Primul capitol:Tokyo

外神田

 秋葉原。

 電機とオタクとメイドの街。日本有数の電気街で、サブカルチャーの街。

 多くの人が日夜行き交い、道端でたくさんのメイドがカフェの客引きをする大通りを、毎度のごとく衆目を集めながら歩く、身なりのいい竜人の女性が嬉々とした表情で一人。

 その後ろから、背が低くて栗色の髪をした少女が一人、パンパンに中身の詰まった某ディスカウントショップの黄色いビニール袋を両手に、人波をかき分けて追いかけてくる。


『奥様! 待ってください!』


 日本語ではない言葉で呼びかけられた竜の貴婦人が、ぴたりと足を止める。

 後方から追いかけてきて肩で息をする少女に微笑みかけると、彼女は少女が手に持つ黄色いビニール袋を一つひょいと取り上げた。


『ごめんなさいね、早く行きすぎたかしら。それ、貸しなさい。重いでしょ』

『ダメです奥様、奥様に荷物をお持ちいただくなんて、そんなこと』

『いいからいいから』


 困惑の色を露わにして、貴婦人に抗弁する少女であったが、当の本人は意に介する様子もない。大きなサイズのビニール袋を肩に担ぐようにしながら、再び歩き出した。

 呆気に取られる少女だったが、すぐさま袋を片手に持って自分の主人の、翼と尻尾の生えた背中を追いかけ始める。

 その様子を、街中を歩く人々も集客のために立っていたメイドたちも、ぽかんと口を開いて眺めるほかなかった。

 異世界ドルテからの来訪者、竜人族のグロリア・イングラム=アータートンとその従者ヘレナは、今日も今日とて人々の注目の只中にいた。

 そして、二人が去っていき、いつも通りの姿を取り戻したそこに。

 大急ぎで駆けてきたのだろう、息も荒く膝に手をつく男性が一人。


「くそっ、逃したか……!」




 グロリアとヘレナがビニール袋をそれぞれ持って、向かった先は秋葉原駅の駅前に建つ一軒のビルだった。

 様々な飲食店が入居するそのビルの二階、ビアホールが入居するフロアの店先で、面食らっているスタッフににこやかな笑顔で指を二本立てている。


「今から二名、入れるカシラ?」

「しょ……少々お待ちください」


 バタバタと店内に駆け戻っていくスタッフを、にこにこと笑顔のままで見送るグロリアと、申し訳なさそうに身体を縮こませているヘレナ。

 店内の入り口付近に座る客が、ちらちらと二人を横目に見ているのも感じ取れる。突然どう見ても人間でない客が入ってきたら、当然ビビるだろう。

 程なくして戻ってきたスタッフが連れてきた、ある程度権限を持つであろうスタッフが、おずおずとグロリアに声をかける。


「We, welcome. Ah...did you make sense English?」

「お手数をかけてしまッテごめんなさいネ。大丈夫ヨ、私も彼女も日本語ハ問題なく読めるカラ」


 「外国人が来た」とでも伝わったのか、英語で話しかけてくるスタッフに、苦笑しながら日本語で応対するグロリアだ。確かに外国人なのは正しいが。

 スタッフが小さく息を呑む音が聞こえた後、口元を震えさせながら笑顔を作って頭を下げた。


「はっ……し、失礼しました! 二名様ですね、喫煙席でもよろしいでしょうか?」

「大丈夫。気にしないワ」

「かしこまりました、こちらへどうぞ」


 にこやかな笑顔のままグロリアが頷くと、スタッフが店内へと案内していく。最初にグロリアに声をかけられたスタッフは、何やらショックを受けた表情で立ち尽くすことしばし、すぐに気を取り直して次の来店客である男性一人に応対するために入り口に向かっていった。

 勿論、店内を歩いている間も、席に着いてからも、グロリアは注目の的である。窓際のテーブル席に座っている客でさえも、秋葉原駅前の景色より店内のグロリアに視線を向けている。

 そんなことは全く気にする風でもないグロリアは、テーブル上のメニューに目を走らせつつ、同じくメニューに視線を落とすヘレナに異国の言葉で話しかけている。


『ヘレナ、貴女はどうする?』

『私は、ハイボールで……あ、二種類あるのですね。こっちにします』

『分かったわ』


 そこで一旦言葉を区切ると、グロリアは傍らに立つ店員へと視線を向けた。その口から存外に流暢な日本語が流れ出す。


「スタッフさん、コチラのビールを1パイント、それト角ハイボールをレギュラーで。それト、ビアチップスをレギュラーサイズ、ミートボール、ローストビーフを120gくださいナ」

