北栄

 千葉県の西の端、東京都とも接する浦安市。

 東京メトロ東西線の浦安駅周辺を、グロリア一行は歩いていた。


『やー、やっぱり日本ジャポーニアの温泉は格別だわ、質も量も温度も全然違うもの』

『あんなにたくさんお風呂があったら、一日中だっていれちゃいますね、奥様』

『大公国も風呂の文化は発達していますが、日本ジャポーニアにはさすがに敵わないですね』


 浦安市内の大規模な温泉施設に遊びに来たグロリアたちは、午前中から夕方まで存分に日本の温泉を堪能して、日が沈み切る前に駅の方まで移動してきた。施設内にも酒を提供するお食事処はあるものの、何となく目的には合わない、ということで食べずに出てきたのだ。

 スマートフォンを片手に先頭を歩くグロリアが、傍らを歩く青年に視線を向ける。


「ごめんなさいネ、タケハラ先生。私のわがままデ振り回しちゃッテ」

「いいんですよー、お風呂に入って気持ちよくなったら、美味しいお酒を飲みたいって気持ちはよーく分かりますし。

 まぁ僕自身、あそこのお食事処は特筆するものがないなとは思っていたので、なら駅まで戻って駅周辺で飲んだ方が満足できるなとは思ってました」


 申し訳なさそうに目尻を下げるグロリアに、からりと笑って返す青年。すなわち、兼業小説家の竹原綾人である。

 今日の話は彼が発起人となって、グロリア一行に日本の温泉を堪能してもらおう、と企画したのだ。

 日本と言えば世界有数の温泉大国。入浴の文化も大いに発展している国だ。それを体験しないで帰るのは、やはり勿体ない。日本語研究の側面から見ても、風呂場の会話をサンプリングできないのは勿体ない。

 そんな具合で浦安まで一行を連れてきたのだが、問題は。


「それにしてモ、よかったノ?タケハラ先生、お住まい小平でショ。浦安まで来るのハ遠いんじゃナイ?」

「平気です平気です、時間はかかりますけど乗り換え一回で済みますし」


 そう、研究とお酒の為ならどんなに遠くまで行けて、お金を心配する必要もなく、地球での仕事もないグロリアと違い、綾人は仕事もあるしお金もグロリアほど潤沢には使えない。時間の制限もある。

