらのお国からいらしたノ?」


 どう見てもドルテの人間でありながら流暢に日本語を話してみせるその男性にグロリアが瞠目すると、男性は深く頭を下げながら一礼した。


「私は大陸の西方、ウィートストンの出身デス。ユアン・マート=ニューウェルと申しマス。ドルテ語を話さなくなって久しいもので、日本語での会話をお許しください、マダム」

「マート=ニューウェル……元老院の一員ノ?」

「そうです。我が家は未だ、その立場を失ってはいないのですネ」


 男性――ユアンの自己紹介にヘレナも大きく目を見開く。その反応に再び微笑を浮かべながら、彼は長い顎をさすった。

 ウィートストン連合国は一人の君主を持たない代わりに大統領制を取っており、議会の代表が国の代表の役割を担う。この議会が、元老院だ。

 元老院の議員は数年おきに行われる連合国議会の選挙で選ばれ、国家の運営を主導する役割を担うことになる。いわば国の意思を決定する集団だ。

 その元老院に属する家の一つが、マート=ニューウェル家である。

 ユアンの出自が明らかにされたことで、グロリアもその目に真剣な光を宿した。背筋をピンと伸ばして頭を下げる。


「ご丁寧な挨拶ありがとうございマス。マー大公国のグロリア……グロリア・イングラム=アータートンヨ。こっちは侍女のヘレナ。

 折角お近づきになれたのだから、連絡先交換しまショウ。何かSNSはやっていらっシャル?」

「ええ、ハイ。少々お待ちくださいね……」


 挨拶を終えてすぐに態度を崩すグロリアに、ユアンが少々面食らったようになりながらもスマートフォンを取り出す。

 唐突に始まる連絡先とSNSのアカウント交換に、ヘレナも近くを通りがかった店員も、一様に目を白黒させるのであった。

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