「かしこまりました」


 注文を書き留めて、さっと下がっていくスタッフに笑顔を向けると、グロリアはガラス窓の外、眼下に見える秋葉原駅電気街口の駅前広場に視線を落とした。

 時刻は十八時になろうかというところ、仕事を終えて家路に着くサラリーマンが数多く、秋葉原駅の改札に吸い込まれていっている。今日は日本ジャポーニアの暦では水曜日、世の中は概ねサラリーマンが仕事をしては家まで帰っている日になる。

 日本で就労していないグロリアにはあまり関係のない話だが、彼女も彼女で立派に仕事中なのだ。今まさに。

 外した手袋をしまった鞄から手帳を取り出すと、胸元に挿したボールペンでさらさらと紙に書き留める。


『奥様、どうかしましたか?』

『通りを歩いている時に、私が駅までの道を聞いた若者がいたのを覚えてる?

 彼の話していた内容がサンプルにいい感じだから、忘れないうちにメモしておこうと思ってね』


 手帳に視線を落としながら、手早く書き留めては各所に丸や線を付けるグロリアの手元には、若者言葉らしい日本語の文章が記されていた。

 言語学者であるグロリアの研究対象は日本語、特に話し言葉だ。日本語の自然な会話や言い回しを研究し、体系的に分類するのが彼女の仕事だ。

 その為にはリアルな話し言葉、日本という現場で実際に話されている言葉を聞き取ってサンプルとして集めることが必要になってくる。

 グロリアが手帳に書き留めたのは、十数分前にJR秋葉原駅への行き方を道に立つ若者に問いかけた際の回答だ。丁寧ではあるものの、どこか砕けたその語調は、彼女の興味を引いてやまなかった。

 そこまで書き記したところで。スタッフがビールの注がれたパイントグラスと、ハイボールの注がれたジョッキを手にやってくる。


「お待たせしました、生ビールの1パイントと、角ハイボールのレギュラーです」

「アリガトウ」

「アリガトウゴザイマス」


 グラスとジョッキを受け取ったグロリアが、手帳をテーブルの脇に除ける。パイントグラスに比べるとだいぶ小ぶりなハイボールのジョッキをヘレナに手渡し、彼女はグラスを、その鱗に覆われた手でしっかと掴んだ。


『じゃー飲みましょうか。乾杯!ノロック!

『……乾杯ノロック


 日本語ではない乾杯の発声と共に、勢いよくぶつかるグラスとジョッキ。それぞれの手の中でビールとハイボールが揺れる。

 その様子を、相変わらず周囲の客は興味深そうに、かつ好奇心に駆られて見ているのだが、そのうちの一人、先程街路で息を切らしていた一人の男性が鋭い目つきでグロリアを見ていた。


「相変わらず飲んだくれているな、『ハロウィンでもない・・・・・・・・・のに出てくるやたら・・・・・・・・・リアルなドラゴン女・・・・・・・・・』……

 あの口でどうやってぺらぺらと日本語を話して、ビールを飲むっていうんだ、訳が分からん……」


 そう、小さな声で零しながら、手元に頼んだ生ビールのレギュラーサイズに口をつける。

 ストーカーじみているこの男は羽田はねだ 元樹もとき、警視庁の私服刑事である。何かにつけて日本に現れては何事も無かったかのように去っていく、明らかに異質なグロリアの存在を追いかけては、彼女の行動を逐一監視しているのだ。

 勿論、グロリアに顔は割れている。彼女がまだ二十代だった頃、初めて日本に来た時に職務質問して警察署に連行して即日釈放してからの、いわゆる腐れ縁である。

 グロリアの方も国家権力である警察の目が光っている方がよいだろうと判断して、見張られていることを承知の上で、好き勝手にあちらこちらでフィールドワークをしているのだ。


「ハーッ、やっぱり日本ジャポーニアのビールは美味しいワ。すみませーんスタッフさーん、おかわりー!」

「かしこまりました、ただいまお持ちします!」


 元樹の視線の先では、早速1パイントを飲み干したグロリアがグラスを手に掲げている。ちょうどビアチップスを運んで来ようとしていたスタッフが声を張った。主人の酒飲みっぷりに、ハイボールをくいくい飲んでいるヘレナはあきれ顔である。


『相変わらず、奥様は酒豪でいらっしゃる……本当に日本ジャポーニアのお酒ガ好きなんですねぇ……』


 元樹とは別のテーブル、これまたグロリアを監視するように先回りして店に入っていたパトリックが、ワイングラスを片手に小さくため息をついていた。

 二人に監視されていることには気づいていても、呆れられていることなど露ほどにも気づいていなさそうなグロリアが、新たに持ってこられた1パイントの生ビールを受け取る。

 ご機嫌な竜人の貴婦人を中心に、ビアホールの夜は賑やかさを増していった。

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