 それでも、綾人は気にする必要はないとばかりに手を振った。

 そのあっけらかんとした物言いにグロリアが目を見開いていると、彼女の後ろからひょいと勉が顔を出した。


「竹原先生も、あっちこっち行っては飲み歩いているもんねぇ。こないだは町田まで行ったんだって?」

「友人がこっちに来るってんで飲みに行ったんですよ。まぁ店自体は馴染みのあるチェーンの一店舗だったから、美味しいのは分かってましたし」


 さりげなく同行していた勉がにんまり笑うと、綾人は片方の口角をくいと持ち上げた。

 そうして地下鉄なのに高架駅、というちぐはぐな状況にヘレナが目を見張った浦安駅の高架をくぐり、北口方面に回り込んで目的のお店へ。

 すんなりと席に通してもらって、綾人がテーブルの上に置かれたドリンクメニューをヘレナへと手渡した。


「さて、飲み物決めちゃいましょう。ヘレナさんは、ビール飲まない人でしたよね?」

「アッ、ハイ。私ハ今日は、ジンジャーハイボールにシマス」

「私はビールにするワ」

「私もビールデ」

「僕も今日はビールかなぁ。あ、でもここ、ジョッキの大きさ選べるんだねぇ?」


 勉の言葉に、グロリアが隣に座ったヘレナの手元、ドリンクメニューのビールの欄に目線を落とした。そうして小さく目を見張る。


「アラ、大ジョッキでも安イ……私は大にするワネ」

「フム、そんなにですカ?……アァ、確かにこれハ安いですネ。私も大デ」

「僕は中でいいや、一度にそんなにたくさんは飲めないし」

「了解しました。すみませーん」


 各々が注文を決めたところで、綾人がさっと手を挙げた。すぐに近くを通りがかった店員がテーブルへと足を向ける。


「ご注文はお決まりですか」

「はい、生ビールの大を二つ、中を二つ。それとジンジャーハイボールを一つお願いします」

「生大二、生中二、ジンジャーハイ一。かしこまりました、少々お待ちください」


 手早くハンディを操作して、一礼して去っていく店員。その背中にちらと視線を送りながら、綾人が勉へと声をかけた。


「グロリア先生たちみたいな明らか日本人じゃない人を相手にしても、飲食店が普通に応対してくれるのは気分がいいですね」

「浦安は某ランドにも近いからね、海外からの観光客には慣れているんでしょ。こういう居酒屋に来るかどうかはまた別だけど」


 頬杖を突きながら、勉がふっと息を漏らした。微笑みながら零されたため息に、グロリアが小さく目を見開く。


「ランドって……アノ夢の国?そんなに近いノ?」

「舞浜駅まで行くバスが出ているんですよ、だいたい二十分くらいですかね」


 綾人の説明に、グロリアが瞳をキラキラと輝かせた。人々と触れ合うことが好きで、楽しいことが好きな彼女としては、某大型テーマパークはやはり魅力的に映るようで。

 同行したことのあるパトリックとは対照的に、いまいち状況を掴み切れていないヘレナが、主人の隣で首を傾げていた。


『夢の国って、奥様、どういうことですか?日本の中に別の国が?』

『地球全体に展開している、すごく有名なテーマパークの通称よ。本当に夢の中にいるくらいに感じる、楽しくてファンタジックな場所なの』

『あそこは本当に別世界ですからね。一度ヘレナを連れていくのもいいですが、それならエレイン様もお連れしたいですし……』


 グロリアの言葉の後を継いで、パトリックも微笑ましそうに笑みを浮かべながら口を開いた。そしてその発言を受けてこくりと頷くグロリア。

 確かに、ヘレナだけをあそこに連れていくのはちょっと不公平になってしまう。まだ幼い末の娘も行きたがるだろうし、グロリアが屋敷で面倒を見ている子供たちも興味を示すだろう。

 パトリックとグロリアは、互いに顔を見合わせてからこくりと頷いた。


『帰ったら企画してみましょうか、ランドに遊びに行くイベント』

『そうね、お金も必要だし』


 そう話し合う二人の顔を、呆気に取られて見ているヘレナ。その表情をおかしそうに見つめながら、綾人が運ばれてきたビールとハイボールのジョッキを各々に回していく。


「うん、やっぱり僕にはさっぱりですね、ドルテ語」

「そりゃあ、そうでしょ。いくらドルテの人が地球にやってくる機会が増えてきたとはいっても、まだまだ人数ではごく僅かだし。

 日本語を話せるドルテの人で、こっちに住んでいる人も幾人かいるとはいえ、こっちの人にとっては耳慣れないだろうねぇ」


 綾人が苦笑しながら勉に顔を向けると、生ビールの中ジョッキを手にした勉が肩をすくめた。

 ドルテ語は構成する文字の文字数こそアルファベットと同様だが、発音や単語の作りは英語と全然違う。話者の多い西ヨーロッパ系の言語とも大きく異なるため、日本人には耳慣れないのも当然だ。

 生ビールがなみなみと注がれた大ジョッキを手にしながら、グロリアが苦笑する。


「私の息子や娘が数人こっちに来てイテ、国の機関でドルテについてノ情報提供をしていたリ、ドルテ語を教える教室ヲ持っていたりするのダケド、やっぱりまだまだ普及には程遠いミタイ。

 種族差別が横行していることヤ、好き勝手に行ったり来たり出来ないノモ、それに拍車をかけているかもしれないワネ」


 嘆息しながら目を細めるグロリアに、四人ともがこくりと頷いた。

 彼女の言葉の通り、諸外国に行くのとは訳が違うのだ。飛行機が出ているわけでもないし、世界を移動するタイミングは不定期。一度行ったらいつ帰って来れるか、帰ってきた時に地球でどれだけの時間が経過しているか、いずれも不明瞭だ。

 神保町の湯島堂書店などは接続先がマー大公国だから、激しい種族差別に晒されることも少ないが、これが種族差別が激しいザイフリード大公国やブラウニング王国に放り出されることになったら、それこそ目も当てられない。

 そこまで話したところで、グロリアが手にしたジョッキをくい、と持ち上げた。


「サァ、飲みましょうヨ。折角のビールがぬるくなっちゃうワ」

「おっと、そうですね」

「乾杯しよう、そうしよう」


 貴婦人の声を受けて、綾人と勉もジョッキの持ち手を握った。

 パトリックもヘレナも、各々のジョッキに手を付ける。

 そうして全員が飲み物を手に持ったことを確認して、グロリアが長い口をぐっと開いて声を張った。


「それジャ、今日もお疲れ様デシタ!乾杯ノロック!」

「「乾杯!」」

「「乾杯ノロック!」」


 掲げられる五つのジョッキ、ぶつかり合うガシャガシャという音。

 そうして始まる飲食と談笑の時を、グロリアは嬉しそうに笑いながら過ごすのだった。

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