第19話 嘘をつくな


 あれから、オレがコハクの元に戻ったのは、サリエルに言われたとおり、次の日の夜だった。


 一旦空中にとどまると、オレは星空が輝く上空から、コハク病室を見つめた。


 見ればそこには、病室の窓から一人外を眺めているコハクの姿が見えた。


 この前泣いていたのが嘘みたいに、いつもと変わらず穏やかにたたずんでいるコハク。

 だけど、その表情は、とても不安そうな寂しそうな、そんな表情にも見えて、胸の奥にじわりと何かがこみあげてくるのを感じた。


 もうすぐ、死んでしまう。

 

 時刻を見れば、もう夜の10時を過ぎていた。コハクの死亡時刻まで


 ──残り1時21分。


 ふと視線をそらせば、その先には、五色の短冊でいっぱいになった七夕飾りが立てかけてあった。


 今日は七夕だ。


 きっと、今日の朝、病院の職員が、みんなで外に立てかけたのだろう。


 それは、夜の優しい月明かりを浴びながら、サワサワと涼しげな音を立てていた。


「クロ……!」


 すると、オレに気づいたらしい。コハクが目に涙を滲ませながら声をかけてきた。


 どこか、ほっとしたように笑うコハク。それを見て、オレはまたサリエルの言った言葉を思いだす。


 ──"嘘の鎧"を築く手伝いをしてきなさい。


 それは、また"死を受け入れる"手伝いをしろということ。未練なく天国にいけるように。


「コハク、オレ……っ」


「良かった、戻ってこれて……クロが消滅させられたら、どうしようかと……っ」


 そう言って、安心したように笑うコハクをみて、また胸がきつく締め付けられた。


 なんでこんな時まで、オレの心配してるんだろう。


 もうすぐ、死んでしまうのに。


 きっと、怖いに違いない。

 不安で仕方ないに違いない。

 

 その時、なぜ死亡日時を伝えてはいけなかったのか、その理由がわかった気がした。


 その時刻が近くなればなるほど、それはとてもつない恐怖に変わる。


「あのねクロ……私、クロに謝りたいことがあるの……だから、最期にちゃんとお話ししよう」


「……」


 そう言ったコハクは、オレが手伝うまでもなく、また何もかも受け入れているようにも見えた。


 そして、最期。


 その言葉に、これが本当に、コハクと過ごす最後の夜になるのだと実感する。


(嘘だったら良かったのに……)



 これが何もかも嘘で、コハクにまた


 明日が来れば良かったのに──









 ◇



 ◇



 ◇






「あの娘、大丈夫でしょうか?」


 水鏡の前で、水面に視線を落とすサリエルに向かって、ラエルが小さく声をかけた。


 サリエルは、クロがしっかりコハクの元に戻ったことを確認すると、その後ラエルに視線を移す。


「あの娘、なかなか強い子だと思いますよ。クロが行くまでもなく、またしっかりと現実を見据えたわけですから……とはいえ、ラエルがフォローしてくれたのも大きいとは思いますが」


 サリエルが言うフォローとは、ラエルがコハクに伝えた「お前は死ぬ」「未来が変わることはない」という言葉のことだろう。


「ラエルの"あの言葉"がなければ、あの娘は生きようとしたかもしれません。あの娘をみて、とっさにその判断を下したのですから、ラエル、君は本当に優秀ですね」


「私はただ、あの娘をしっかり天国まで導こうとしたまでです。あのままでは……」


「そうですね。決して"変わることのない未来"です。もし、生きる望みをもち、それが叶わなければ、あの子は未練どころか、恨みを残す可能性もありますから……そうなれば、現世にとどまり、さまよい続けることになります」


 そういうと、サリエルは水鏡に念じていた思考をスッと閉じる。


 すると、そこには、それまで映し出されていたクロとコハクの姿が消え、代わりにサリエルとラエルの姿が水面に反射するように映し出された。


「しかし、驚きましたね。まさかクロが、あそこまで、あの娘に情を移してしまうとは」


 すると、サリエルが深い溜息と共にそう言って、ラエルが静かに同調する。


「クロは、家族がいませんでしたから、ともに過ごすうちに、本当の家族のように思うようになったのでしょう」


「嘘をついている"偽りの自分"ではなく、ありのままの自分を受け入れてくれたのも、あるのかもしれませんね。しかし、参りました。まさか、こんなことになるとは」


「ッ──あなたが、あんな罰を科すからしょう!」


「あはは、そうでした」


 すると、叱りつけるようなラエルを見て、サリエルは苦笑いをうかべた。


「まー、そう怒らないでください。相手は、極悪非道とまで言われた天使ですよ。あれくらいしなくては、わからないと思ったんです。良いではありませんか。おかげで自分がついてきた嘘で、相手がどれほど傷ついていたのか、クロも気づくことが出来たのですから」


「一体、何を企んでいらっしゃるのですか」


 ラエルがどこか不機嫌そうに言葉を返す。


「何も企んでなど、いませんよ」


「でしたら、なぜこのような……!」


「ラエル、君はとても優秀な天使ですが、少し情に流されやすいところがあります。言っておきますが、私はクロを更生させるためだけに、あの罰を科したわけではありません。もし、私の言いつけを守れず嘘をついたなら、その時は、問答無用でクロを消滅させます。なぜならそれが、クロが今まで傷てけてきた人々が願ったことだからです」


「……っ」


 その言葉に、慈悲深さは一切感じられなかった。ラエルはそれを見て、きつく唇を噛み締めると


(クロ……頼むから、あと2時間、絶対に嘘をつくなよ)


 ただ、そう願い、クロの身を案じるしかなかった。






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